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太陽生命CMハンドダンスに学ぶ [ドラム]

 扨て、今回は趣向を少し変えて、リズム面について語ろうかと思います。本当なら属七の多義的解釈に伴う和声方面の話題やらをもっと進めたいのでありますが、まだまだ先は続くので、偶には息抜き程度の話題も必要であろうかと思い、今回は先述の様にリズムの側面を語ろうと思うのです。


 和声面ばかり拘っているとついついリズムの方面が疎かになりがちかと思います。特にリズムというのは、今でそコンピューターでキッチリと合わせたリズムにてシーケンスを作ったりなどする物ですが、どんなにグルーヴ感の秀でた奏者でも人間のリズムというのはヨレやモタリなどのズレはあります。それが不快でなく個性として他者から評価される事で個性的なノリとなって現れるものです。

 とはいえ、この「ノリ」を寸分細かく楽譜上やそれこそシーケンサーのデータ的に逐次解釈している人は少ないでしょう。無論、シーケンサーのMIDIイベント・データに馴れた人なら、どれくらいのズレがどれくらいのtick量でズレが生じているか、という「大まかな」感覚はあるかと思います。とはいえ、ある程度リズムを体得した人というのは、揺ぎない絶対的指針(=基準)が備わっていて、その基準に対して多くの人が共通理解とする楽譜での符割に「均し」た上で解釈している筈です。

 例えるなら、独得の16ビート感覚が備わっている人の符割でも「便宜的」に16分音符の解釈としておいて、一音一音どのようなヨレ方をしているか、というのを後から追究している様な感覚で捉える事でありましょう。


 共通理解が楽譜であろうが、楽譜の読めない人でもDAWのピアノロールのグリッド表示が基準となっている場合もあろうとも、それらに於ては何らかの基準が判断者に対して与えられている(=培われている)という事を示すものでもあるので、多少のズレはその基準からどの位 近い or 遠い 物であるかは、何を基準としていようとも、逐次判断しているというのはそうした意味からであります。

 こうした基準を体得した時、その音形は概ね何らかのパターンとして刻まれて脳が覚えるので、様々な曲があろうともリズムそのものは多くの曲で「共有」している物で、リズムパターンも似たパターンに遭遇する事は多い事でしょう。似たパターンというものの、そこには人間的なノリは全く違ったとしても、その大枠が持っているパターン、という事を意味しております。


 こうしたパターンが脳内で「表象」化されます。例えるなら、ある漢字1文字を覚えた時、次にその漢字を見たら、読みと意味を呼び起こします。この「呼び起こし」が過剰なまでに体得した時はもはや脳にいちいち信号を出し入れするのではなく、その神経伝達経路の途中で動く事もあります。意識の前に動作があるという状況です。

 そんな状況に行かずとも、それまで己が経験して来た物から裏打ちされる物がいつしか惰性的に「曲解」する事もあります。本来なら違うリズムとして表される物を、思い込みで歪曲してしまう物。先の漢字に例えるならば、読みを誤って覚えてしまう様なものです。

 例えば、5連符などでも拍頭を休符にした5連符など、人に依っては聴いただけでは拍頭がモタった16分音符の4つの音という風に認識してしまう人もいるかもしれません。そのリズムの音形が楽譜や視覚的な表象としてどうなっているかは知らぬままに、それを「体得」した時、その人は「モタった16分音符」と体得している筈ですから、その後楽譜がアタマ抜きの5連だと知らされれば、リズムが持つ表象力というものの表現力に加えて、自身が咀嚼し切れずに乖離した解釈となっていた事に驚かされる事があるかもしれません。

 リズムというのは特にそうした誤った解釈が自身の表現力を狭めてしまう嫌いがあったりするので、卑近な音形ばかりを奏していると、意図せぬ様な所に落とし穴があったりするものです。


 私のブログの場合、和声的な方面を語る事が極めて多いのですが、それでもリズム面の話題を忘れた事はありません。例えば、和声面でも西洋音楽由来の理論書やらのレコメンドなどもしていたりしますが、ヤン・ラルー著の『スタイル・アナリシス 1・2』(音楽之友社刊)などを読むと、楽曲の構成はさることながら、リズム、拍節、抑揚、などの重要性をあらためて理解させられる物でもあります。

 茲の所「偽終止」の話題も出していたので、『調性音楽のシェンカー分析』とか『スタイル・アナリシス』あたりからも、何かそうした方面で抜萃出来る物があれば、と思い色々読み返していた所だったのでこうしてついつい語ってしまうのであります。


 リズムに於ての誤解を避けるには、耳にしたリズムを一旦自身の基準に置換させて判断しようとも、自身の解釈が本来のリズムを歪曲させてしまうようではいけないのであります。その理由は何故か!? 耳にしたリズムを結局自身の卑近な「語法」で捩じ曲げてしまったという事は、人間の持つグルーヴ感など頭の中で考えている細かい音のズレは頭の中を出て来ず、奏する時にはすっかり自身の「語法」に丸め込まれてしまっている事を意味するからです。つまり、頭で考える事が外に出ない音、という事は技術が全く反映されていない事を意味するので、表現力は一気に没落するのです。


 太陽生命さんのCMでやっている「ハンドダンス」と称する、2人のお嬢さんが「組・み・立・て・る」と言ってから奏するリズム、皆さんはどう採っているでしょうか!? それは次の例を見ればお判りになる事でしょう。



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 大半の人は、譜例上段の符割を充ててしまうのではないでしょうか。勿論それが一般的な4拍目の連桁が示すそれよりも「突っ込んだ」感じとして意識していたとしても、そのフィーリングが本来のリズム表象に近付く事はなく、その「なんとなく」という感覚が「なんとなく」のまま理解してしまう事は出来るなら避けたい所であります。最も回避しなければいけないのは、実際のリズムを先の誤った上段の符割だと思い込んで理解してしまう事ですね。


 無論、CMのお嬢さん達がどのようなリズム解釈にて息を合わせているのかは判りません。少なくとも息を合わせるには共通理解が無くては無理なのですから、音楽を奏するにあたって、自分以外の人間が別の解釈を持って意見をぶつけ合う事もあれば、無理強いされる事もあったりするでしょう。孰れにしても、他人の解釈をも包含して解釈する表現力を具備しない限りは、自身の尺度同士のぶつかり合いのアンサンブルにしかならないのです。


 音楽というのは、その中にも色んな側面があるものです。その側面を研究する際、たった一冊の本の愛称の良さから、そればかりに拘泥してそれをバイブルの様に一義的に理解する事もあるかもしれませんが、こういう事は避けなくてはいけません。同じテーマや同じ側面を別の本や人物はどう語っているのか!? という多様な表現力を獲得しないと、音楽を包み込む解釈に到らないのです。ですから、リズムに関する解釈も自身の尺度が多少を服従するだけの様な相容れぬ状況に自身が陥ってはいけないのであります。

 表してみれば簡単な事なのに、誤解や自身の癖から一義的で紋切り型になってしまってはいけないのであります。

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