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マイク・マイニエリに学ぶ投影法 [楽理]

 扨て、今回は投影法という大変興味深い音楽的手法のひとつの実際をジャズ系ビブラフォン奏者であるマイク・マイニエリのプレイから学ぼうという主旨で語って行く事にします。


 投影法、即ちその方法の一つにミラー・モードと呼ばれる手法がありますが、一般的(ジャズ/ポピュラー界隈の一般的な楽理)な理解のある人でも、言葉自体は聞いた事があっても内容を能く知らない人が大多数というのが実情であるのは今も昔も代りはなく、更に残念な事に、こうした一般的に知られていない体系を虚構と捉えて断罪してしまう人がジャズ界隈のレイト・フォロワーの中に多く輩出されてしまっているのは実に嘆かわしいものでもあります。

 虚構と捉えてしまいかねないのも理由はあります。この手の体系をきちんと詳述して呉れている音楽関連書籍はパーシケッティ著・水野久一郎訳『20世紀の和声法』および濱瀬元彦著『ブルー・ノートと調性』しかありません。しかも後者は投影法などという語句は一切使わずに投影法に準ずる実例として下方倍音列という例を声高に語っている為、全音階的解釈から脱皮出来ない読者が突如眼前に遭遇するのは、既知の体系を余りに跳越する嫌いがあるのか、虚構という風に懐疑的に陥りそうな読み手のそれに更に防禦心を招いてしまいかねない程無理解に拍車を掛けてしまいかねない向きがあるものです。

 しかしそうした側面での責任の所在云々とまで言ってしまうのならば水野久一郎がどれほど懇切丁寧に『20th Century Harmony』の和訳をしていようとも、投影法という作法が全音階的枠組みである調性社会を跳越している事を大前提の理解として備えている人が少ないのも事実であり、結果的には一般的な知識の枠組みと大きく乖離してしまっている類の物は虚構として誤解されてしまうのが悲哀なる側面であるのも事実です。

 
 そこで今一度私のブログにて投影法関連の記事を読み返していただければと思うのでありますが、投影法という事を最大限に活かす音脈とは調性を逸脱する音脈を求める事です。即ちノン・ダイアトニックである音です。通常ならばノン・ダイアトニックな音というのは一時的な変化音に依って得られたり、一時的な転調やら、または他調の拝借を行なっているのが殆どです。しかし投影法で目指す音脈はそういうモノではありません。調性などは特定の音の可動的変化でどうにでも変化するもので、調性の長・短すらメリハリを付けるのもまどろっこしい、という位に目紛しく変化している様なモノで、調性など可動的変化で時には長・短の両性具有的に感じられ、時には目紛しいモード・チェンジ(移旋)がある様にも捉える事が可能で、その都度生じる音の変化は、そこに備わる音組織〈おんそしき〉も実に多様になります。

 ジャズに於いて、所謂一般的な楽理の理解ではそうそう説明が付けられない様な逸脱の方法論を持っているアーティストは間違いなく投影法を用いております。しかし、国内でそれをジャズ的アプローチで説明している人は濱瀬元彦を置いて他にはおりません。とはいえ、濱瀬元彦アレルギーを起こす様な愚かな者も居るので、私は濱瀬元彦とは別の角度から、投影法というものをマイク・マイニエリの実演を基にして詳らかに語った上で濱瀬元彦がいわんとする事やらを咀嚼して展開していこうと思っているのです。まあ、濱瀬元彦アレルギーを起こしている人というのは茲で私が氏の名前を出す時点で最早私の語る事すらもトンデモ扱いされるのでありましょうが(笑)、その手のアレルギーを起こしている人というのは全音階的理解の世界観から抜け打せられない人であり、和声的感覚の体得にも乏しい人であるからが故の事だと言い切る事ができます。その手の連中に手を差し延べていても仕方が無いので、ハナシを進めて行く事にしましょう。


 扨て、投影法という音脈というのは次の様な例の時に用いられる事が基本的な条件であると言えます。


◆和音体系に於いてカデンツという音組織に括られない
◆和音構成が重畳しい
◆平行を許容し得る
◆旋法的である
◆和声進行が稀薄



 これらを要約すれば、和声進行が動的ではなく(静的である)、モーダル(和声進行が稀薄で旋法的)であるという事が最たる特徴となる訳です。一般的にはジャズ/ポピュラー界隈では「一発モノ」という単一のコードで節廻しをする体系や、モーダルなパターンを演出し易い2コード・パターン等を置き換える事が可能なのであります。また、そのようなシーンに於いて必ずしもアンサンブルに存在する和音構成が多声的である必要はないのですが、和声進行に乏しく旋法的であるという事は、和音構成音としては垂直的に多くの声部となる構成音を聳えていようがそれは次の全音階的勾配とはならない事を意味しており、更には和音単体としての響きが夫々ひとつひとつ点在するかの様に響きを振る舞い乍ら他の和音へ移る時は概ね調性を逸脱する平行の動機となる事と重畳しい為平行の動機(調性を逸脱する)を得るという事を意味する事になるのです。

 そうした事を踏まえてみると、仮に和声的に重畳しく構成音を与えなくとも曲調がモーダルであったり一発モノの様な体系であった場合の音楽的社会構造自体を「総和音状態」として捉えてみれば、和声進行感に乏しい世界というのは逆の発想にて実際には和音を重畳しく聳えておらずとも和音を重ねた様に捉える事ができるという理解が必要なのです。

 西洋音楽界で「コード一発モノ」と形容し得る作品は、ラヴェルの『ボレロ』が好例であるでしょう。ボレロのそれは「移旋」が顕著です。多くの旋法(モード・チェンジ」に依って楽曲にメリハリを与えているのは明確に判ります。「ボレロ」は主題にそうした逸脱する音脈が現れるので判り易いのですが、他のシーンを考えれるならば、調性を逸脱する音脈を欲する為に平行の動機が現れる事に旋法性を利用する、という風にも解釈が可能なのであります。

 但し今回は、ラヴェルの『ボレロ』を語る譯ではないのですが、投影法というものを知った時に、ボレロのその多様さをあらためて発見する事も可能でしょうし、所謂「コード一発系」とか「モード」という体系の音楽の和声的・旋律的な振る舞いをあらためてジャズ界隈の演奏から知る事はとても重要であり、特に今回例に出すマイク・マイニエリはとても参考になるプレイをしている曲があるので、マイニエリの実例を基に解説していく事にしましょう。



BlueMontreux1s.jpg そういう訳で、マイク・マイニエリの実例として挙げる作品は、アリスタ・オールスターズ名義でCDリリースされている『Blue Montreux 1』収録のブレッカー兄弟の作品『Rocks』であります。この名盤はモントルー・ジャズ・フェスティヴァルのライヴ盤であり、非常に珍しいのはトニー・レヴィンが数曲チャップマン・スティックを使用している事であり、嘗てはリットーミュージック刊『ベース・マガジン』内にて渡辺健が同曲『Rocks』のスティックのメイン・リフを採譜していた事があったモノでした。

「渡辺健氏はスティック使うのか!?」と当時の私は驚いたものでしたが、チャップマン・スティックを使う者の間ではマスト・アルバムとしてかねてから知られていた物で、私も愛聴していたモノでした。

 というワケで、その『Rocks』をそのまま使うのは著作権に抵触しまいかねないので、私が音を採った物をリアレンジしたものをYouTubeにアップした音源を聴いて貰い乍ら解説をしていこうと思います。今一度念を押しておきますが、画像中に注釈が用意されている各モード・スケールは「基のモードのみ」呈示しております。常に投影法を視野に入れておく必要があるという事を忘れずに耳にしてほしいと思います。

 こうした前提理解をなく聴いてしまうと「モード想起間違ってんじゃねーか、馬鹿だろコイツ」と思われる音使いに遭遇するかと思いますが、投影法を前提に語っているのだからそれ位考慮に入れる事が出来る位の知識を有してから文句を言ってみろ馬鹿共が、と罵り返して遣りたい気持ちをグッと堪えつつ、投影法を常に視野に入れる事だけは絶対に忘れないで下さい。


 CDタイムで言うと5:19〜の辺りからマイク・マイニエリに依るビブラフォンのソロが始まるのですが、そのソロから24小節と弱起の1/4拍子分の歴時分を抜萃したプレイを耳にしてもらう事にしますが、今回のYouTubeにアップしたサンプルは簡易的にiMovieにて殆ど何の編輯も施していない是亦簡易的なモード解説画像と併せて確認していただく事に。
 一聽して判るのは、所謂このマイニエリのソロ部分は「Fマイナー一発」という風に呼ばれる類のモノであります。本曲ではFm7というコードを背景にしてそのコードそのものは進行していない静的な状態であるので、コード進行感よりも旋法性を強調しない事には曲を歌い上げる事が難しい訳です。とはいえ特にこの局面にて難しいプレイをする必要はないもののFm7というコードを背景に和音構成音ばかりを弾いていては誰もがつまらないと感じる事でありましょう。つまりそうした和音構成音とは異なる音を、和音進行感の無い状況で延々と弾く為には、通常はヘプタトニックの音組織を使い乍ら、或いはその都度音階固有音に対して半音上下の変化音附与する程度の揺さぶりを行なおうとする欲求が現れるのは決しておかしいものではなく普通に起こり得る欲求なのであります。

 
 つまり、カデンツという動的な和音進行が起こらない曲想に於ける音脈の欲求の起りとは、和音が重畳しく凝集する時に現れる「平行の動機」と近しい物になり、その平行から導出される音脈は調性を遵守する物とは全く異なるという寧ろ調性を逸脱する音脈であろう事は明白であります。更に言えばコード一発モノ系という物は、背景にアンサンブルとして奏される和音の実体がそれほど重畳しく聳えた物ではない状況であるとしても、そこでの静的な和音の振る舞いが、全音階的な音並びを遵守するよりも全音階を飛び越え調性を逸脱する音脈をより強固にする体系のひとつだと思っていただければ判りやすいでしょう。

 先の「Rocks」でのソロでのコードがFm7という四声体というシンプルな和音を背景にしてはいても、和音進行が稀薄なモーダルである状態が調性を逸脱する音脈を導出しやすい状況と踏まえて、よりダイナミックに投影法をそこに加えると思っていただければ良いのです。今回の曲「Rocks」では偶々マイナー7thコード一発系でありますが、ドミナント7th系一発のタイプ(本位十一度音が許容される)やsus4のタイプなど、コード一発系の物はこうした種類がありますが、何れにしても投影法を与える事は可能です。カデンツという和音進行体系が稀薄であるならば投影法は使いやすい状況と考えていただいても差し支えないでしょう。


 茲で漸く本題に戻りますが、基本的に「Rocks」でのFマイナー一発(※あくまでもマイニエリのソロ部分)、という状況では和声的にはFm7が背景にあり、其の上でFドリアンを基本とする(Fエオリアンではない)事を基本にしつつも、要所要所でモードが変わったり、投影法のアプローチが変わっていたりします。また、4/4拍子の1拍1拍が非常に重要でもあり、特に3・4拍目は細心の注意を払って「4拍子の惰性」に陥る事の無い様に耳を傾けてもらいたいと思います。更に付け加えておきますが、Fマイナー・コード一発を「マイニエリのソロ部分」と先ほど注釈を付けていたのは理由があります。

 原曲「Rocks」を御存知無い方にあらためて語っておきますが、マイニエリのソロ部分に相当する主題部ではクラビネットがFフリジアン系のリフを重ねてブレッカー兄弟らが長・短系の旋法の両性具有となる複調的フレーズを織り交ぜているのが本来のテーマです。単純にひっくるめてしまえばブルージィーな体系を高次に扱って両性具有性のあるテーマにしているのであります。処が、マイニエリのソロ部分はフリジアン系のクラビネットのリフも排除され、短旋法系の色合いが強く出ており、ギターはFm7を奏するという状況であるため、Fマイナーを基とするドリア調つまりドリアン・モードを基本としてマイニエリのソロを観察するという状況であるという事だけは念頭に置いていただきたい部分であります。元々の主題が両性具有的であるため何をやっても自由な状況であるという訳ではありません。マイニエリのソロ部分は両性具有を許容する様な脈が稀薄になるのにマイニエリはそれを巧く利用して投影法を用いつつ両性具有を更に高次に響かせているのです。


 それでは私の作ったサンプルの1〜3番迄を軽く説明しますが、それらの1〜3番のマイニエリのプレイの特徴的な所は、上行形の3音に依る順次進行の音形を巧みに移旋させ乍ら用いているという事が判ります。順次進行というのは2度音程同士で連なる音形の事なのですから、それを移旋するとなると通常ならば長二度と短二度を使い分けた音形と成るのは自明の事であります。つまり、マイニエリのソロ冒頭はg音というFm7から見た本位9度音から入って、g - as - b(英名=B♭)という順次進行となる音形を為し、2番ではges - as - heses(英名B♭♭=Aの異名同音)、3番ではf - g - asという風に移旋させた3音の音形を巧みに使い分けている事が判るであろうという意味で語っております。

 先ず1番に於いて長九度音から入って来るという所からして、本来クラビネットはフリジアンの下行形のリフを用いている為、F音から見た短九度があってもいい筈ですが、このソロパートはクラビネットもギターと同様にFm7系で静けさを保っている為、少なくともF音をルートとしたメディアント9th系の和音若しくはA♭7(on F)という響きを創出する物とは異なるアプローチであるのは明々白々であります。また、私はこの1番を「Fドリアン」と充てておりますが、Fドリアンが示唆するd音の出現は少なくともこの1番の範囲にはアンサンブルの何処にも現われません。而してそれならば「FドリアンとするよりもFエオリアン(=ナチュラル・マイナー)でも良かろうに!?」 と思われるかもしれませんが、本位九度音を使い乍らエオリアンを想起するというのは非常に艶かしい短調の臭気が強くなる為、ドリア調的なあっさりとした雰囲気が出ず調性具合が強くなるんですね。使ってみれば判りますが、本位9度音であるg音とエオリアンを示唆する♭6th=des=D♭を弾いてみて下さい。それらは減五度を伴うので深い情緒が如実に表れ調的勾配の欲求が掛ります。或る意味「ど」が付く程のベタな短調の雰囲気が香って来る筈です。余程情緒ある強烈な短調の情緒を醸し出そうと企図しない限り、ナチュラル9th音から入って来た動機に対して♭6thの音をどうしても導出したい時は、Fm9 -> B♭m6(9)/Fという風な四度進行の2コード・パターンに置換させる筈であります。少なくともジャズ的な耳を持つならばこういう風になる筈です。しかしそれをしないのは本来のクラビネットのリフが下行フリジアンを醸す所へ本位九度音を用いてメリハリを付けて来た所に対して、態々Fマイナーの情緒が色濃くなってしまう♭6thへの音脈を使おうとするのは野暮なんですね。ですから私は「Fドリアン」を想起しているのです。又、ドリアンという旋法は上行形および下行形とも音程が対称的であるため、その後の投影法となる対称性の導出の為にもドリアンという対称性が非常に結び付きやすい動機として用いる事が出来る為の配慮もあって「Fドリアン」と解釈しているのです。(つづく)

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