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轉調への正しい理解 『移旋』編 [楽理]

 扨て今回取り上げるテーマはブログ記事タイトル通りなのですが、手っ取り早く判りやすい例を出し乍ら語って行こうと思うので、今回は誰もが知っているであろうと思われる「きらきら星」という曲を例に挙げ乍ら語る事にします。


 私が頻繁に遭遇する訳ではないものの、偶に児童達が下校中に、童謡などを「移旋」して唄うシーンを見掛ける事があります。私が今回語って行きたいのはそうした例も含むのでありますが、先の児童の唄の例の場合、別宮貞雄著の「音楽の不思議」内で絶對音感と相對音感で語られる調性其の物に頓着せず音高だけを頼りに唄う事に起因する「移調」とは亦少し異なる事であります。

 因みに「きらきら星」という曲の原調はハ長調です。別宮貞雄の取り上げる例の様に、調性其の物に頓着しないで唄う人の感性は、音の相對的な音程の上げ下げに頓着している為、本来の「原調」と異なる事がままありますが、調性其の物にも頓着し乍ら音高にも頓着する人ならば調性も原調のまま再現して唄う事となる譯ですが、原調と異なる調性で音程の相對的変化さえ合っていればそれは「移調」と呼びます。英語圏の言葉ならば「トランスポーズ」という語句が当て嵌まるのがコレです。


 その「移調」は轉調ではありません。轉調というのはサッカーやらの競技で言えば「アウェー」というホーム・グラウンドでは別の場所で新たな作業をする様なモノと置き換えれば判りやすいでしょう。貴方達が通う学校や企業という組織が、その組織形態やら建物の構造やらが全て同じまま場所だけを移転した状態が「移調」であるとも言えるでありましょう。単純にトランスポーズされた状態のそれを「轉調」とは呼びません。然し乍ら、そうした本来なら誤りであろう表現を温かく見守り且つ理解に及ぶ人は、空気を読みつつ指摘する事もなく「嗚呼、コイツは本当は移調の事だと言いたいのだな」という風に理解しているモノでもあるので、数々の過去の経験で「轉調と呼んでいた仕来りを移調と指摘された覚えは無い!」と豪語して迄解釈を曲げない人は単純に頑固なだけであり、その手の人の特徴というのは、折角覚えた事を一旦消失して迄新たに覚える事を苦難と感じてしまう自己に甘い性格に由来する行動だからに過ぎず、こうした人は音楽の本質を理解しようと、正しい理解に及ぶ前に、本質を幾らでも喩えて形容できるほぼ無尽蔵にある言葉を酷くこねくり回して主観を語る様な唾棄すべき表現を駆使する人間に陥ってしまいかねないので註意が必要です。そういう譯で、「轉調」と「移調」というのも単純な様で實は違うモノなのだという事をあらためて理解に及ぶ必要が在るかと思います。



 幹音という言葉があります。これは嬰変等の変化記号を伴う必要のない真正な音でもありまして、ハ長調/イ短調での変化記号を伴わない音はまさに幹音であります。では、ハ長調の幹音の内、第3・6・7音が半音下がった音は、結果的に「ハ短調」の音列になりますが、児童達は長調の音楽を「態と」同主調の短調へ「移調」するかの様に唄うシーンを目撃する事がある、というシーンを冒頭で語っていたのです。


 しかしこの「同主調短調への移調」という言い方は、意味は確かに伝わるモノの本当は正しい呼び方ではありません。これは正しくは「移旋」と言います。移旋というのはこうした例だけではなくとても広大な意味を持つ為知っておかなくてはならない事なのであらためて語る事にしたという譯です(笑)。そこで、「きらきら星」を例に挙げ乍ら語るという譯であります。


 きらきら星という「メジャー」(=長調)な音を恰も短調に変化させるという行為、これは「移旋」を狙っているモノです。ところが「きらきら星」の主旋律はヘプタトニック(=7音列)の内第7音は出現しません。この単旋律の背景に和聲を与えようとした場合、第7音に相応しい音は現れて然るべきですが、単旋律で歌い上げる場合では第7音を満たす事なく音楽は終止します。第7音の訪れがないとはいえど、調性は確定しております。


 先述の通り、「きらきら星」を短調へ移旋を試みる場合、第3・6・7音を半音下げて変化させればハ長調からハ短調への変換(=移旋)が完了するのでありますが、第7音の訪れが無いからといって、それは単旋律だから生じないだけの事でパラドックスな考えに陥る必要はありません。


 「移旋」という言葉が多岐に渡って活用できるというのは次の様な例を挙げるともっと判りやすいモノになるでありましょう。


 次の譜例を見ると最初の段は原調を示しており、同主調の短調への「移旋」は2段目の様になるという事を意味します。譜面に不慣れな人であろうとも註目すべきは「調号」の変化ですのでご註意を。
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 扨て、原調がハ短調へ「移旋」という風に語る時は判りやすくなるものの、更にCハンガリアン・マイナーヘ「移旋」したいという状況を説明しようとした時、「移旋」という言葉を用いずに説明したとなると、短音階からの僅かな変化音を伴うにも関わらず、ハンガリアン・マイナーという旋法はあってもそういう調性は無いので説明するのに難儀するかと思います。譜例では短調から同主調のハンガリアン・マイナーの移旋として例にしておりますが、ハ長調からCハンガリアン・マイナーヘの「移旋」として言葉を表現すれば、少なくとも「きらきら星」の譜例中の主旋律では「第3・4・6音」が変化するという事を指す言葉に置き換わるという事が容易に判るかと思います。


 つまり「移旋」というのは調性ばかりではなく旋法的変化も視野に入るので、Cフリジアンという調性はなくともCフリジアンという旋法は存在する為、音列に生じているヘプタトニック(第1~7音)をそのまま他の旋法の各音へ置換すれば済む作業なので、Cフリジアンへ「移旋」という事を説明したい場合は、基の7音列の各音の所属をそのままに置換すれば良いという事を意味するものが「移旋」であるという事が判るのであります。


 そうすると、今度は譜例の一番最下段の様に聞き慣れない呼称の「Fナポリタン・マイナー」由来のモードという旋法まで視野に入る事となり、Fナポリタン・マイナー・スケールの第5音であるC音をスケール・トニックとするのモード・スケール第5音=G♭音は、スケール・トニックから数えた音程幅は減五度であるため、自ずと2小節目は實は「減五度」なのでありますね(笑)。「きらきら星」の「ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソ」というクダリの部分の「ソ」は實際には減五度になる譯ですからこうした事も視野に入るのが「移旋」という言葉の音楽の世界の俯瞰たるや便利な事この上ないモノであります。


 こうした理解を伴うと、先の原調からハ短調という「移旋」という変換は實は途中のプロセスを端折っているモノであるというのが次の例から判ります。
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 この例で示しているのは、原調から最下段の《平行短調(短旋法)への移旋》への矢印が付加されている譯ですが、そもそも長調や短調という調的情緒というのはアイオニアンとエオリアンという長旋法と短旋法という2つの「旋法」が持つ固有の情緒でありまして、この固有の情緒というのは他の旋法も別のキャラクターとして持っているモノなのです。調性という風に括られるのは、これらの長旋法と短旋法の仕来りをこっぴどく体系化したモノであるという事でもあるのです。

 そこで、「端折っている」という理由は、まず原調から見渡した時に平行短調側である短旋法の方へ「移旋」して、更にその平行短調側へ移旋された旋法が、ハ短調へ「移調」したというプロセスがあっての同主調への「移旋」という物がどういう物かお判りになるでしょう。ここで端折っているのは移旋ではなく「移調」ですからね。つまり、旋法的な変化が無く同一(第1~7音の交換は同列で平行)で単純に調性が変わるのは移旋ではなく「移調」だという事も此処であらためて理解に及ぶワケであります。


 これらの一連の理解が無いと、たった2つの文字で表せる「移旋」とやらをこっぴどく文字数をフル活用して、挙げ句の果てには自身の主観的な感想を織り交ぜ乍ら語る事になってしまうというモノになりがちなので、主観を交えていかないとハナシを推進できないという事は素養が足りぬから起こる事でありまして、近い内に、こうした音楽の理解に於いて主観が必要ではない時の事を語る事にしましょうかね、と(笑)。

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