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河出書房新社刊スチュアート・アイサコフ著『ピアノの歴史』を読んで [楽理]

pianonorekisi.jpg 浅学菲才である私は恥ずかし乍ら、ピアノという楽器だけにスポットライトを当てた史実圖書に目を通した事がなく、其故今回のブログ記事タイトルにした「ピアノの歴史」の刊行は非常に心待ちにしていたモノでありました


 私の鍵盤の腕前などそれはもう酷いモノであります。金を取って人前で弾いた事は記憶にあるだけでも2回程ありますが、謙遜するのもおこがましい位の腕前でしかありません(笑)。そんな私は元々はベースを弾く人間なので、鍵盤を弾くと如実に認識できるのが左右の手の大きさが違う事です。弦を押弦する左手の指は右手よりも総じて長くなっているので、左手だと増11度、右手は短10度という物理的な大きさの違いがあります。左手の運指に於いて10度を見渡せる事と、普段の弦楽器の運指と、チャップマン・スティックに依る運指の恩恵を得て、鍵盤の左手の見渡しは耳にも目にもついつい敏感になってしまうモノであります。


 扨てスチュアート・アイサコフ著の「ピアノの歴史」の膨大な史実の興味深さは此処では敢えて語りませんが、樂理的な知識が無くとも熟読が可能であり、樂理的素養が兼ね揃えれば其の咀嚼された表現に含有される暗喩めいた言葉が實に巧みに鏤められていて、この「暗喩めいた」表現として翻訳できている所は中村友氏の輝かしい側面ではなかろうかと思います。ややもすれば読みやすく咀嚼されている為ついつい流し読みしてしまいそうな危機感を孕んでいて、これは他の本にも云える事ですが、本を惰性で読む癖を付けてしまうとほんの数十文字程度の咀嚼された言葉の重要性をも取りこぼしてしまうモノなので、特に音樂の場合は殊更端的な表現で形容されている時ほど註意を増した方が良いのであらためて註意が必要であります。


 私が先の著書「ピアノの歴史」で食いついたのが「ペダル・ピアノ」の事。ピアノのペダル・ワークについては勿論、足鍵盤の事も含めた特殊なピアノについても書かれている所で、詳しくは本書をご覧になっていただくとしましょうか。つい先日もNHKらららクラシック内でモーツァルトのトルコ行進曲を題材に、トルコ独特のピアノで(ターキッシュ・コンマ調律の楽器ではなく)、パーカッシヴな音を鳴らす為に用意されているピアノがあり、それはピアノ線がどういう風に「調律」されているかは判りませんが、おそらくかなり弛めに調律されていて一気に数十本ものピアノ線を機織機の様な水平に伸びる木片が一気に数十本ものパーカシッヴ専用のピアノ線(共鳴弦?)をそれこそ「トーン・クラスター」で鳴らすという物が紹介されていましたが、本書ではこうした楽器迄は語られてはいないものの、モーツァルトの輝かしい側面はきちんと語られておりました。


 トーン・クラスターという表現は極端かもしれませんが、おそらくトルコ式のパーカッシヴな音を出す為のピアノ線はきっちり調律はされてはいないのではないかと思うので、そのクラスターも本当の意味での「ノイズ」に近しい物なのでしょうが、ベースに置き換えれば数本の弦をミュートしつつのプラッキングとでも云えば伝わりやすいでありましょうか。先日のらららクラシックでモーツァルトのトルコ行進曲が取り上げられていた際、ピアノに取り付けられた特別なペダルでパーカシッヴな音を出すというのが放送されていたので記憶に新しい所だと思います。こうした演奏では楽譜の方はどういう風に表記されているのか、という所も興味深い所でありますね。

 今回用意した譜例は所謂「トルコ行進曲」の冒頭部分でありますが、三段用いた譜例の最下段のパートはペダルを表していますが長音ペダルではない所が註意点であります。亦、ペダル・パートを態々トーン・クラスター風に表記しておりまして(笑)、實際にはトーン・クラスターを表記するには明確な定義とまでは区分されておらず幾つかの種類があり、今回の譜例だと見ようによっては黒鍵だけのトーン・クラスターとも理解されかねない表記ではあるものの(笑)、これは、先のトルコのパーカッシヴな音を出す為の響き線を示しているだけのモノでありますのでご容赦を(笑)。ペダル部のパート譜は通常私はエクィトーン用として使うモノなのでありますが、その辺りのツッコミはご勘弁を(笑)。
Mozort K331_PianoSonata_3.jpg


 余談ですが現代音樂方面だとカーゲルはハープのペダル指定の表記も併記して、こうした新しい分野からも採用に値する様な楽譜表記というのが活発なのも現代音樂の特長なのかもしれませんが、新旧の音樂から學ぶ事は實に多いモノであります。


 加えて先の「ピアノの歴史」で触れられている事で私が註目すべき点というのは、クラシック&ジャズ方面に於いて10度音程の言及が2回ほど出て来るのでありますが、この10度音程の導入に依り奏者はどういう風に世界観を拡大できるのか!?という事をあらためて吟味すべきであると考えます。文章を皮相的に上っ面だけ読んでしまえば理解は何ともなく惰性で読み切ってしまいそうな危険がこういう所にありまして、10度音程という言葉にどのような「暗喩」を受け止めて解釈しなければならないのか!?という事だけでも今回は先ず語っておこうかと思います。誤解してほしくないのはそうした記述が無くとも本書は非常に厖大な見聞があり興味深いモノであるという事です。


 10度というのは3度という単音程が複音程と成ったモノです。つまりオクターヴ(8度)+3度であるワケですが、10度音程を親指と小指で弾いた時、その内声に生ずる空間を残る3指が旋律を奏でたりする為にゆとりを与えられた為の音空間と見立てる事が可能です。

 鍵盤をある程度弾く方なら無意識レベルに備わっている事ですが、指というのは和音の為の垂直な弾き方と、横方面の旋律的に運指を行う為の挙動が寄り添い合っているモノで、これらを巧みに使い分けているのがピアノの弾く特徴的な側面のひとつだとも思え、「唄心」あるフレーズを生むためには3度音程という比較的「直近」とも呼べるに相応しい音程を選択するよりも其の3度音程を同一の単音程内で「轉回」させる事で音程の空間を広く取る事でフレージングに広がりを持たせる事が重要である理由には、フレージングの動機に揺さぶりを与える為に必要な初歩的な動作(=運指)に起因するモノであったりもします。

 この手の理解すらスッ飛ばしている人は特にエレキ・ギターを操る人間に多かったりしますが、狭い音程での順次進行というスケール・ライクなフレージングにしか成っていなかったりするモノでありまして(笑)、愚の骨頂というシーンを数多く見受けたりすることも屢々ですね。「オリーヴの首飾り」の出だしのメロディも六度音程で幅を与えているのが唄心たる所以ですね。


 ベース・ライン一つにしたってドラマ「相棒」に使われるBGMのベース単旋律による「e・e・f#・g〜♪」という旋律で「f#とg」は低い方に行く事でeとf#は七度という広い音程を生むのにf#は次のgの半音のクサビを与えられている事により七度という縁遠さは消失し、g音への収まりを強固にして「eからg」への六度音程が唄心を呼ぶという、實に心憎いフレージングだったりもする譯ですね(笑)。この旋律が4弦ベースの最低音e音からのe→f#→gという単なる二度音程の連続している、つまり順次進行で成立させてしまっていたらあまりにベタなフレージングにしかならないワケで、音程を轉回させるという単純な動機は順次進行への闖入というモノではなく、順次進行こそが本来は惰性感を生むのでありましてココを気を付けなくてはならない所なのですね。


 10度音程というのは和聲的にも拡大できる音程なので、右手も左手も非常に可能性が広げる事ができるモノです。こうした10度音程の妙味は實は他にも轉用する事が可能なのでありまして、例えば先の著書「ピアノの歴史」では流石にスタンリー・カウエルの名前はありませんでしたが、スタンリー・カウエルやヒンデミットは四度音程からの脈絡の使い方がとても巧みな人達でありまして、前にも言ったように、完全四度の堆積は軈て二度音程として集積されてトーン・クラスターを生むのと同様に、クラスターを四度音程に散逸させたり四度音程を十一度へと俯瞰して「隙間」に生ずる音程内で、四度和音から想起し得るモードで旋律的にインプロヴァイズの道が拓けるのであります。


 完全四度音程とは完全八度を完全五度と完全四度という風に割譲し合う轉回形の音程でもありますが、完全四度の堆積は完全五度の堆積のそれよりも倍音列に捕捉されにくい独立体系とも呼べるような音の脈絡を持つ事が可能です。

 故に完全四度の堆積を繰り返していくと軈ては「二度」で集積されていくのでありますが、二度音程という事は、それを時系列に並べれば「順次進行」という事になります。つまり、我々が「ドレミファソラシド」と口ずさむ順次進行という動機を「逆行」させて考えると、たかが「順次進行」という動機を四度音程へと拡大させる事が可能なのであります。

 10度音程という複音程は轉回という動機を待たずして音空間を拡大化させてくれる動機付けのひとつとも考える事ができますが、複音程の世界ではなく単音程での枠組みの中で「拡大」するという解釈こそがジャズの語法では最も礼賛されるモノであります。つまり、三度音程を六度で拡大する事は単なる轉回にしか過ぎませんが、二度音程を「四度」と拡大させたりする動機付けは轉回とは異なる解釈なのであります。

 更に言うと、先鋭的な響きを得る為には、完全音程は協和度の強い音程を如何にしてシンメトリカルな発想で「砕く」か!?という所を留意しなくてはなりません。先日もウォーキング・ベースを取り上げる際、こうした動機の重要性を語りましたが、想起し得るコードからのダイアトニック・スケールやモードのいずれからも逸脱する様な体系はどういう動機から得られるのか!?という事をきちんと獲得できない限り、3つ目とも呼べる逸脱は行えないのでありまして、既知の体系に収まるような「なんちゃって」系のジャズの音を出している連中は、こうした3つ目の逸脱が無いのですね(笑)。

 こうした「逸脱」はベースが熟知している事が多いですし、不思議と和音の出せない奏者が抱く欲求の果てだったりもします。


 とまあ、ピアノという楽器を唯単に器楽的に見渡すだけではなく、奏法に伴う「惰性」が三度音程が齎す情緒に依って補強されてしまう様では、奏法面ばかりでなくフレージングの拡大にも繋がらなくなってしまう物でもありまして、ピアノという珍しくはない楽器を目の前にしてもあらゆる面に對して惰性の理解があってはならない譯です。

 四度音程が他の協和的音程の完全五度体系(=長短三度の累積で五度音程は伴う)に捕捉されずに二度和音へと変貌を遂げるのは、和聲的拡大へと應用が可能な事でもあり、ジャズの先人達はこういう所を決して見逃さないのであります。こうして見逃して欲しくない部分を態々指南しているモノではなくとも、ジャズ・ピアニスト達の「十度音程」に對して暗喩めいて語る所がスチュアート・アイサコフの文筆の性癖を見る思いです。

 大抵は史実めいた方へ註視してしまいますが、西洋音樂の史実めいた事を私が語るのは野暮ですので此処では述べませんが、史実は嘘と美談を語る事があっても、樂理は嘘をつかないという大前提が私の音楽観なのでありまして、アイサコフは史実の傍証を徹底して列挙しつつ(一部は既知のそれとは異なる文もある様ですが)、樂理めいた事を仄めかす程度にして語る所は読み手の素養をくすぐる物でもあり、私はこうした「人を選ぶ」系の本はかなり好きであります(笑)。ジャズ方面になると及び腰になる批評家も少なくは無い所でこうした表現はあらゆる方面への思慮深さがあってイイのではないかと思えてしまいます。


 先にも述べた「ウォーキング・ベース」。その演奏体系にはコード理論やらモード・スケールからも逸脱する音があります。コード理論やらモード・スケールの知識を獲得していてもウォーキング・ベースへの理解に及ぶためには何が必要か!?という事を知っている者は非常に少ないのが現實です。私はヒントを幾つも鏤めていた様に、完全音程や協和性の強い音程へ「楔を入れる事」というのを声高に述べておりますが、半音の楔というのは西洋音樂でも嘗てからあったように、「予期せぬ所の導音」という言葉と同じ意味なのです。

 ジャズではさらに、「砕かれた音程」をさらに砕いてシンメトリカルな構造へ解体します。完全五度という7つの半音に對して1つの半音の楔を入れれば、楔を入れた側は割り算の「商」となり、残りの6半音を「等音程」亦は「等比音程」で砕くのであります。


 楔など態々入れず、協和音程に對して十二平均律ではない分割をする手法もシュトックハウゼンが既に行っている事です。振動比1:5であれば基音と基音から2オクターヴ+長三度の純正律と同様です。これを平均律的に俯瞰した場合、2オクターヴ+長三度は28個の半音がある譯ですが、シュトックハウゼンは先の1:5を25分割するという手法ですね。これも大きく見た所の「等音程」の拡張的な一つの手法でもある、という事です。

 協和度の強い音程がウォーキング・ベースで紛れ込んだだけでも、その協和度の強さが調的情緒を作ってしまって目立ち過ぎるという事は私のサンプルでもご理解いただけた様に、完全音程と協和度の強い音程を如何に砕くか!?という事がウォーキング・ベースに必要な逸脱の語法である事を知らない人が多過ぎるのは、調性社会に縛られ過ぎた体系しか知らないからでありましょう。ジャズ界隈のみならず十二音技法ではない所の半音階を駆使した音楽観をきちんと理解していれば語られている事でもあります。

 コード体系やモード・スケールの知識を獲得してもウォーキング・ベースの語法を獲得できないのは、多旋法的社会を知らないからでありまして、少なくともそうした世界観と、協和度の強い世界観に捕捉されにくい四度音程の仕来りなどを學ぶには、フーゴー・リーマン、ヒンデミット、メシアンに學ぶ事は多いかと思います。

 亦そうした体系をかなり咀嚼して語る別宮貞雄の著書「音楽の不思議」は過小評価されているかと思います。余りに咀嚼された表現に読み飛ばしてしまっている人が多いのではないかと思いますが、短和音の五度音に「情緒」が絡み付く理由や、単純な三度累積が五度音程を形成する事で情緒が生まれてしまう(これを避ける事で調性の呪縛から解放される事で四度和音を使うのもひとつの手法)という事は、これらの人達が語っている事なのであります。調性感の希薄な世界観はシンメトリカルになっていくという事ですね。

 シュトックハウゼンの手法は1オクターヴ内という枠から飛び出した世界観でもある譯です。16次倍音までは通常の調的枠組みの影響を受けやすい為17次以降の音を利用しようとする人も居るワケですから、こうした現代音楽のヒントとジャズは重なる物はあっても、それをそう易々と口にしないジャズマンがこれまで存在していた事をそろそろ気付かないといけない時代が来ているとも言えるでしょう。

 とはいえ、体系に収まる程度のジャズしかやっていない様な人が殆どではありますが(笑)。

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