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虚栄無き措定:ウッシャークを吟じて [楽理]

 扨て前回は、テレ朝系列金曜ナイトドラマ『天使と悪魔』のBGMに用いられている微分音を語っていたのですが、微分音のクラスター、しかも各音が微小音程となると採譜にはとても難儀する物でして、特に私の部屋廻りの環境音が禍いしている事もあって、今回は音を採譜し切れていないのではないか!? と思える位自身が無いのが正直な所です(笑)。とはいえ耳に附き易い部分音の多くは採譜したという自負はありますので、一応先の件はこの辺で御許しをいただければと思います。環境音がもう少し帯域が異なれば、と悔やむ所です。別に私のヘッポコ耳を環境音が邪魔をしているという言い訳でもありませんので、その辺はご容赦を。


UnderConstruction_GG.jpg そういう訳で微分音の続きを語る事になる訳ですが、今回取り上げるアーティストはジェントル・ジャイアント(以下GG)。無類のGG好きである私のブログでは不定期乍らも取り上げる事の多いバンドであります。そんな彼等の作品に於て「どんな微分音が!?」と疑問を抱く方も居られるとは思いますが、オリジナル・スタジオ・アルバムに於てでの事ではなく、アウトテイク集であるGGのアルバム『Under Construction』収録作品のひとつを取り上げる事になります。


 そんな彼等のアウトテイク集収録作品を語る前に語っておきたい事というのは、微分音が意味しているのは「微小音程」つまり、この名称が意味する物は半音という音程よりも狭い音程の事の総称なのであります。

 処がご存知の様に、現今社会でこそ平均律が標準ではありますが、それこそ音律がここまで均されていない時代での、特に純正律まで遡ると明確になる事は、大きい全音と小さい全音という歪《いびつ》な音程が存在するという事が大きな特徴であります。ハ長調域でのニ音とイ音から生じる五度音程も割を食っている音であります。

 五度の純正さに固執すれば純正律、三度の響きに重きを置けばピタゴラス音律という風に考えられたものですが、両者の音律夫々からでも「便宜的な半音階」は生ずる事になります。勿論半音は平均律と異なります。

 ピタゴラス音律の最大の落とし穴は、半音進んで更に半音を同方向に進めた場合、これは「半音+半音」なのだから「全音」になる筈なのが実際には全音との距離が微妙に違ってしまうというのが罠になりかねないので、その後音楽が中全音律やら幾多の音律を求めて「能く調律する」方に向う訳です。音律の熟成に依って半音階的情緒は更に向上して行った史実からは決して目を背けてはいけない大いなる事実であります。


 とまあ、これはアカデミックな西洋音楽での体系。インドからジプシーが分派し、中東方面に知られた独得の音律を使う様になった訳ですが、ザルザルの名を聴いた人は少なくないでしょう。亦、ジプシーがその後ヨーロッパに入り東欧社会からドイツやスペインに迄分派していったのですが、西洋音楽が彼等の土俗的な響きを導入する様になるのは19世紀辺りになるのではないでしょうか。無論西洋音楽界がジプシーの音を全く知らなかったのではなく、ジプシーの乞丐的容姿や生活スタイルを宮廷に持ち込む事を許されなかったというのが正直な所でしょう。つまり、世俗的・土俗的な音楽的なイントネーションを持つ薫りの存在は知っていた訳です。

 20世紀になるとそのジプシー達の中での秀でた演奏家の名前、特にヴァイオリニストであるラディクス・ベーラは有名でありますが、私の言いたい事は、音律が熟成され、十二音技法も生まれて以降(ラディクス・ベーラは1930年歿)、世俗的・土俗的な薫りの浸潤が西洋音楽界にもあったのはバルトークやコダーイの功績もさることながら、それ以前に音律が熟成された事が最大の貢献であった事でしょう。そうした音律の熟成が、僅かなイントネーション(≒微小音程)の成立に更に拍車をかけたとも言えるでしょう。


 扨て、トルコ音楽に於ける九分音というのは、1コンマ(=1単位九分音)ずつ用いる体系ではありません。1・4・5・8・12コンマ等を使い分け、上行と下行に於ても4単位・5単位微分音を入れ換えたりする物です。この九分音は全音を9等分しているのですが、平均律の全音ではなく「大全音」というピタゴラス音律で云う所の「広い全音」を9等分する物であります。ですから、平均律に依拠した三分音・六分音とは音が重なる物ではないのがトルコの九分音の大きな違いです。

 但し、ピタゴラス音律というのは先述した通り、相対的な音程を採っていった先の行き先が本来の着地点とは微妙に異なる物なのです。行き先ばかりを正確に着地しても戻って来ようとすると今度は元に居た場所が微妙にズレるのです。トルコ音楽における九分音の4・5コンマの取り方が上行と下行にて変化するのはそうした音律からの影響であるのは言うまでもない点でありましょう。


 そんなトルコ音楽に於てある一つの音階に「ウッシャーク」と呼ばれる物があり、いうなればヘプタトニックで幹音を並べた時のエオリア調の第2音、つまりロ音に相当する音が1単位九分音低い音階をウッシャークと呼ぶのですが、GGのアウトテイク集に収められている「Cogs In Cogs」という曲は、丁度Aマイナー・キーで入る(途中で何度も移旋して調所属が変わる)ので丁度良いのですが、実はアウトテイク集の「Cogs In Cogs」は実際よりもほぼ1単位4分音ほど高く録音されてしまっているので注意が必要です。

 つまり、50セント程コンサート・ピッチが高い状態であるならば、次の様な調号を与えても面白いかもしれません。

Cogs-In-Cogs01.jpg


 仮にこうした調号を与える際、ロ音に相当する第3線の音がウッシャークに相当する変化記号を与えても良いのかもしれませんが、調号からすればロ音が乗る第3線に「50 - 19 = 31セント」の変化記号を与える必要性が生じてしまい、これを自然七度と同等に扱うのは短絡的過ぎますし、とはいえ33セント低い微分音変化記号を調号に与えても是亦用意に難しい物があります。

 四分音高いコンサート・ピッチとそこから特定の音が19セント程低い音を31セント高いと捉えて、次の譜例の様に便宜的に無理矢理微分音変化記号を振った調号を与えても無理があると云うものです(笑)。

Cogs-In-Cogs02.jpg



 今回は調号に変化記号を与えず、ロ音のみが1単位九分音低い記譜をしている、という訳であります。


Cogs-In-Cogs03.jpg


 アウトテイク版「Cogs In Cogs」の素晴しさは、その複前打音による歌のポルタメント(節廻し)が絶妙なのでありまして、音程幅を探るとやはり平均律の全音とは異なる8単位九分音に極めて近しい若しくはそれを目指して歌い上げているのは明々白々なのでありまして、トルコ音楽に顕著な奇数切りの拍子が、原曲「Cogs In Cogs」の多様な拍子とも相俟って実に良い効果を演出していて、私は別な意味でオリジナル・スタジオ版よりも好きだったりします。


 無論、彼等からすれば此方こそが「オリジナル」であり、そのオリジナルが恐らくカセット・テープでしか残存していなかったからが故にほぼ1単位四分音程高いピッチで録音または再生されたデモ・テープからの記録である、というのが容易に判るのでありますが、私は何もオリジナル・スタジオ版の「原曲」のそれに対して評価が低いのではなく、寧ろオリジナル・スタジオ版からは読み取る事の出来ずにいた作品の新たな魅力をアウトテイク版が示す事になった事で、あらためて好きになったというのが正直な感想であります。


 しかも、今回譜例にしたウッシャークとともに、アウトテイク版の方の主旋律の冒頭のみを複前打音のポルタメントで記譜してみましたが、複前打音を5連符の3:2というイネガルのルレのリズムで表記しているのも、歌の複前打音もやはりイネガルな感じで節廻ししているからですね。


 トルコ音楽における微分音表記にて注意が必要なのは、1単位九分音低い音(1/9低)を示す記号が、四分音の世界での1単位四分音低い(1/4低)記号と同一になるのが少々注意しなくてはならない部分です。

 基本的にトルコの九分音に依る音程の記譜で基本となるのは過少嬰変共に1単位九分音を1コンマとすると、1・4・5コンマを上げ下げするのを基本とした上で、更に大きい8・9・12コンマという体系があります。つまり9コンマが大全音=203.76セントを意味する物で、12コンマは増二度扱いとなる訳です。


 尚、Novemberフォントでは5コンマより大きい8コンマ上下までの微分音変化記号を導入しており、8コンマのそれは「ビュユク・ミュジュンネプ」と呼ばれるの物なので一応この辺までは豆知識程度に載せておきます。


TurkishComma_Cogs-In-Cogs_04.jpg


 先の「Cogs in Cogs」がA音=イ音より181セント高い音を示すならばA音由来の変化記号としてビュユク・ミュジュンネプを充てたらどうなの? という疑問を抱く人も居られるかと思いますが、歌の冒頭で複前打音として音高を上げ下げした歌い回し(コブシ)を使っている音程変化が同度由来では不適切になると思いますので、音階にて適宜そうした音並びが整備されている以上、小難しい音程を態々こねくり回して表記するのは宜しくない表記だと思いますので、音階の方を基準にして表記したという訳です。


 なお、この歌い回し(コブシ)のそれ、音程を急峻に上げて下げる歌い方はプラルトリラーとは呼ばないのか? (モルデントの逆)と思われる方が居られるかもしれませんが、プラルトリラーというのはその修飾を除く大筋の線(旋律)が下降している最中にピョコッと装飾的に上がって元の下行形の線に戻って行く事を意味するものなので、主旋律の冒頭からこうした装飾音が現れているというのは前打音(この場合は複前打音)として表記する方が適切なのです。

 因みに、本来プラルトリラーというのはC・P・E・バッハ以降の時代では先の下降する線の弱勢に現れる物で、強勢に現れる物は「シュネラー」と呼ばれていたのです。今回の装飾音を間違えるとするならばプラルトリラーよりもシュネラーとして間違える方がまだ度合は少ないのですが、シュネラーとて下行旋律の過程での強勢で起るものなので、やはりシュネラーでもなく複前打音としての表記が適切となる訳です。


 GGには何故そこまで西洋音楽的に配慮しなくてはならないのか!? と疑問を抱く人が居られると思いますが、単にテクニックだけに拘泥してプログレを名乗る様なだけの人達はいざ知らず、多くのプログレッシヴ・ロックの人達は、ロック・サウンドとしての良い面と、西洋音楽の良い面の孰れも採り入れているものなので、特に近代以降の凝り固めた和声感の演出に注力しているのが多くのプログレ系アーティストの特徴なのです。


 処が、日本では西洋系の人達の容姿や楽式的な世界観、及び聴き手が判り易い卑近な方の、西洋音楽でも更に旧い体系の響きが一部のリスナーの間で大人気を博した事もあって、実際のプログレ方面とは異なる日本での特に関西方面を中心とした独得のプログレ文化が1980年代初頭に勃興し、一旦廃れ、90年代辺りからまたもや様式美やルックスを強調するロック・シーンへと分派していったのは記憶に新しい事でありましょう。日本のそれは卑近な響きに埋没する類の連中が多く、テクニックと容姿と集客の為に迎合していってしまったという側面もあります。海外において、プログレの在り方の錯誤があり日本の様な卑近な手法をやってしまうのが北米でしょうか。


 ベタな響きを演出するのは、和音進行のそれが「従順」な訳です。予測を裏切る事の少ない、せいぜいセカンダリー・ドミナントが入る程度で素直な進行であれば、和音体系は他の世俗音楽と何等変わりは無いというのも特徴であるでしょう。つまり、初めて聴くにも拘らず先が読めてしまう類の音を演出してしまう様な音楽性ならば、プログレを名乗ってはいけないのではないか!? と思う事頻りなんですね(笑)。


threefriends_originalcover.jpg 例えばGGの3rdアルバム『Three Friends』収録の「Schooldays」では、速度が速めの主題が冒頭から続いて、曲中盤では緩叙楽章と呼ぶに相応しいゆったりとした展開があるのですが、ここでの緩叙部でのテンポは、なんとなくゆっくりになったものではなく、それまでの速かった時の拍節を利用していて、それは8分音符×5つ分のパルスが緩叙部の1拍に変化するのです。その緩叙部から戻る時は、その1拍5連が元の8分音符×5のパルスになってケリー・ミネアーのビブラフォン・ソロとなる訳です。

 以前にも私の記事で述べた様に、こうした音形のパルスを、例えば3と4で組み合せて恰も「テンポ・チェンジ」の様に見せ掛けたりするので有名な人が、楽聖ベートーヴェンであります。「Schooldays」のそうした部分を聴いてベートーヴェンを想起出来る人は西洋音楽通と謂えるでしょう。然し、聴き手が自身の耽溺するそれに酔って己を自画自賛するのではなく、先代から脈々と受け継ぐ音楽の尊大なる敬意を感じ取る事が重要なのです。無知であるとそうした感動すらもわからない。小難しいドラマを子供が見て理解に苦しむのと同様かもしれませんが、音楽を皮相的な理解だけで聴いてしまうと、高次な和声感やら律動から齎される形式の妙味やらを読み取る事が出来ずに「理解しにくい」音として片付けてしまいがちなのです。

 
 判り易いものしか相容れなければそれはプログレを聴く意味がない。高次な響きに遭遇して理解した後には他の難しい音楽であろうとそれまでの聴き方では理解できなかった事が理解できたりする事でしょう。そうした点にあらためて気付いて欲しいのであり、加えてGGというのは単に奇を衒うだけの凄い事ばかりをやっているのではなくて、本当は体系にもきちんと敬意を払った上で音を遺しているのだという一片でも見付けられれば彼等の魅力が更に増すでしょうし、他とは一線を劃す程の音楽への深い造詣をあらためて理解できる事でしょう。


 デモ・テープとはいえ、マカームまでをも意識して体得している人達、英国人で普通、どんな人が居りますかね?(笑)。そこまで拘るのが凄いのです。とはいえ英国ではハーディー・ガーディーという楽器では、前打音的にポルタメントを起す様に奏する事ができるので、そうした下地が通奏低音やらトルコの九分音やらにも目を向ける様にして培われるのであるのでしょう。

 こちらの研究紀要は幾多のプログレ曲を題材にカノン、フーガなどの用例を論述している物で、Mattias Lundberg氏の["To Let it Be Without Pretense": Canon, Fugue and Imitation in Progressive Rock 1968-1979]HTML及びその記事のPDF版と、取り上げた楽曲の一部を採譜したスコアのPDFが確認できるのですが、特にGGが多数取り上げられているので、参考になる事が多いのではないでしょうか。今回取り上げた「Schooldays」はありませんが、それは私の過去の当該記事でもあらためてご確認いただければ、と思います。

 この紀要は日本語に訳すとすれば『虚栄無き措定:プログレッシヴ・ロック音楽1968-1979年カノン、フーガおよび修飾例』とすれば意味は伝わるでしょうか。GGとエニドがあれば充分の様な気もしますが、プログレ音楽を高次に嗜む人は器楽的素養も高い方も多いでしょうから、こうした紀要はなかなか肚を満たしてくれるのではないでしょうか。
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