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投影法 參 [楽理]

 ドリアン・トータルという和音が生じている状況では、全音階的要素を強く出したいのでしたら基底音から生ずるスケール・トニックとしての旋法性つまりドリアン・モードという旋法性(=モーダル)な雰囲気を演出してあげる方がよろしいでしょう。


 同時に「総和音」という和音というのは実際に七声を奏するのではなく旋法性の為のものとして、いっその事概念的な物として理解しておいた方が全音階的な役割のままでモーダルに留めるのでしたらそうした理解の方がアプローチしやすいでしょう。なぜかというと、全音階的組織を遵守するならば、ドリアン・トータルからフリジアン・トータルやハ調域での他の総和音へ進むにしてもその全音階的枠組みでの和声の動きはrelativeな状況を繰り返すか又は倒置である為、基底音だけが異なる静的な状況であるからです。

 そうした全音階的な雰囲気を跳越してノン・ダイアトニックな音脈を生じて、そうしたノン・ダイアトニックへ進む時、パラレル・モーションの要素が強く出る、つまり凝集した和音はパラレル・モーションという動きが創られるというのはそうした意味からなのです(何度も語っておりますが)。その和音が滲ませようとする世界観はノン・ダイアトニックな方への誘引力も兼ねているのです。

 とはいえDm9(11、13)という和音では、モーダル的要素では一発のモード的な物として響かせても良いですが、全音階組織を次の進行でも遵守するのであれば七声は和声的な響きとして閉塞感を与えてしまいかねません。ですから七声の中から断片を抜萃した方がより使い勝手は良くなるでしょうし、一般的にはその方が使い易いでしょう。こうしてドリアン・トータルという総和音を「和声的」に見ましたが、ドリアン・トータルに対して図には無い15度音つまり根音と同一音を与えてみましょう。すると「3・4・3・4・3・4・3」という音程で「一周」すると同時に対称性が見えてきます。ドリアン・スケールという風に旋法的に水平に見立ててもそれは上行&下行形ともに対称形であり「回文」的な対称性が見えてきます。これが先にも語ったパリンドロームとして見る事の出来るモノです。

 パリンドロームは、半音階を視野に入れた時のピッチ・クラス・セットという側面で見ると非常に興味深い事があるのですが、これは応用的な方向で後述する事にします。とりあえずはドリアン・トータルであろうとドリアン・モードであろうと垂直レベルにも水平レベルにも対称性がある、というのはお判りいただけた事でしょうが、何も対称性を持つ総和音に対してしか対称性で見渡す資格は無いという事では決してありません。他の総和音に対しても平等に「対称的構造」を見る事は可能なのです。

 例えば、下方倍音列でも取り上げたものですが、フーゴー・リーマンの下方倍音列というもので、日本国内でこれまで刊行された音楽書の中で最も判り易く語られているものは、ヴァンサン・ダンディ著『作曲法講義 第1巻』でありましょう。

 例えばアイオニアン・スケール。これはハ調域で言えばCメジャー・スケールです。Cアイオニアンと「鏡像」にある対称形はEフリジアンの下行形です。つまり、対称形が基のメディアントと共有して上行と下行で投影し合っているのであります。
 同様に、Cアイオニアンとスケールトニックであるハ音を他調の「メディアント」として共有し合っている状況は、変イ長調のメディアント(=C音)がCアイオニアンと共有している事になりますが、この時、Cアイオニアンは完全な鏡像を生むのです。結果的に変イ長調の平行短調であるヘ短調の組織とハ長調が上と下が完全にひっくり返った対称形を生むというのは以前にもTonnetzという語句を用いて語った通りですので、今回あらためて態々図示したりはしません。


 扨て、こうした他調由来の世界観の導出は、ハ長調の音組織だけでごく普通に全音階組織を遵守して曲を奏している限り、ヘ短調の音脈など全く意識の外にある事でありましょう(笑)。しかし、ある程度音楽的素養が深まれば、サブドミナント・マイナーというコード進行の技法のひとつを会得するでしょうし、そうした時に仄かにヘ短調側にある脈絡をようやく体現することになる一つの例でしょうが、サブドミナント・マイナーを使ったからといって使い手側としてはハ長調組織の中にヘ短調が併存している様な世界観としては使っていない事だけはなんとなく感じ取っている事でありましょう。

 併存という、もっと複雑な音組織は原調の和音を凝集させないとそういう脈絡は脳裡に映ずる事は無理でしょう。ハ長調側の和音組織を凝集させて、和音そのものがノン・ダイアトニックなパラレル・モーションの要素が滲み出て来るような導出をする様な時に、ヘ短調の脈を滲ませる事によって、下声部にFマイナー・トライアドと上声部にCメジャー・トライアドを併存させて「FmM9」という和音の脈に辿り着いたりする事で、ハ長調からFマイナー系の音を導出させるにはどういう動機で導出が可能なのか!?という事は、和音を凝集させていけば見付ける事が出来るでありましょう。

 しかし、この様に私が語ってもそれにピンと来ない人は、和音体得が出来ていないからに過ぎません。つまり、思弁的にこうした事を捉えても和音体得が出来ていない限り、和声的感覚が身に付く事は出来ないのです。思弁だけに頼って和音体得というのは先ず無理な事でありましょう。


 扨て、一般的な投影法がまだピンと来ない人に、もっと身近に投影法の素晴しさと可能性の一つを挙げる事にしましょう。

 今からもう4年ほど前の私のブログで「Under the Influence」というタイトルで語っていた事なのですが、つまり、一般的にモード奏法という技法を体得する際、そのモード奏法ではノン・ダイアトニック・コードに対してどういうモード想起でもって対処するか!?というモード奏法の初歩を例に挙げつつ、其の時の例としては、ハ長調においてG7の代理でありD♭7を生じた時に、モード奏法の初歩としてはD♭7の出現時にD♭ミクソリディアンを想起して、そのモード・スケールを充てるという事を述べていた記事だった訳ですが、とはいえD♭7という和音というのはD♭とA♭音だけがノン・ダイアトニックであり、D♭7の3rd音であるF音はハ長調内で生ずる共通の音階固有音であり、7th音であるC♭音は異名同音的にハ長調のロ音(英名:B音)として共通の音階固有音として看做せば、D♭ミクソリディアンというモード想起で「D♭・E♭・F、G♭・A♭・B♭・C♭」という音を生んでしまえば、共通する音階固有音というのは限りなく少ない状況になります。それらのハ長調の音階固有音からは縁遠い音が恰も「オルタード・テンション」を生む状況に近しい為、「なんちゃってオルタード・テンション」を弾いている感覚に陥るかもしれませんが、オルタード的な音を弾く事を制限され、なるべくハ長調の音組織を変える事なく奏する事を必要とされるシーンもあります。

 前者(=なんちゃってオルタード)がジャズのシーンであるとするならば、後者(ハ長調の音階固有音を成る可く固守する)はポップス関連の方で起こり得るシーンであるとも言えるでしょう。つまり、初歩的なモード奏法のモード想起では後者に対応出来なくなる閉塞を伴わせてしまいかねません。処が、以前私が語っていたブログでは「C・D♭・E・F・G・A♭、B・C」というモードを充てる事が、後者を解決する事になる最も手順の少ないモード想起であると語っていた事を覚えていらっしゃる方は、その後どうやって「昇華」させている事でしょうか。

 実は、この「C・D♭・E・F・G・A♭、B・C」というモードは「Cダブル・ハーモニック・メジャー」スケールというモード・スケールでありまして、その名の通り、増二度音程が2つある音階として知られているもので、単純に「ダブル・ハーモニック」という風にも呼ばれたりします。「ダブル・ハーモニック・マイナー」という名称は実は「ハンガリアン・マイナー」と全く同一のものでもあります。Cダブル・ハーモニック・メジャーという音階は実は、Fハンガリアン・マイナーの第5音をスケール・トニックとするモード、という事が譜例fig.5からあらためて能く理解できる事でしょうし、その音程構造の対称形(=シンメトリカル)を持つ構造というのも重ねて理解に及ぶ事でありましょう。
Hybrid05.jpg


 扨て、ダブル・ハーモニック・メジャーというスケールは、ドリアン・スケールと同様、「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」(笑)というシンメトリカルな構造を持っております。ドリアンやダブル・ハーモニック・メジャーの様にシンメトリカルな状況にある旋法でダイアトニック・コードを形成すると、その和音もやはり対称性を持つのでありまして、実は先の、ハ長調に於けるD♭7の出現に於いての「後者」というのはCダブル・ハーモニック・メジャーの第2音をスケール・トニックとするモードの創出であり、それはポップス界でも重要でもありますが、本当はジャズ的にも非常に可能性を秘めている投影法を示唆する大変興味深いモノなのであります。こうした所に気付かない様ではダメなんですね(笑)。

 扨て、ダブル・ハーモニック・メジャーというモード想起をすると、D♭7という和音の構成音「D♭、F、A♭、C♭」というそれは、Cダブル・ハーモニック・メジャーのD♭上で生ずる七の和音と少々異なるという事は強調しておかなくてはなりません。そうです。恰もD♭7という和音として振る舞っていたCダブル・ハーモニック・メジャーでのII度の和音は増6の和音なのです。しかし、G7をD♭7として使って、それを最小限の音階固有音として振る舞わせる状況を創出する事で増6を使ったとはいえ、これがナポリの六度という解釈に至ってはいけません。増六度を使わざるを得ないのは、ヘプタトニックという7音列社会において七度音は必ずしや長七度になり、六度音は長七度音よりも半音低い処に存するモードを扱っている時に生じるモノなのです。ここで増六を使ったとはいえこれが西洋音楽方面のナポリの六度と混同してはなりません。しかし、増六を使ったアプローチになるという事だけは念頭におかなくてはなりません。これらの理解に及ぶ事が非常に重要な事なのです。


 以前にも私のブログにて、ジョン・エサリッジのプレイするバンド・ユニット2nd Visionの残したアルバムの中で「Putting Out The Bish」という曲中でのエニグマティック・スケールにて生ずる長七度と増六度の取り扱いの実際を取り上げた事がありましたが、それをあらためて理解する事で、増六度が生じる世界での根音、長七度、増六度という実際には半音音程の連続がどのような情緒を齎すのか!?という事は、YouTubeなどでアップロードされているのであらためてその情緒の深みとやらはお判りいただける事でしょう。ハンガリアン・マイナー・スケールの様に五度音周辺に半音が上下に寄り添う様な形の方が実際には使い易い筈ですが、その「半音が上下に寄り添う」形が増六度・長七度・根音という風に現われる事がどれだけ秀でた音使いであるのか!?という事もあらためてお判りになるでしょう。


 つまり、ハ長調という調域でG7を代理のD♭7という風に置換した時の大抵の振る舞いの陥穽は、D♭7上でD♭ミクソリディアンを充ててしまう事でC音の存在をスポイルしてしまう所にある訳ですね。C音という長七度に存する音は背景に備わるD♭ダブル・ハーモニック・メジャー・モードの音としてイメージしつつ、G7の代理である裏コードD♭7の7th音=C♭音は、実際には7th音としてではなくD♭ダブル・ハーモニック・メジャー・モードの第6音=増六度として置換させて(意識して)使わなければいけないのです。

 処が、長三和音に増六度が附加される和音体系など実際には整備されていない訳です。遣るとするならばD♭6+という風になるでしょうが、この表記で即座に増六を見抜く人は極めて少ないと思いますし、増六があるという事で、七度の存在は長七度であるという暗喩を見抜く事も必要とされるこの表記は、却ってコード表記の即断性が、慮るべき理解を遠ざけてしまいかねない事にもなりかねません。いや、其の危険性の方が充分高いでありましょう。

 取り敢えず言っておきたい事は、現今社会でのモード奏法(ジャズ/ポピュラー音楽)の教育に於いて増六を意識させない教育法には問題があるという事をこうして声高に語っておかなくてはならない訳です。そんな愚かな体系から自力で増六度への確かな理解を伴わせるには、少なくとも私の経験では西洋音楽方面の体系をその後きっちりとやらなければ獲得できない理解でありました。現今のポピュラー音楽界隈の理論書を見ても、このような体系を謳っているものは残念乍ら遭遇してはおりません。つまりそうした体系がなければ、ポピュラー体系はいつまでも増六度を短七度という同義音程として理解せられて、本来存する筈の長七度音が追いやられてしまう事がどれほど馬鹿げているかという事にも気付かずに理解してしまう事になります(つづく)。

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