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2013年 岩波書店創業100周年 [楽理]

 2013年8月5日、この日の百年前に岩波書店は創業されたとの事。實に御目出度い事であると同時に、学徒期からお世話になった数々の書籍類には今更乍らあらためて感謝する事しきりであります。これからの100年、文学がどのように變化していくのか興味深いことではありますが、そんな事を考えるのは戒名を貰った時にでもあらためて俯瞰するコトにしましょうか(笑)。


  扨て、私のブログ記事の大半は樂理に費やしているので、折角岩波書店さんが100周年だというので音楽にまつわる方面でも語ろうと思う譯ですが、何と云っても筆頭に挙げられるのが芥川也寸志著の『音楽の基礎』でありましょう。新書だからと侮ると痛い目に遭います。おそらくやポピュラー音楽やジャズ方面の、それこそ相当高次に追究された方でも、クラシックの先鋒に触れた事が無い人ならば尚更目から鱗が落ちる程の発見があるのではないかと信じて止まない永らく重版の続く著書であります。芥川也寸志氏と云えばクラシック音楽界ばかりでなくとも知っておかなくてはならない重要な人物でありますが、嘗ては女優・草笛光子さんの夫でもあり、文豪芥川家の生まれである為、先の著書も老若男女問わず読み易い文章且つ広く重い楽理の内容にあらためて驚かされる事でありましょう。ポピュラー界隈の人はついついクラシック界隈の人間を遠ざけてしまう處があったりしますが、意味も無く食わず嫌いしている時間が長ければ長いほど、音楽的姿勢を徒疎かに続ける事になってしまいます。騙されたと思って手に取って読んでみる事をお勧めしますが、これを読んで判らない人は相当に未習熟である事も自覚して音楽と訣別するのも一つの考えになるという、岐路を提示してくれる物となる筈です。


 こうした代表すべき良著の存在をあらためて知ってほしいのでありますが、私はつい最近、徳川頼貞著の「薈庭楽話」をGoogleブックスで読むことが出来るという事を知り、その著書をあらためて読んでいるのでありますが、明治~大正期に於ける日本の西洋音樂の受容と、徳川頼貞侯爵の私費に依る世界の音楽を股にかけるその豪放磊落ぶりな文章からは、富豪の厭味などは全くなく實に興味深く面白い読み物となっていると同時に、端々に鏤められる文語的語彙の豊富さと高名さにあらためて私の無学さを自覚出来るのもありますが、そうした時代と100年前という岩波書店さんの歴史がついつい投影されてしまい色々と考えさせることしきりであります。

 私が経済的な事を語るなど門外漢ではありますが、TBSドラマ半沢直樹ブームに肖って行員視点的に語るとするならば、現世の商いはそれこそ四半世紀続けば「老舗」とまで云われるほど移り変わりが激しいモノでありまして、大規模小売店鋪法を経て男女雇用均等法、プラザ合意、消費税導入、バブル崩壊、就職氷河期、ゼロ金利、規制緩和、貸し矧がし等と揶揄されるそれらの實例は徐々にそれまでの「體」(=てい)を傷めつけているのであるのは先刻ご承知の事だとは思いますが、商いというのはそれほど移り変わりが早く、腑に落ちぬとも受け入れざるを得ない現實があるのですが、音楽の世界──特に耳に容れる方──というのは非常に保守的なモノでありまして、四半世紀程度でガラリと様相が變るモノではございません(笑)。音楽の變化というのはサウンド面での流行的な側面が見せるだけのうわべの變化でありまして、それ程大きな變化がある譯でもないのが事実です。先にもNHKの坂本龍一に依るスコラ~音楽の学校~でも述べられておりましたが、概して音楽のスパンは150年位で変遷があるという解説がありました様に、音楽は動かざる事山の如しだったりもします。

 
 「ハルサイ」(=ストラヴィンスキーの「春の祭典」)から奇しくも100年が経過しました。複調が織り成す特異な和声のそれが素晴らしく、まさに20世紀を代表する名做のひとつでもあるそれが初演の時の聴衆の怒号や騒乱は、クラシック・ファンの間では知らない人が居ない程有名な話でありますが、その「ハルサイ」とて100年を経過すれば、今や多くの人に受け入れられるようになっているという事を思うと、此処に音楽的な、じわりじわりと音楽的教養が實を結ぶ熱波のような「輻射」が伝播されてゆくのだなと實感している事でありまして感慨深い事であります。

 貸付信託やらも四半世紀や30年とか、それこそ住宅ローンを組む時の様な「スパン」から考えて返済計画を立てているのですから、徒に長期間与えている譯でもないのでありますね。四半世紀を跳越する一般的な商いのスパンというのは、そうした前述の住宅ローンの実際が尺度として判り易いかと思いますが、四半世紀を越える様なそれこそ30年位前というと、国内ではCDプレーヤーが登場した直後で、ビデオデッキですらそれほど普及していなかった80年代前半でありまして、私自身学籍に身を置いていてアルバイトの時給が470円/hという時代での、例えばヒンデミットの一般的な受容など、それはそれは、一体誰がヒンデミットの名を知っているの!?という位のもので、ショスタコーヴィチの名を挙げて悦に浸る同志は多くともヒンデミットという何はそうそう「同志」を見かけることは少なかったものですが、奇しくも同氏の没50年というメモリアル・イヤーである今年、聴衆の耳はやはり暖かな音楽的教養に輻射に依って理解が進んでいる事を實感している現在でもあり、隔世の感を憶えてしまうものでもあります。勿論今でも違和を抱く人も少なくはないでありましょうが、それも昔程ではないでありましょう(笑)。


 薈庭楽話を読んでいると、南葵楽堂でのパイプ・オルガン設置時のやはり百年程昔の頃の逸話に興味深い事実があるのですが、オルガンの基準ピッチは435Hzで設計され、その時代のオーケストラの演奏は455Hzだったそうです。440Hzを世界基準となるのは1939年の事ですから、今から「たった」100年前の基準ピッチなど、それほど迄に高かったのか!とあらためて驚かされることしきりです。435Hzと455Hzでは3四分音よりも大きい(≒78.8セント)ほどの広がりなのですから、先の著書でも語られていますが「ほぼ」1半音違うワケですね。


 これから半世紀ほど経過すると別宮貞雄氏が自身の著書「音楽の不思議」で絶対音高についてとても深く掘り下げて居られるので、近年ベストセラーとなったような「絶対音感」などを読む前に是非別宮貞雄氏の方をお読みになることをオススメしますが、現在と比較しても高いコンサート・ピッチを「受容」する背景は、結果的に周囲がそうしたピッチであると、基準となる「位置」が変わっているだけの事で、調性が齎す「調的な」色合い、例えば、ハ長調とロ長調やハ長調と変ニ長調の調的な性格の違いは本当にあるのか!?という事実は結果的にその時代々々の基準が作り出しているという事が述べられており、その基準の變化が「緩やかな輻射のような」変遷を辿るため、劇的な変化としては感じられることなく違和の無い「基準」が生まれているのが背景にあるという事をあらためて實感させてくれるのが別宮貞雄の著書が述べている非常に重要な部分であるのですね。是亦良著なのでお勧めする譯ですが、岩波書店さんの100周年というのに他社の書籍ばかり取り上げてしまって申し訳ないことしきりであります(笑)。


 私が学籍に身を置いていた80年代前半、西洋音樂の史実を學ぶ為に初めてその時、ベッドフォードの名を見たことがあります。後年、90年代後半になると某プログレ系雑誌に小沼純一氏が寄稿されている事を目にして、マイク・オールドフィールド繋がりのベッドフォードの件はもとより、サード・イヤー・バンドの名を挙げていたりして、プログレッシヴ・ロックの西洋音樂の仕来りの導入と影響やらの背景を史実を克明にする譯ではなくとも読み手に對して知的好奇心をくすぐる文章のそれに、優しさを感じたものであります。しかし大半のポピュラー方面の人間というのはそうした優しさを認知はしていても振りほどくかのように無視・忌避する處があり厄介な部分でもありますが(笑)、それを薄々感じていたにしてもあのように語るのは素晴らしく、史実がブレる譯ではないので、立ち居振る舞いがブレないという強固な地盤は、正統な理解に及ぶことが大切なのだとつくづく實感したのが「ひとまわり」と形容すればよいのでありましょうか(笑)。


 一世紀>国内平均寿命>60年政府補償>半世紀>住宅ローン>四半世紀>一回り>10年という俯瞰でよろしいのでしょうかね。まあ「僕の月給一万円」という唄の後にヒンデミットの作曲の手引が350円、同じくヒンデミット「作曲家の世界」が320円だったという事を考えると、月給の3%位の値段が、今も尚私がバイブルとしている本であるという譯ですが、貨幣価値やら経済とやら移り変わりが激しいのに、不思議と音楽は普遍的な處があるモノで、考えさせられることしきりです。但し、実生活に於て我々はそれ程大胆な變化を求めているのかというとおそらく大きな變化は求めてはおらず(健康や健常を害する物は別として)、世の中の移ろいから生じる心象を、音楽の在り方に投影してしまってはいけないと思うワケですね。音楽に身を委ねようとも、音楽への理解が乏しくなってしまう程の難しい響きを捉えるにあたって、実生活の尺度を要求してはならないという事を云われているようでもあります(笑)。


 そうして、今一度岩波書店さんの音楽関連の本を振り返ると、

海老沢敏著 「モーツァルトを聴く」
芥川也寸志著 「音楽の基礎」
諸井誠著 「音楽の現代史」
小倉朗著 「現代音楽を語る」
小倉朗著 「日本の耳」

という、孰れも新書ではありますが、こうした處に私は知識の源泉に水を貯えられた様に思える訳であります。

 音楽に對して、それほど多くの反復を伴わなくとも理解に及ぶように耳(=脳)を鍛えることが最も重要なのでありますが、器楽的な心得の希薄な人だと音楽には或る一定上の反復が理解に必要なので、ついつい実生活の時間のスパンを音楽に責任を押し付けてしまって聴く事が往々にしてありますが、耳が鍛えられないからそもそもそういう聴き方になってしまうというジレンマに嵌るのでありまして、音楽的な時間のスパンを身勝手に自身の実生活の時間の進捗具合に都合よく投影してはいけません。祝!岩波書店100周年。

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