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投影法 肆 [楽理]

 賢明な方なら、過去の私のブログ記事のジョン・エサリッジのプレイする「Putting Out The Bish」や「Under the Influence」と称した記事にて既に私の意図を感じ取っている筈であります。「Under the Influence」という記事であらためて念押ししておきたい所は、その記事は「増四度と減五度の違い」からの流れである事も重要であるのでその辺の理解をスポイルされては困ります。


 そんな意図を強烈に感じ取って呉れる方々というのは正直な所西洋音楽由来の知識を有している人であると言わざるを得ないでありましょう。別にジャズ/ポピュラー界隈の人間を貶めたい訳ではないのですよ(笑)。しかし、ジャズ界隈の人間は理論体系を学ぶ際、嘗ては非常に貪欲なものでした。それが80年代という世がデジタル一辺倒になってジャズが一旦「駆逐」されるかの様に「デフォルト」を起こした時から、ジャズの理論体系は完全に惰性化してしまった感があるのは否めません。現に今でもオリジナリティを持ってして尖鋭的にジャズというシーンでご活躍されている方々はジャズ黄金期の生き仏ばかりであるのが実際じゃないですか!(笑)

 彼等を跳越できない、または彼等に倣うだけでもその彼岸を知る事が出来る筈なのに、そうした実際の体系の外にある物を整備化しないのは、自身の音楽家としての差異付けが赤裸々になる事を畏れてジャズの巨人から制限されているという訳でもないでしょう(笑)。その彼岸に辿り着けないのは、既知の体系が邪魔をしているからに過ぎないのであります。それは喩えるならば登山に行くのにスケート靴履かされて行く様なモンですわ。ま、山登り行くのにスケート靴履かせた者はジョージ・ラッセルが筆頭ですがね(笑)。渡辺貞夫著『ジャズ・スタディ』は言うなれば草鞋ですわ。但し、登山靴をみんな履いて来ているのに草鞋に履き替えさせられるという。

 という訳で本題に戻りますが、fig.5に示すCダブル・ハーモニック・メジャー・スケールというのはFハンガリアン・マイナーの第5音のモードでもあるというのは前回述べた通り。
Hybrid05.jpg

 ハンガリアン・マイナーというのは「ジプシー調」という風にも旧くから謂われており、特に国内ではトゥイレ著・山根銀二、渡鏡子共訳『和声学』内にて詳述されておりますが、ジプシー調で生ずるダイアトニック・コードで顕著なのはfig.6の赤い音符が示している様に硬減和音が生まれる所なのですね。つまり、Cダブル・ハーモニック・メジャーの第5音上の和音は硬減七(茲での七は短七の意)の和音を生ずるのであります。
Hybrid06.jpg

 今一度語っておきますが、硬減和音というのは減三和音の第3音が半音上がった物を出自とします。見かけ上はメジャー・トライアドの第5音が半音下がった様に見えますが、メジャー・トライアドで生ずるテンション・ノートが増十一度(#11th)を生ずる事が多いので、硬減和音は♯11thだと誤解に陥る人が大変多いのですが、増11度というのは単音程へ転回すればそれは「増四度」であり五度由来の音程ではありませんので全く別物です。つまり硬減和音は「減五度」を母体とする為、四度音は増四度の所に存する訳が無いのです。

 ジャズ/ポピュラー体系のコード表記に於いて硬減和音を表記するならば、便宜的に「△(♭5)」としなければいけないかもしれませんが、これとて基底和音がメジャー・トライアド由来からの変化を醸す表現で腑に落ちない處があります。和音の出自に配慮するならば「dim3+」が適当とも言えるでしょう。然し、ジャズ/ポピュラー体系ではリディアン系サウンドを生じている所で、質素な和音体系の時には「△(♭5)」としていたりする様な例を見掛けたりしますがこれは本当は間違いです。メジャー・トライアドの第五音が半音下がっているのであれば和音外音である第4音は完全四度である可きです。おそらく九割方、長三度と完全四度と減五度をきちんと使い分けた上で硬減和音として取り扱っている人として見掛ける事は無いのが実情でありましょう(笑)。


 扨て、今一度「ダブル・ハーモニック・メジャー」のそれが対称形である、という事を念頭に置かなくてはなりません。それは、上から読んでも下から読んでも「山本山」状態であるので、投影法を兼備した旋法とも言えるのです。チャーチ・モードで投影法を自発的に生じているのは「ドリアン」のみです。

 しかし、前にも語っている様に投影法の出来は、パラレル・モーションの動機が生まれる時の様に和音の凝集が起こる事で、和音外音の「逃げ道」としてノン・ダイアトニック方面へ動きが滲み出ると思っていただいて構いませんが、自発的に投影法を兼備している旋法では、そこから生ずるダイアトニック・コードを積極的に用いる事で投影法から発展される音脈を使う事が容易でもあるのです。抑も投影としての音脈は、均齊・対称の色を強め、それは不協和音として特徴的な紋様なのです。不協和音という和音の芳香が、より一層次の安定した和音への勾配の為に使われるのではなく、色彩を伴った和音として均衡的に存在する振る舞いとして考えていただくと、私が以前から述べている「不協和音の均衡状態」という意味をお判りいただける事でありましょう。ですから、不協和音の均衡状態は協和音への解決が目的とする物ではないという理解をしていただきたいのであります。ですから、高度な不協和音を生じさせる為に積極的に投影法を用いるのはそういう狙いからであります。

 処が、不協和音への響きの獲得も思弁的にしか備わっておらず、音楽的素養が全音階的社会での振る舞いでしか強固な素地しか持たない者からすると、こうした方面の楽理的解釈が全く伝わらないのでありますね(笑)。理解しようとすると全音階的振る舞いの知識に依拠する事しかできないのでなかなか伝わらないのです。それは響きそのものの在り方を体得していないからなのであります。一向に体得できないのに思弁で和音の響きを獲得するというのは無理な事です(笑)。処が、音楽が齎す情緒を哲学的に捉えれば、楽曲の情緒は哲学の力を借りて音楽が齎す芳香をきちんと体得する事ができると思い込んでしまう輩が非常に多く存在するのはこういう所に寄りすがるからであります。哲学的思想に遵守していれば音楽的素養も高められると思い込んでしまっているんでしょうな(笑)。テレビで料理番組を見て香りや味を実感した事がありますか!?料理を思弁的に捉える事で香りや味を実感して腹を満たしてくれるモノでしょうか!?(笑)。

 音楽を思弁的に捉える事で大事な事は、自身の主観を排除する為である筈です。処が音楽を深く考えようとすると途端に己の感想を以てしないと語れなくなる。これでは主観ありきになってしまう。だから他人の言を借りれば音楽を客観的に見る事になると思い込み、その上で客観的な表現を下に己の感想を上塗りしてしまう。何れにしてもこうした行動は誤りです(笑)。テレビの料理番組オカズにしてメシ食ってろと言いたい(笑)。ネットやSNS上ではこういう輩が多いでしょう。bot化してしまっている様な者とか顕著ですね。

 ネットで最も便利なのは、本質そのものへの道が曖昧模糊であっても、その本質を手繰り寄せるという検索が多岐に亙る為貢献度を高めているのであります。つまり、思弁が本質に辿り着く事だと実感(錯覚)してしまう事が現実社会として聳える状況になってしまった。しかし、ネットの検索とやらは実際には本質にどれだけ辿り着く事があるでしょうか!?とかく叡智方面の事となると正答に辿り着いた筈であるにも拘らず、自身の智の脆弱さがその回答を相容れない事の方が多いのが現実ではないでしょうか?答が一向に出ることなくクリック数を稼ぐ場としてしか機能していない様な集まりになっていたりしていませんかね?

 こういう風な喩えを以てすれば、全音階的な素地の理解だけで不協和音の為の高度な音脈の構築の為に投影法という技法を用いる現実を理解しようとするのはあまりに無茶な事でして、確かに全音階的社会からすればそりゃあ投影される側に下方倍音列として生じた音は聴こえる譯はありませんわ。

 でもそれならば聴こえる譯の無い音脈を探る事が無謀であると断罪してしまっている事と同じである訳です。そこまで決め付けるのであれば、行った事もない場所へネットで検索して行こうとする事など無謀じゃありませんかね?

 実際には無謀じゃないでしょう。本質に辿り着こうとするのをやめない限りは。

 音楽の場合は、(体得に)磨きがかかっていない状況にある耳が、高次な音を拒絶してしまうだけなのですよ。行った事もない場所が猥雑でアンダーグラウンドな街ならば、それこそ小供ならば及び腰になって身じろぎしてしまうかもしれない。そこで行動をやめれば辿り着かない訳ですね。音楽の場合での熟達に足りない人というのは、高次な音の凝集に依るその極端な「硬い響き」を全音階的方面のみの解釈から総じて「汚穢」として片付けてしまう嫌いがある人が圧倒的に多いんですね。それは決して汚いのではなく、熟達に足りないのであります。喩えるならば靴を汚したくないから外へ出ない蟄居に到っているだけの事ですよ、それは(笑)。


 そんな訳で今度は、総和音の魅力について語る事にしましょうか。チャーチ・モードの全音階的総和音ではなかなか伝わりづらい所があるので、非チャーチ・モードのヘプタトニックに於ける総和音を例に出してみることに。

 これは先頃私がTwitter上でも呟いていた総和音同士の連結なのですが、譜例のfig.7aはAハーモニック・マイナーとfig.7bのCハーモニック・メジャーの夫々の総和音を使った総和音の進行がfig.7cのものとなります。
Hybrid07.jpg

 扨て、fig7cの最初の総和音は便宜的にE△/Dm7としております。それが次の総和音へ進行する際には上声部を四声体・下声部を三声体にして、前後の総和音の構成音は「3/4 → 4/3」という風に並進行の動きを導出する様にメリハリを付けた解釈として現しております。とはいえこれは和音の解釈の上で必要な倒置法のひとつであり、必ずしもこの解釈だけが方策ではありません。E△/Dm7をCM7aug/Dmと捉える事も可能ですし、A♭△7aug/BdimをC△/Bdim7(※この場合、上と下との2組の和音が短九度でセパレートしているのが絶妙)として捉えるのも一つの方法という事です。とはいえ今回は譜例の通りの例で進める事にします。


 E△/Dm7の各構成音の音程巾は「3・4・3・4・4・3(3)」(※カッコは不可視である15度音との音程)という構造で、A♭△7aug/Bdimの各構成音の音程巾は「3・3・3・4・4・3(4)」という構造です。

 これら二組の総和音の進行は一見relativeに動いているように見えますが、相互の基底和音部分の「3・4・3」が「3・3・3」という風になっている事で、並進行を伴わせつつ上声部が「4・4・3」のパラレル・モーションという事が判ります。また、G#音とA♭音という異名同音を巧みに使って、僅かな並進行が「勾配」となっているので差異感のメリハリが付いているのであります。

 こういう状況は、ピッチ・クラス・セットという風にして半音で生ずる音にそれぞれ番号を振れば、単に完全なパラレル・モーションであれば番号が変われど、音程巾に変化が無い様な状況などを直ぐに見抜くメリットがあります。とはいえピッチ・クラス・セットは何も単音程で見渡すのではなく、半音階が単なる短二度の順次進行である事を極力回避して複音程という幾多のオクターヴ相に拡大する事が最大のメリットである為、能く用いられる手法の一つです。然し乍らピッチ・クラス的に見ても先の二組の総和音の連結は完全な平行和音ではない事が音程構造から見て取れます。とはいえ一部はパラレル・モーション、他方では並進行が微妙に起きているのはお判りだと思います。

 12音技法、特にトータル・セリーの場合、1半音から11半音までの音程の種類があります。単に、単音程の中だけで12音を羅列してしまうと、順次進行的な要素や、音程によっては協和的要素が強く出るため12音を単音程内に鏤めるのではなく複音程に拡大する事が是とされる様になります。それを「均齊」的に使う為には、6半音という音程を早々と使ってしまうと、他の音程同士は協和的、または調性社会を想起しやすい音が残る事にもなってしまいます。つまり(1+11+2+10+3+9+4+8+5+7+6)=66半音を如何に鏤めるのか?という事が総音程音列の醍醐味なのですが、茲ではトータル・セリーを実行しようとしている物ではありません。とはいえ、半音階という音脈が単なる短二度の順次進行を招かない様にする為の「配慮」という点では見過ごせない操作があるという点は非常に注目すべき点であります(つづく)。

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