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協和音程の不協和音とは!? [楽理]

 ここの處、私のブログ更新が頓挫してしまっていた背景には、文字数にして20万字という文量をいざタイピングするという作業を強いられていたからでありまして(笑)、幾ら私のブログが冗長だとはいえ、そんな私ですら音を上げてしまいそうなモノですが(笑)、こうした事を生業とする方ならまだしも、文字をタイプするという事は結構骨が折れるものです。元々はタイプライターのQWERTY配列とて、打ち間違いが無い様に考えられたモノであって、タイプし易いようにして設計されたモノではないという處から端を発しているというのですから、元を辿ると意外な事実に遭遇したりするモノです。


 300頁に満たぬ程の文字数に四苦八苦の私ではありましたが、音楽の方に置き換えて「元を辿る」という風に俯瞰してみると、あらためて音楽の根幹の重要性という事が判るものです。それが今回の記事タイトルに使う「協和音程の不協和音」という、なんとも矛盾を感じる言葉でありますが、こうした處にあらためてスポットライトを当てて語るのが今回のテーマなのであります。


 不協和音という言葉の意味は音楽のそれとは独立して用いられる事もあり、人間関係に軋轢を生んでいる様として理解されている事もあってか「不協和音」という言葉が音楽とは違う側面の旅路を経て来てあらためて認識すると、いつの間にか不協和音という言葉の「平仄」にネガティヴ要素を感じ取って仕舞うかの様に、本来備わる必要もない意味を付随して了ったりする事が往々にしてあります。此処で私が取り上げたいのは、音楽面に於て単なる「不協和音」という言葉を用いたい時に、音楽的に「軋轢を生じている」かのような、まるで唾棄して忌避したくなるかの様な意味合いは不必要であるので、「不協和音」という言葉が引き連れて来てしまう意味を排除した上で器楽的に理解できる人が一体どれほど存在するのか!?という疑問が沸くのと同時に声高に申しておきたい事があるが故の問題提起なのであるという前提で今回のテーマに目を通していただきいたいと思う事しきりであります。


 扨て、協和音程に「不協和」を感ずる事などあるのか!?という疑問についてですが、これから語る事は決して言葉の綾でも無く重要な理解なのであらためて強調しておきましょう。

 ここで必要になってくるのが「完全音程」への正しい理解なのでありまして、完全音程の定義でもある理由のひとつに、完全音程とは原音程と転回音程ともに完全音程であるという事が完全音程の条件というのは良く知られている處です。

 つまり、完全八度を転回すれば完全一度で、この二つは「絶對完全協和音程」と括られ、完全五度を転回した完全四度でコチラのふたつは単なる「完全協和音程」と呼びますが、これらいずれも「完全音程」である事は間違いありません。然し乍らこれら完全音程の内「完全四度」は「不協和音」であるという事を知らない人は多いのではないかと思います。『完全音程が不協和?アホ抜かせ!』と怒号を浴びせる人もおられるかもしれませんが、そーゆーモンなんです(笑)。今、この手の事をキッチリ説明してくれる書物は、手に触れ易い處では青島広志著の「究極の楽典」位なモノでしょうか。kyuukyoku_gakuten_aoshima.jpg

 青島さんと言えば、剽軽なキャラクターと相俟って一寸おフザケ感のある人なので、真正で正統な方面の理解に懐疑的になられる方もおられるかもしれませんが、青島氏は音楽を小難しく捉えて欲しくないが故の姿勢でありまして、音楽についてはとても真面目に語っておられる人なので、ああした道化じみた處に目を奪われて理解が及ばない人というのは、結果的に本来の理解とは全く無縁の感情が理解を邪魔してしまうという、自分自身の理解の在り方に実直でないが故に沸き起こる衝動で理解を蔑ろにしてしまうという悪しき例でもあるので気を付けましょう。そうした理解に必要とするプロセスに不必要&無関係の衝動を「態と」利用して沸き起こさせつつも、理解への道を自身で選択させ乍ら読み手を選別するという性根の腐ったブログ主も居りますが(笑)、それは扨置き、「完全四度がなぜ不協和音なのか!?」という事について単純にギモンを抱く人も相当いるとは思います。


 先の「究極の楽典」では、音楽全体を俯瞰しているが故の楽典であるので、完全四度が不協和音だという根拠までを理解するには専門的な知識が必要です。こうした事を体系的に覚えてしまう事は簡単ではありますが、重要な事は先ずは体得する事が必要なのでありますね。樂理など知らないギター弾きの兄ちゃんですら、パワーコードである五度弾きを転回した「四度」ポジションでの四度音程の方が五度よりも音がくすんだ様な感じに聴こえているのは無意識に感じ取っている事でありましょう。

 この手の仕組みを詳細に理解できるのがヒンデミット著の「作曲の手引」でありましょう。第一次とそれ以降結合音の交叉が関与する事が由来となっている訳ですが、こうした處を繙かねば理解に及ぶのは難しいコトでありましょう。完全四度音程とは、音程という「尺度」そのものは協和音程であるものの、その音程によって生ずる「音」は「不協和音」なのであります。この事に関してもっと詳細に知りたい方は、当該著書を手に取って學ぶべきです。


 然し、不協和音を使ってはならないという事ではありません。不協和音を忌避しろなどと一体誰が教えた事でしょうか!?(笑)。

 抑も不協和音とやらを忌避したくなる学習者というのは恐らくや、自身の耳(=聴取能力)が余りに未習熟な處に強固に感じて仕舞う事となる「うなり」に対して自身の耳が耐えきれず堪えきれない事を源泉に、その感覚と相俟って樂理方面の脆弱な知識の地盤が後押ししてしまって、「不協和音」とやらの音楽とは異なる畑の方での意味合い(=平仄)を論うようにかいつまんで来ては、結果的に馬鹿共である烏合の衆の間での誤った共通理解が《不協和音は忌避すべし!》と思わせているだけだと私は常々感じているワケです(笑)。


 音楽的に利口になるには、音そのものをきちんと耳にしていればイイのです。その反復が軈ては實を結ぶ譯ですな。ところが、反復するに相応しい「樂音」というのは、執着しづらい小難しい音を延々と耳にするには骨が折れる為、いつまで経っても耳に優しいだけの、また、フレージングとやらも耳で追う事に優しい類の物を選んでいるだけに等しいのですが、樂理は歩を進めるにあたって、難しい音への理解が必要な時に、そうした實例に乏しい知覚能力と知識しか有していなければ何学んでも一緒、という譯です。とかくこの手の輩は音を上げるのは早く、聲ばかりがデカイのも手伝って、馬鹿共が集りやすい状況を作り出してしまうモノでもありまして、この手の輩が調子こいてレコメンドした所で何の説得力も無いワケですね。


 抑も、平均律になったということで、純然たる協和音程は喪失してしまったかもしれないが、不協和の度が純正律の頃よりも薄まっているのが現在の音楽シーンの實際でもあり、且つオクターヴ(ユニゾン含)という絶對協和は失われてはおりませんし。不協和が不協和でなくなっている状況で、完全音程の内の完全四度音程は「不協和」というのが何時の時代でも事実なのだという事を知っておかなくてはなりません。「完全四度のくすんだ響きとは!?」という事を念頭に置いた上で疑問を払拭してくれるのが先の著書から判ることでありましょう。


 私の周囲では、ヒンデミットは「作曲の手引」の中で直接名指しはしていないものの、「下方倍音列(=逆倍音)」や「複調・多調」をも断罪していると誤った理解に及んでしまっていた者も嘗ては居たものでしたが、ヒンデミットの下方倍音列についての批判は、あくまでも下方倍音列というのは音色を決定する事に起因しないという事を否定しているだけで、調的な世界の拡大や音の指向する方面へは何一つ批判しておりません。あれを読んで下方倍音列が根拠の無い嘘っぱちという風に理解が及んでしまっているとしたらヒンデミットも浮かばれない事でありましょう。ヒンデミットはあくまでも和音の色彩的要素に直接の関与はないとしているだけで禁則にはしておりません。寧ろヒンデミットが禁則としているのは複調・多調の世界です。

 しかし複調・多調は、異なる横の線で書けば自ずと複調的要素は生ずるのでありますが、ヒンデミットがいわんとするのはそうした複調・多調的世界から生じた時のひとまとめにして聴こえて来る時の和声的な調的構造に複調・多調の区別をしていないという括りを設けて「和声観」を一望しているので、複調や多調は結果的には拡大された調的世界の一つの世界で見える物として理解せねばならない事であります。勿論ここのヒンデミットの解釈には、音程の「均斉化」こそが重要なキーワードであり、例えば複数の三全音が併存している状況の和声的世界やら、三全音(=均斉構造)がどのようにして「まとわりついている」のか、という事がヒンデミットの回答であるので、こうした所を読み違えている人は結構多かったモノでした。特に下方倍音列に於ては誤解している人が多いのではないかと思います。ヒンデミットは総じて下方倍音列を否定しているのではなく、あくまでも実像としての和音の姿として下方倍音列は関与していないとするだけであります。下方倍音列の見える方向を根拠に音作りをして構築しようともそれは禁忌ではありません。勿論従来の調的構造はいずれにしても跳び越す事にはなりますが(笑)。


 それと、ヒンデミットをいろいろ解釈すると、現在の音楽的な知識下に於てもまだまだ体系化されていない和音を使っていたりする作品に遭遇することも珍しくもなく、今から数ヶ月程前にレコメンドしたヒンデミットのコントラバス・ソナタに使われる九声の和音も最たる例でしょう。こうした和音の中に例えば三全音という均斉化された和声的な「触手」はどのような「分子構造」になっているのかという事だけを繙く様になるだけでも十二分な和声的ボキャブラリーを得る事となるでありましょう。我々の耳は、そうした和声構造を得るレセプターの様なモノでありまして、私が言っている四度の下方への牽引力というモノも、物理的に下方はそれ(=音)を振動させるには物理的な振動数に必要な空気の震えの量が密集する場所(=結合音が溜まる地帯)であるからなのでもあります。

 ハ長調を完全五度音程の累乗としてF音から重ねても、F音に中心が有る様に耳は聴こうとはしません。F音はE音というハ長調の平行短調であるイ短調のドミナントの下行導音でもあり、F音を軸として聴こうとしないのは音並びが均斉化されていないのもありますが、五度音程の均斉化としてハ長調を見ると、F音が軸になるのにそのように耳は聴いてくれない所に、牽引力の彷徨いと欲求が訪れるのである。「欲求」の訪れを起こさせるには、何か別の力が必要であり、その一つが均斉化であります。
 
 12平均律は半音で量子化され、その半音が幾つかの半音として凝聚して素数分の音程(例:完全五度は素数の《7》半音、完全四度は素数《5》半音)に「半音の楔」を入れて、砕いてみせる。7半音を一つ砕いて6:1にした時の6の方を等分したりして「別の脈絡」を与えたりする。別の脈絡として目盛りを振られた「等音程」は概ね基の調の順次進行で割り当てられた目盛りと異なるモノです。

 ハ長調で生ずるドミナント7thである「G7」が包含するG - Dの完全五度(7半音)に半音の楔を入れるとG - D♭(C#)として砕かれます。では、GとD♭を「等音程」で割り振るとこのトリトヌス(=三全音)はどういう風に割譲されるのか?GとC#で「等音程」として見た時はどのように割譲されるのか!?それだけでも全く異なる世界が見えて来ます。楔の打ち込む所はGとDを砕くのであればA♭(G#)の所でもイイのですね。G#ならば平行短調側のドミナント7thの持つ変化した三度音としても用いられ、結果的にG7が有していた完全五度に半音の楔を与えた場所は、知らず知らずの内に、代理ドミナント(=裏コード)の形やら平行短調のドミナントが有する音の由来として補強されて使っていた空間であり、均斉化という事だけで見てもこうして見えてくる物があるワケですが、均斉化という見渡しは必ずしも完全音程を砕くばかりではなく、ごく単純な整数比を砕く事に面白味が増すのです。そうすると不思議な事に現代音楽も見えて来るようになる譯です。


 「協和的」な音程である長三度:短六度と短三度:長六度のいずれも實は「不完全協和音程」でありまして、これらも亦、青島広志著の「究極の楽典」に詳しい事でありましょう。何れにしても、理解が及び、体系に収まらないような響きを用いる様になった時、それが「メリハリ」として調的空間と同居するような世界観である場合、概ね不協和音から協和的な響きへ「解決」するのと同義な為、不協和音はそういう意味で「ドミナント」として作用するというのも青島氏は同著で非常に簡潔に且つ重みのある言葉できちんと漏れなく述べています。更に青島氏の賞賛すべき点は、調的世界の倣わしに於て長調のIIIの和音をドミナントの代理にもトニックの代理にも転用する性質のあることをきちんと述べている處が実に良い所ではないかと思います。これを「轉用」する事で調的社会にゆさぶりや逡巡を起こさせる事という逆の発想も亦学習者には必要な事であります。


gakuten_kikuchi.jpg そんな譯で私が現在流通している理論書の幾つかをレコメンドしたものの、青島広志著「究極の楽典」デイヴ・スチュワート著「曲作りのための音楽理論」は私のブログを読む上で基準としたい著書でもありまして、それらに加えて菊池有恒著の「楽典 音楽を志す人のための」もあらためてオススメしたい所です。菊池氏の同著は混合長旋法として括られる處の「旋律的&和声的長音階」も載せられている事と、対位法(フーガ)に於ける先行句と追行句がなにゆえ四度/五度の関係で現れるのかという、ここまで見事に簡潔に判り易くまとめられている處が瞠目すべき点なので、あらためてこれらの著書を規範として語って行きたいと思うことしきりな譯であります。ヒンデミットのそれは絶版なのですが国立国会図書館に行けば閲覧できるので、あらためてきちんと學ぶべき事は多いかと思います。

 とまあ、そんな譯で私のブログを読んでいると文中に「おや!?」と疑問に思う様な、もっと知りたくなる様なキーワードが鏤められている事が多いモノですが、そういうの大半は追って順に取り上げているので、一回のブログ記事にて総て述べる様な事は無いのでその辺りはご容赦の上お読みいただければな、と(笑)。

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