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調的勾配とは [楽理]

 「調的勾配」とやらを視覚化すれば能く判ると思うので、あらためて次のex.2の様に示すとします。
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 「前に存在する和音の根音を、後発の和音への上音(倍音)へと取り込む」という事で調的な勾配、つまり調的な揺さぶりをかけて弾みを得るというこれこそが「進行感」の最たるモノであるという事が自ずと理解できるでありましょう。

 ヘプタトニック社会という半音階から7音が抜粋されたその組織ではその段階では単なるstill life(=静物)と等しい扱いでありましょうが、12音から6:6という風にならずに分銅を付けたかのように偏りが生じているのがそれだとイメージしてもらえれば調性という偏向具合はお判りになりやすいかと思います。その重しに時間的な揺さぶりを付けるために前述の様な、前の和音の根音を後発の和音の上方に取り込んでいくことによって勾配という弾みを得るという事を云いたいのであります。とはいえこの勾配がなくとも分銅のように偏りを作られたヘプタトニック組織は、長音階の夫々の音を例に取れば、主音・上主音・上中音・下属音・属音・下中音・導音という風に各「重し」には名称が割り当てられているモノでもあります。

 能く、強固な絶対音感が故に調性無関係に固定ドを頭にイメージしてしまう為、どんな調性であろうとも常に固定ド(つまりいわんとする事はハ長調におけるヘプタトニック組織)、つまり幹音を映じてしまう程のそれを何万人に一人かのように特別視することがありますが、この手の人の場合どんな調性を耳にしようとも調的社会のヘプタトニック組織を獲得できないということを意味しているので、ハ長調の曲しか理解できない事となってしまいます(笑)。おそらくこの手の話はテレビドラマや漫画の類の見すぎから生じていて、しかも調的社会の先の7音の役割を全く理解できないのでしょうから、おそらく楽理的側面を文面だけで理解しようとはしても音として理解が進んでいない人が相対音感を育むことなく机上の空論で話を誇張してしまったのではないかと思うのでありますね(嘲笑)。


 ある程度ピアノをやる人ならば、低いgis音(※この音を固定ドの見渡しの階名で言えばソ♯。 しかしハ長調の見渡しではハ長調にはソ♯という音は派生音としてしか現われず幹音としてはありません。近代での短音階での取り扱いで生ずる短音階の第7音は長音階の第7音と異なる「下主音」という音が導音として半音上がった音であればハ長調の平行短調であるイ短調にて発生する音ではありますがハ長調には元から存在しない派生的な音であるため、固定ド的見渡しでは単なるソ♯の音であり、長音階での単なるフラット・サブメディアントという音の扱いになるだけであるため、その呼び名として取り上げているだけで取り扱いには注意)の単音を聴かせられれば、その音名をgisと答えるばかりでなく、其の音に「属音」の雰囲気を感じ取る事でしょう。低域の音が常に主音に聴こえてしまう様な調性感覚を身に付けるのも有り得ない事なのです。なぜなら低域のgis音が示す最たる有名な曲は、ショパンの幻想即興曲冒頭の属音だからです。そういう背景で調的勾配が創造されているという事をあらためて念頭に置いた上であらためて調的勾配についてお読みいただければ幸いです。

 注 通常少なくとも近代での短音階の第7音の取り扱いは第7音は既に「導音」化して語られるのが一般的な楽典での解釈です。例えばシャイエ、シャラン共著の『音楽の総理論』だと短音階での第7音の取り扱いは導音化する前の音を先述にある様に「下主音」として呼び、短音階の第7音を半音あげた導音と区別しております。書籍は変わってエルネ・レンドヴァイ著の『音のシンメトリー』では、こうした短音階の第7音の変化を《調性の発酵》という実に含蓄に富んだ言葉で表現しているのも参考になるでしょう。

 扨て、先の図の「T・D・S」が表しているのは、勿論「トニック、ドミナント、サブドミナント」の頭文字を示す物です。各和音のコードネームまで載せなくとも十分であろうと思いコードネーム迄は併記しておりませんが、トニック以降の和音進行からサブドミナント→ドミナント→トニック、という一連の和音進行は四度進行となっているのは明白であります。つまりサブドミナント機能を持つハ長調のスーパートニック(=上主音)であるd音を根音とする和音(Dm7)はドミナントという属七和音(G7)へ進行し、トニック(C)へ解決するという流れを示しているのです。


 扨て、濱瀬元彦氏がつい最近出版された著書「チャーリー・パーカーの技法」(岩波書店刊)では、15度音程を用い乍ら「Relative」という言葉を使って、3度下の音程を逃げ水の様に探るそれを非常に巧く解説しているのですが、15度音程という見渡しは、ヘプタトニック領域を俯瞰する上でとても重要であります。亦、同様に氏が四度進行を6度に置換させる手法にあまりピンと来ない方は次の様に私が語る事で、調的な「勾配」が付けられているものだという事を理解しておいて欲しいと思います。


 基本的に茲で必要な事前知識としてはジャン=フィリップ・ラモーに依る「根音バス」についての理解でありましょう。しかも全音階組織の根音バスではなく、「半音階的全音階」組織内での根音バスです。勿論「半音階的全音階」というシステムに必要な根音バスの理解は初歩的な根音バスの扱いではなく、その先の根音バスの取り扱いです。


 通常根音バスというのは、仮に下からe音、c音、g音という音があった時、これは和音としてCの長和音という風にカテゴライズしつつ、物理的には茲ではe音が一番下にあるものの、和音の機能としての「真の」バスはC音である、というのが根音バスがいわんとする事です。現今のポピュラー音楽界隈でのコード・ネームに於てC(on E)となっていれば3度ベースではあるものの根音バスはC音と言う事を意味します。


 扨て、半音階的な組織として視野を拡張すると、和音は「relative」な方向の拡張を見る様になります。つまり、自身の和音の6度上方向(3度下)に目を向けるようになります。

 仮にイ短調(=Am)の主和音Amという短三和音があった時、「この和音の根音バスはAではあるものの、本当にAなのか!?」という風に根音バスを懐疑的に見て行くという事は、調性を懐疑的に見る事に等しいワケです。つまるところ、通常の調的社会では「全音階的枠組み」(=ダイアトニック)という仕組みが「壁」を作って呉れているので、その壁に凭れ掛かっていれば壁の外側に突き抜ける事なく身を委ねる事ができるのが通常の調的社会であります。

 しかし、ノン・ダイアトニックな音が必要とされる場合、その全音階的枠組みが作って呉れていた壁を突き抜ける必要があるため、調的社会を懐疑的に見る事と等しい状況が生まれます。つまり、Aマイナー・トライアドというのはイ短調社会では確かにそれ以上根音バスを探る必要はないのですが、ノン・ダイアトニック方面、つまり短調の主和音(トニック)から長六度(シャープ・サブメディアント)方向に根音バスを見出そうとするとfis音を見る必要が出て来るため、調性外の音が視野に入ります。


 このfis音への「脈」というのは西洋音楽では二重導音というものが生まれる300年程前から使って来た脈です。短調(茲ではイ短調のAマイナー)がドリア的性格を生む為にシャープ・サブメディアントの音を欲する時且つ長音階(平行調のCメジャー)がリディアとして嘯く時のfis音への動機として「頻繁に」使われるので、いっそのこと8つ目の階名としての地位を与えたらどうか!?と議論をされた位ポピュラーな脈なのです。調性外なのでありますけれど。しかしソコを体系はグッとこらえて既知の体系というヘプタトニックを維持して良かったとも思います。孰れ訪れる調性崩壊までヘプタトニックはトコトンその調的社会を追究したワケですから。J.S.バッハの頃に漸く次のフェーズへ音楽は変わるワケですね。


 扨て、先のex.2の図において和音の根音が進行する際、次の和音の倍音(上音)へと取り込まれる事で調的な進行感という弾みが付けられると、これが調的勾配の真相なのであると私は述べておりますが、これは旧い体系ではどれもが当然の様に述べている事でありまして、現今の著書ではエルネ・レンドヴァイ著の「バルトークの作曲技法」52頁の「註15」にて最も判りやすく詳述されている事でありましょう。

  こうした四度進行という(例:Dm7→G7→C)、それこそ普遍的とも思しきコード進行に慣れ切っている現今の我々の和声感は時に体系ばかりを追ってしまいかねず、あらゆるコード進行においても和音外の音を旋律として使う事に尻込みする様なメロディ構築しか会得していない者も珍しくありません。それどころか、経過的にであろうとも非和声音としての認知はおろか禁忌と覚えさせられてしまうアヴォイド・ノート(属七の包含を決定付ける音)ですらも恣意的に避けようとしてみたり(笑)、さすがのラモーも茲迄は予想していなかったかもしれませんが、基本的に和音という「体系」が今日使われる様になったのはラモーの貢献が大きいワケですが、平行和音で云う處のパラレル・モーションとしての「平行」ではなく、サブメディアント領域に位置する(つまり音階の六度)という意味での「平行」というのはRelativeという英語から用いられております。

 Cというメジャー・コードのrelativeな方向はa音を意味するのでありますが、先述した半音階的全音階を視野に入れたラモーの提唱する根音バスというのをあらためて念頭に置いた場合、確かに「全音階」組織においてはダイアトニックな音だけを見渡せば良いのですが、それとは異なる「半音階的全音階」という7音というヘプタトニック社会の情緒を用い乍ら局所的に半音の変化をさせて曲調に彩りを豊かにさせて弾みを付ける方法が蔓延する様になると、所謂「ノン・ダイアトニック」な音として位置する方向を見る必要性も生じたりします。これが意味するのは、先の短音階でのシャープ・サブメディアントの例とは異なり、例えばハ長調の長音階で在り乍ら、主音の「ノン・ダイアトニックな方にあるrelativeな音は、as(A♭)音という存在を見る事と同意です。


 ヘプタトニックという単なる全音階的組織として和音機能を一切鑑みることなく見た場合、その全音階組織はトニック、ドミナント、サブドミナントという機能はとりあえず無関係になり各和音は平衡な存在としてある筈ですが、和音を連結すると不思議な事に情緒が生まれます。これが「勾配」です。

 平衡的な枠組みから四度進行という「弾み」を貰った調性社会は、その四度進行をさらに「六度」へ変換することで調的な弾みがさらに付けられているというのがチャーリー・パーカーの技法の中で述べられていることを意味するのだと理解されれば良いでしょう。ジャズではあるコード進行の過程で、例えば四度進行内にてめまぐるしく細分化したアプローチが必要な時が多々生じます。つまり、背景的な度数のディグリー表記で喩えれば「I」という和音の姿だけで良かったものを、次のコードに進む前にそれをツーファイヴとして解体することも珍しくはありません。こうしたツーファイヴの解体ばかりでなく、一連のツーファイヴにrelativeな六度へ置換させ乍らさらに調的な情緒を齎す勾配に弾みを付けている技法が六度の置換であるという事の理解が必要である、と私は補足しているのであります。

 しかし、濱瀬元彦の先の著書ではノン・ダイアトニックな見渡しで六度を見るのではなく敢えてダイアトニックに見ます。それは調所属というヘプタトニック社会はいつ局所的に転調という他調の拝借があってもおかしくない社会にて逐次調所属を見た時では、その和音の調性の所属を逐次ヘプタトニックとして見渡せば十分であり、それらが順次、次に生ずる和音進行において他の調性へと軌道が変わる夫々の和音の中で逐次ダイアトニックな見方をすれば良いだけの事であり、一つ一つの和音を歪曲して考えるのではなく六度の方向を常に見渡す事で調的社会の中に在る音を使う為の脈を探ろうとしているが故に必要な見方なのでありますね。

 例えばDm7→G7というコード進行(=四度進行)においてDm7を六度に解体すればD音の六度関係を見る、つまりDm7→G7のプロセス内にBm7(♭5)を挟む、そうして別の脈を得ようとする時平行関係(=六度相当)の脈が必要なのだという事を述べているワケですね。

 濱瀬氏の著書内では減五度変換という物を詳述しておりませんが、これはそもそもドミナント7thコードという体系をブルースやジャズの世界が「変格」的に使っているそれが示している最たる例でありますが、そもそも属七の和音の体は「不協和音」である、という大前提を理解しておかなくてはなりません。

 更に大前提というのは、不協和音が協和的な和音に進行する際、これはあらゆる不協和音はドミナント(コード)としての機能と同等になるというそれも、現今の著書では青島広志氏が「究極の楽典」に於いて語っているのと同様であります(つづく)。

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