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非機能的な世界 [楽理]

 チャーリー・パーカーがバップ・イディオムにおいてsus4という本位11度の方面をより注視したのは、転がり勾配をつける為の策であったのは言う迄もなく、その上で仮想的に図る「ツーファイヴ解体」において逐次「オルタレーション」をすれば良いという合理的な物であったという事を濱瀬元彦は自著『チャーリー・パーカーの技法」にて詳らかに語っているという事があらためて判る事でしょう。処が、それすら理解できぬ輩も少なからず存在するのも事実ではありますが、あそこまで丁寧にバップの手法を語って呉れる本など無いのに、それをも理解できぬ人間は一体何を学んで来て何を覚えようとしているのか!?と思う事は多々有ります。


 チャーリー・パーカーが自身のジャズ・イディオムを構築するに際して己の為に凡ゆる体系を咀嚼した上で合理的に組み込んだ事はとても良い合理性だと思います。しかし、それが「ジャズの語法」とばかりに後に続く者が、手っ取り早く獲得したいばかりに合理性ばかりを追求していたのでは愚の骨頂です。処が、この愚の骨頂ばかりがジャズ畑では生まれて来るのです、悲しい哉。


 合理性が徒に追求されてしまう側面は何もジャズばかりでは無い事ではありましょう。それが背景にあるのは、その後一般的に普及する事になる音楽に触れる事が可能とするメディアの成熟(オーディオやテレビ)が影響しているのは推察に容易い事です。音楽だけではなく、教育面に於ても教え手の「合理化」は追究される訳です。だからといって、その合理化の波に飲み込まれただけの人が被害者ヅラするのはあまりに厚顔無恥であると言わざるを得ないでしょう。


 チャーリー・パーカーの「勾配付け」は、3度ずつ下方に「relative」に追っていけば、代理和音を持たせ乍ら下方に新たな音脈を探るのと同様にもなります。「Gドミナント・トータル」が「VI・II・V」や「II・V・I」を包含するという見渡しはザックリとしたもので、1つずつ(※この1つずつが意味するのは三度音程が1組という物)「relative」に探るという事を濱瀬元彦は取り上げていた訳です。それ以前にエドワード・リーも自著『ジャズ入門』(音楽之友社刊)にて述べている訳です。


 調性感が稀釈化することで曲想は「モーダル」になります。それは和音進行が「静的」になるという意味でもあり、調性感が稀薄なのですから「非機能」化している状況でもあります。モーダルという、そんな状況下では、コード(=和音)を進行感を強く意識させる体系の物に固執する必要はなくなります。分数コードが視野に入る事もあればsus4の使用が視野に入る事もあるでしょう。

 
 そうした調性感の稀薄な状況で用いられるコードの和音構造そのものが、従来の(=調性社会での)ダイアトニック・コード群として知られた物である必要はなく、単にヘプタトニック組織の7音から某かの音を抜萃して和音を成立させても可能なのであります。
 
 体系の外にあるかのような特異な和音を用いつつ、仮に2つの特異な和音を形成するとするならば、7つの内の先行する和音は4音を抜萃して撰択し、次の和音では先行和音の内の一つを共有する様な形をとりつつ他の使用していないヘプタトニック組織から抜萃するだけでも充分な「静的」な進行を得るという事をも意味します。単純に一つのコードでもいいですし、既知の体系の和音を使いつつその和音自体を稀釈化させる為に分数コード化する方法など、色んな方法論はあるものです。


 扨て、こうした「静的」な和音進行に於ける状況下では、先行和音の根音を後続和音が上音として取り込む様な機能和声的進行の色合いは薄れますし(特に四度進行に顕著)、和音が進行しようとする行き先はノン・ダイアトニック方面への「平行」の脈絡へ滲み出ようとします。C△7 (on D)という和音があったとしたら、その次にfis音やgis音という音脈へ音が滲み出そうとする挙動だと思ってもらっても構いません(無論、平行はこの限りではありません)。


 これは楽想が──モーダルな状況である事=調性感が稀薄である──が故にノン・ダイアトニックな方にも音脈が自然に向くからであるのは至極当然とも言えるでしょう。こうした平行を生み易い状況に於ては、特に隣接する同種の和音というのが強力な牽引材料となるのです。

 前回にも触れたように、メロディック・マイナー・モードの音組織ではドミナント7thコードがIV度とV度上に全音違いで出現します。これらの和音を同種の和音の平行という風に見做す事で、メロディック・マイナー・モードとという組織を、より強固に感じつつ、モーダルな雰囲気をより一層吟味する事の大いなるヒントともなるのであり、このような「平行」という状況こそが、投影法という音脈をより密接な音脈へと変貌させるのであります。


 但し、メロディック・マイナー・モードの音組織を用いる事で能く誤解されるのは次の様な事です。例えばドミナント7thコード上に於て「リディアン・ドミナント7thスケール(=別称リディアン♭7thスケール)」を用いる事で多彩な演出が出来る、という事。

 確かにメロディック・マイナー・モードで生ずる音を使ってはおりますが、この場合は背景にメロディック・マイナー・モードで彩られたドミナント7thコードとして出て来た使い方ではないでしょう。偶々既知のチャーチ・モードの体系で生ずる属和音上で「ヒネリ」を加えた程度の使い方で、そのヒネリが利くのは、メロディック・マイナー・モードの音組織上でそのモードを使う事とは異なり、単なるチャーチ・モードの残り香の上でヒネリを利かせただけの事で、メロディック・マイナー・モードの音組織とやらを純粋に「唄いあげた」物とは異なります。


 純粋にメロディック・マイナー・モードの音組織を扱えているのであれば、メロディック・マイナー・モードで生ずるダイアトニック・コード群の中でも特に、マイナー・メジャー7th系の和音は扨て置いても、オーギュメンテッド・メジャー7thの和音や、ハーフ・ディミニッシュト9th(別称:マイナー9th♭5th:つまりハーフ・ディミニッシュ+長九度)などを取扱っていない限り、単にドミナント7thコード上でメロディック・マイナー・モードのそれを拝借した程度では本当のメロディック・マイナーの組織ではありません。メロディック・マイナーをきちんと歌い上げるには、メロディック・マイナー上でのトニック、ドミナント、サブドミナントを使って初めてメロディック・マイナー・モードの音組織を使った事になるのです。
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 しかし、メロディック・マイナー・モードでのトニック、ドミナント、サブドミナントを使っても、それが調性感としては稀薄な所に、メロディック・マイナー・モードとしての独得の中性感がある所が心憎いのです。但し、既知のチャーチ・モード体系でのカデンツの様に使っても中性感を演出できるからといって、メロディック・マイナー・モード上でのダイアトニック・コード群の中で夫々の5th音に拘泥してしまうと、メロディック・マイナーの世界感を歌い上げる事が難しくなります。オーギュメンテッド・メジャー7thコード上での5th音、つまり増五度音も拘り続けてフレージングしてしまうと、和音に呑まれるだけで良い事ありません(笑)。その中でどうやって「中性感」を演出するか!?という事が大事なのですが、中性感というのは何もメロディック・マイナーだけではありません。しかし、中性感を理解しやすいのも亦メロディック・マイナーなのです。


 以前に少し語った様に、例えばダリの絵というのは「超現実」な訳であります。ダリの世界感どころか絵画の世界のそれを音楽そのものに置き換える事は出来ないのでありますが、少なくとも、現実という世界が音楽に於て調性社会におけるヘプタトニックの在り方だとしたら、そこに「超現実」を齎すには現実社会には無い音を用いて現実と併存させる用法という風に見做す事が可能でしょう。超現実を感ずる音の響きが誰しもが共通してその感性を有するという事では決してないのですが、少なくとも調性感の社会は誰もが備えた感覚ではあります。


 調性感が稀薄な状況では、チャーチ・モードで聴き馴れた音程の連続があったとしても、背景に備わる和音が全く違う物である事が多いはずです。例えば「ドレミ〜」や「ファソラ〜」という旋律が聴こえた場合、これらは全音音程が2つ連続した旋律であり、夫々は単なる移高した旋律とも見る事は可能ですが、前者にはファ#のバスが与えられていて、後者の旋律には「ミ♭」のバスが附与されていたとしたらどうでしょう。全く意図しない音世界である事は明白です。

 前者はF#リディアン・ドミナント7thスケールかF#リディアン・オーギュメンテッド・スケールを想起するでしょうし、後者はE♭リディアンを想起し易い類の物となるでしょう。他にも解釈する事は可能ですが。こういう状況にピンと来ない人は、現時点でこうした世界感を己の耳が要求していない熟達に甘い時期であると謂えるでしょう。ピンと来る人はこうして文字にするだけで暗誦と共に身に付いた和声感で脳裡に映ずる事が出来る物なのです。こうした世界感にピンと来ないからといって断罪してしまうようでは駄目なのです。ですから少なくとも自分自身が熟達に甘いと自覚している時ほど己の主観ばかりを基準にして判断してしまってはいけないのでありますね。

 
 そこで今一度メロディック・マイナー・モードを確認すると、コードとしてはIV度上とV度上にドミナント7thコードが現れる。特に、IV度上にドミナント7thコードが現れるという所が重要なのです。V度上にドミナント7thコードがあるのは頷けます。このV度上のドミナント7thコードが持つトライトーン(=トリトヌス)は、きちんと勾配がついて「進行」します。

 処が、メロディック・マイナー・モードのIV度上で生ずるドミナント7thコードが有するトライトーンは、四度上/五度下の和音の為の勾配がつきません。閉塞したドミナント7thコードです。和音の響き、少なくとも四声体であるならば同じ類のドミナント7thコードであるにも関わらず、です。

 爰に、ドミナント7thコードの「多義性」を見つける事が出来るのです。


 調性社会に於てドミナント7thコードとは、トニックに解決するための「一義的」なものでした。処がジャズは可動的な七度を附与させる事と中心音を巧みに使う事で、一つの調の中にドミナント7thコードを3つ生ずる体系を生み、結果的にドミナント7thコードの「多義性」を生んだ訳です。

 そこに加えて、メロディック・マイナー・モードでのIV度上で生ずるドミナント7thコードが、四度上にも半音下にも解決しないドミナント7thコードを生ずる。つまり、また此処で新たな多義性を持つドミナント7thコードが出来するという訳です。ですから、ジャズメンはこうした「多義性」を利用して来ているのですが、最早体系を使うだけの連中は、こうしたドミナント7thコードの「多義性」など無頓着で、寧ろ、ドミナント7thコードの「一義的」な方向を注視しているジャズ屋の方が多いのが関の山なんです。

 なぜなら、バップ・イディオムで生じさせる「転がり勾配」で用いるドミナント7thコードは多義性を持たせてはいけない類の物だからです。非チャーチ・モードに手慣れていない人ほど、情緒深いジャズの側に居る、という事もこれで能く理解できる事でしょう。


 西洋音楽でもドミナント7thコードの「多義性」というのはあるんですよ。エンハーモニック・トランスフォーメーションですね。例えばG7という和音があったらCではなくH durに進む、という物。つまり英名表記ならBメジャーに進む、という物です。

 ジャズに於てドミナント7thの多義性を朧げにしか使わないものだからそうした体系となると途端にドミナント7thコードの「一義的」な方の勾配を利用するんですね。なぜかというと「ツーファイヴ」を多く取扱うから。その利便性が阻害されてしまいかねないのです。エンハーモニック・トランスフォーメーションは「2→♭5」に等しい事ですから(実際にはV→♭VIII(♭8)つまりV7→VII durとも謂える)。別名:異名同音的偽終止進行とも呼ばれるのです。次の譜例を見れば自ずとお判りになる事でしょう。
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 つまり、このエンハーモニック・トランスフォーメーションの前提知識があれば所謂コルトレーン・チェンジの整合性がより強化され、さらにそこにエルネ・レンドヴァイの中心軸システムが重なる事でより一層コルトレーン・チェンジの整合性が高まるのですが、殆どのジャズメンは単純に目まぐるしい転調として使っているだけであります。

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