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ナポリタン・メジャーを見渡す [楽理]

 扨て、先のグリーンスリーヴスのアレンジにて私が意図していた重要な部分を解説してみようかと思います。


 先の四声部にて書いたGreensleevesは当該ブログ記事でも補足しておきましたが、所謂西洋音楽界隈での四声部の和声の書法としての誤りを敢えて載せています。先ずは前半には連続五度あり、混声四声合唱形式の書き方としては各声部の音域は大きく外れますし、声部間の交差も見られます。

 とはいえ、それが四声体で和声学を書く事の基本という点で誤っていようとも、私が最大限に意図していた事は次の通り。


・半音階的音脈の呈示
・下方五度への音脈の呈示
・ドリア調の導音欲求の前後の対比と暗喩


 とまあ、こういう事を意図して作っていました。つまり、連続五度が表れても私がいけしゃあしゃあとしているのは、それが混声合唱という「酷似する音色で目立ち易い音程」というアンサンブルを想起していないからが故の事であり、全音階的な線を遵守する様なアレンジなど全く視野に入っておらず半音階的に誇張するからこそお構い無しに使っています。とはいえ連続五度(3小節目)とて後半での同部分のそれでは敢えて同じ様に使わずに、決して連続五度を便宜的に掻き消すかのような間接的に逃れる事もない半音階の線でコントラストを明確にしております。

 勿論、楽器がなんであろうと、和声感の重畳しいアンサンブルであっても一旦四声体にてアレンジするという事は、例えば9度や11度音などの和音を用いた物を四声体にてアレンジするという事は、四声で書き切れない部分を如何様にして横の線で書く事の妙味があるかとか、想起する楽器がどうあれ四声体で書く事が綺麗に丸く収まる、という事も考慮して挑む事は大前提とした上で臨まないといけない基本姿勢はあるのですが、それに拘泥する事よりも半音階的な線をあからさまに演出する事の方を私は選択しているのであります。ですからオクターヴ・トレモロの表記も敢えてやっていたのですね。

 声部の交差というのは、それは音高の高低が声部間を入れ替わってしまう事です。四声体の書き方としては音域も必要以上に越えている所もありますし、それがどういう楽器(少なくとも混声合唱を想起していない)の線の誇張であるが故の連続した横の線の進行なのか、という事をあからさまに呈示している訳です。

 例えば、2本のギターが夫々音程を交差して、一方は高い方から下がって行き、他方は低い方から上がっていく旋律を奏でている途中、音程が交差する所がありつつ上行と下行を夫々が続けていくとしましょうか。場合によっては下行を続けていたギターが交差する点を境に上行して、それと同時に上行していたギターが下行する様に「X字状」に旋律を奏するかの様に聴こえる時もあるかもしれません。これが違う楽器であれば決して「X字状」には聴こえずに音程が交差して夫々が誇張を持続していった様に聴こえる訳です。

 四声体書法の基本は、似た音色で互いが跳越する事なく隣接し合う様にして(交差する事なく)線を繋げる事が重要であり、声部間の音域を守って書くという物です。

 私の場合は交差をして音域も遵守はしておりません。それは意図する所が違うのでありますが、喩えて言うならば、強い全音階的な余薫を感じさせる状況に於ても、半音階的な線として「剝離」していく様な動機を得たいという、そうした半音階的欲求の起こりを重視している所が狙いなのであります。

 今後もそうした半音階の剝離とやらがウォーキング・ベースの用例などになる事もあるでしょうし、半音階的音脈の演出のそれには一定以上の思いを抱いて書く予定があるので、主題の線が強固だからこそ半音階的要素は幾らでも演出可能な状況とは雖も無秩序な半音階の羅列では価値など無いのです。秩序から外れない程度の導音欲求だけでは得られない半音階的な誇張を示しているが故の事なのです。ですから連続五度が起きている所でも半音階的な脈の道半ばの所で生じている訳で、その線の誇張は足を止める事などなく更に手を伸ばす様に拡大しているそういう部分を聴いてもらいたい訳ですね。

 無論、四声部に於ける「正しい」四声体の書き方を遵守すれば、凡ゆる面で遣り取りする上で非常に整った形になる事は間違いありません。それをせずに披露してしまうのは手抜きではないかとの誹りを受けるかもしれませんが、書法にどれほどの誤りがあろうと、私がそれを正しく呈示する事よりも呈示したい部分があり、それを呈示した後に誤りを「正しく気付く」のは読み手の方々にこそ必要な能力なのだと私は思っております。私が正答を述べる事は義務でもありません。

 誤りがあるとは述べている所を気付く事が重要だと思います。それこそ全音階的に収束する書法であろうとなかろうと、その誤りを耳にする事だけでも厭な物でしょうか? デモ演奏は混声合唱ではありませんし、先の様なアレンジにて連続五度をやいのやいの謂う前に全音階から逸れて行く非音階固有音のクリシェの線のそれを機能和声的ではないと謂われるならまだしも、そうした線に同居する連続五度は果してそれほど忌避すべき響きとなってあなた方の耳に汚穢をぶちまけるかの様な行為でありましょうか!? そういう所をきちんと把握していただいてから耳にして&研究してもらいたい訳です。私を罵るのは簡単なのですから、先ずはきちんと気付いて、その上で「本当に相容れないのか!?」と自問自答して欲しいと思います。


 そういう訳で先程譜例で示した四声のGreensleevesで、私の「暗喩」たる部分を述べる事にします。最も重要な点を語るのですが、それは弱起を除いた2小節目です。下記の譜例になります。

00Greensleeves_4v_2nd-Measure.jpg


 所謂「ドリアン・モード」というドリア調。短調のそれとは若干ダイアトニック・コードという部分も勿論変ります。

 扨て、1小節目はジャズ/ポピュラー形式で和音を見れば「Em9」を示唆する物です。しかし「Em9」は七度音を含むのが通例ですから、ここでは七度音がオミットされた状況とも言える訳ですが、問題は次の小節です。

 この譜例は四声部にて表されているので、上から「ソプラノ、アルト、テノール、バス」と敢えて今回は語る事にします。扨て、この2小節目はバスがa音である為、ついついA音由来の和音として考えてしまうかもしれませんが、このa音は実はジャズ/ポピュラー界隈で謂う所の「3度ベース」を想起した和音です。謂うなれば和音の本体(根音)は本位記号を附与されたf音となる訳です。

 Eドリア調と雖も、Eを主音とする短旋法系統の特徴を齎す1音であるF#音からF音とする訳ですから、これにはそれ相当のメッセージがある訳です。仮にa音を根音とする書き方ならば増和音という解釈でeis音(=E♯)と記譜しますが、それとは違う意図として強い暗喩があるのです。それを語って行く事にしましょう。


 ドリア調のGreensleevesは、曲が歩を進めると第7音=d音が導音欲求としてdis(=D♯)に変化するという局所的変化が起ります。その「局所的」な側面だけを掻い摘んで見れば便宜的にはEメロディック・マイナー(=旋律的短音階)に変化したとも謂えますが、実際には属音上の単なる導音欲求で招いたオルタレーションなので、調的な音組織としてメロディック・マイナー・モードとして組成を考えるべきであると考えるのは誤りであるという事を述べており、茲の所その辺を声高に語っていたので記憶に新しい人も多いかと思います。


 私は、孰れ曲中で遭遇する「導音欲求」を、この時点で「暗喩」として導出します。つまり、導音欲求として現れるのは「D#音」なのですが、それをこの時点では「異名同音である E♭音」に音脈を求めます。

それは、異名同音的にE♭音を持つ他のモード体系へ「すり替える」想起をするというアプローチであり、そこから得られる、E♭=D♯音とは違う、基のドリア調の特性音であるC#音=D♭音をも呼び込むアプローチとして想起しているものなのです。

 異名同音であるC#音というのは、F音を根音とする増五度由来であるのですが、そのC#音を異名同音とししてD♭音として捉え、その音が音組織となる体系を想起(=暗喩)しているという事は憚られる物ではありません。

 2小節目で実際に奏されている他の重要な音は表している音の全てですが、その中でもes・f・g・h音は際立って居ります。因みにアルトのes音はそれまでのfis - f - es というクリシェから伸びていて弱勢にあれど非常に存在感を漂わせた音の線です。一旦上向にg音へと跳躍進行しますが、その後のd音に繋がって行く重要なクリシェの線であるのは明々白々であろうかと思います。

 そのクリシェの線は全音階的である音階固有音から逸れる非音階固有音の線ですが、私が想起する新たな音組織は次の様にCナポリタン・メジャーを想起する事まで飛躍しており、この音組織が「暗喩」であるのです。

02Dorian_NeapolitanMaj.jpg


 扨て、Cナポリタン・メジャーを想起したのは、態々小難しい音組織を披露する為に当て付けがましく引っ張って来た訳ではありません。私が重視しているのは元のEドリアンの組織からの「h・cis・d・e音」というテトラコルドなのです(先の和声的に重視している音群とは別)。

 Cナポリタン・メジャーはそのテトラコルドがh・c・des・es」と変化していると捉えており、このナポリタン・メジャーとて本当はCメロディック・マイナーからの変形として捉えているのです。Cメロディック・マイナーからテトラコルドを見ると「h・c・d・es」という風になり、ナポリタン・メジャーを充てる前の「原形」として見ている訳です。

 今回示しているCナポリタン・メジャーとCメロディック・マイナーのⅣ度上には長属九+増11度の属11の和音を示しているのでもうお判りかと思いますが、Cメロディック・マイナーのⅣ度上にできる「F7(9, ♯11)をコモン・ノート(=共通音)とする他のモード・体系=Cナポリタン・メジャーを呼び込んでいるという事も同様に判るかと思います。

 例えば基の音組織であるEドリアンというのは、中心音としてE音が主音に聴こえる様に振舞っている変格旋法の事であるので、音組織そのものの調所属はロ短調にある訳ですがロ音が主音として振舞わない様に聴こえてるからこその変格旋法な訳であるのはお判りにならない人は居ないでしょう。

 そのEドリアンを西洋音楽でのドリア調としてⅤ→Ⅰ進行が必要とする状況に於てはD音がD♯音に変化する事となります。処がドリア調での属和音上で11度音を得ると本位11度音として組成される(h・dis・fis・a・cis・e)ので、先の2つの長属九+増11度を作っている他のモード群との整合性(共通和音ではないが長属九までは共有し合う)はこの時点では考えられない物になってしまいます。


 扨て、ドリア調として嘯いていれば確かにそうですが、Eドリアンという音組織は本来はニ長調の組織です。ニ長調の属和音はEドリアンのⅣ度なのです。EドリアンのⅣ度上で組成される11度の和音は「a・cis・e・g・h・d」ですが、本位11度として用いるのではなく、導音欲求は前提の上で用いられるのは基底和音「A dur」の響きを壊さない為の配慮でジャズ/ポピュラー界隈が「♯11」として用いるそれと同様なのです。

 茲でジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトが詭弁であるという事を見抜かなくてはなりません。ジョージ・ラッセルは長音階の主和音上にて基底和音となる和音の響きを崩す事なく3度音を積み上げて行く和音を被験者に聴かせたら11度音は本位11度ではなく増11度の方を綺麗に響くという聽者が多かったので、長音階の重心は属調に在ると強弁するのであります。即ちハ長調の主和音上で11度音を積み上げて3度累積を試みたら、誰もが本位11度音ではなく増11度音が綺麗に響くと選択した。するとこの音組織はハ長調ではなくト長調であるからして、13度まで積み上げた時はハ長調の総和音ではなくト長調の総和音となるので、長音階の重心は属調にある事に依拠してリディアン・クロマティック・コンセプトという詭弁を弄する事になるのです。

 では、ハ長調を嘯いていたとしても、そこに加えてハ長調のトニック上でリディアンを嘯いていたとしてもですよ!? ハ長調のⅤが出現した時、その和音というのは少なくとも11度音を積み上げるとなると「g・h・d・f・a・cis」という次の譜例の様になる筈です。01G7th_9sharp11.jpg

 処がジョージ・ラッセルの詭弁に遵守するなら、ハ長調の重心は属調が持っている筈なのだからG7という属七を基底に持つのではなく「g・h・d・fis」としてF音がF♯音に変っていなくてはならず、属七の和音だけ都合よくハ長調の音組織を基底和音にして持つドミナント7thと、和音として基底和音を損わない様にして♯11th音を使おうものなら、この音脈は五度上方のト長調を更にスッ飛ばしてニ長調由来の音脈の導音欲求が表れている状況です。


 しかも、ニ長調調域を見ているとしても、fis音を使っておらずf音のままならば、ニ音=D音を主音とするメロディック・マイナーが生じている事を見ているに過ぎず、リディアン・クロマティック・コンセプトを使う以前に、このような長属九+増11度音の世界というのは基の調域(茲の説明ではハ長調)の二度上の方=Dメロディック・マイナーを見ている事になりますし、メロディック・マイナーそのものを平行短調のオルタレーションされた姿とするならばその平行長調は更に短三度上にある訳で、ハ長調の調域から見たヘ長調の組織を見る事となるので、調域は五度上方に見るどころか、下方に見る事の方がまだ整合性が取れてしまうのです。

 つまり、ハ長調から見た五度上方などに脈絡を見付けるどころか、ヘ調の脈は下方五度にあり、しかも下方が長旋法から短旋法へと、同位和音の時の音脈の様にして長・短が上と下の五度の世界観を変えてしまう様にして存在するのと似た音脈に等しくなるのです。

 同位和音としての音脈を、基の長音階を基準にして下方五度の下属調短調として見付けたとするなら、下方五度のもう一つの組として、リディアン・ドミナント7thのモード、つまりヘ長調がFリディアン・ドミナント7thとして嘯いたモードとして存在するという風にも捉える事が可能な訳です。


 こうした関連性に全く気付かないでジョージ・ラッセルの詭弁に付き合っている人というのは、それ以前の音組織にてあまりにも音楽的語彙に乏しいものだから、詭弁に従順になってしまい疑う事すらしないのであります。寧ろ、それがまやかしであろうともボキャブラリーが増える物だから浅学な者からすれば嘸し有り難がる事でしょう。ウィキペディアのモードに関する情報も酷い物ですけどね。モード・ジャズの祖がジョージ・ラッセルだのと書かれており、編集者の拙劣な文章には嗤笑したくなる程です。


 長属九+増11度という和音というのはメロディック・マイナー・モードのⅣ度の和音として存在する和音なのだから、メロディック・マイナー・モードが視野に入って当然なのです。

 私は、今回取り上げているGreensleevesのEドリアンが、その後に導音欲求に依ってオルタレーションする(D音→D♯音)それであるD♯音を異名同音化してE♭音と見做して、Cメロディック・マイナー・モードを一旦想起します。これと同じⅣ度上の和音を持つのがCナポリタン・メジャーであるため、Eドリアンは上と下にも対称性を持つもので、その長三度下に上と下に対称性を持つ音並びのCナポリタン・メジャーを生んでいると考えると、その対称性だけで面白さを感じないものでしょうか。

 それと、もう一つ重視したい側面は、Eドリアンの本来の調所属の調性となるニ長調の音組織の属和音です。

 仮にニ長調の属和音にて11th音を使おうと企図した時、殆どのケースで増11度音を充てるでしょう。本位11度である事が珍しい位です。

 しかしですね、長属九+増11度のドミナント7thコードを用いるというのは、五度圏に於ける五度上方の隣接する上方の調域を見るのではなく、更にスッ飛ばしている事を考えれば、重心なんていう物はなにもなく、五度上方という倍音由来の衝動が逐次導音欲求となっている所に依拠する物として理解に及ぶ事が肝要でありましょう。要所要所ではジョージ・ラッセルが謂わんとする所は舊來の体系に気付いていないからなのだなぁ、と思わせる事が多々有ります。周囲が察してやってヨイショして、初めて成立するトンデモ理論な訳ですね。その、謂わんとする所が透けて見えるからこそ多くの連中が察して遣っているだけの事であります。こういう所に気付けない物は、導音欲求すらも理解できないでいるのかと思わんばかりです(嗤)。


 音階を、それこそ「スケール博士」の様に覚えてしまう事よりも、テトラコルドの差異を認識して、近似的なテトラコルドを利用しつつ、その上でスケールを覚えていくという風にした方がきちんと体得できる筈なのです。


 前にも述べた事なのであまり詳しくは語りたくありませんが、投影法による教会旋法の、ミクソリディアンとエオリアンを組み合せるという方法。これは一つの調域が例えばGミクソリディアンだとしたら、もう一方の調域がGエオリアンとして「併存」させて「投影」を見る方法。これは機能和声的な和音進行が無いという状況を好意的に利用して投影法を誘発しているアプローチです。その上でミクソリディアンとエオリアンを併存させるという事が、他の教会旋法をも鏡像化させやすい経路なのだという事を今一度思い返してみて下さい。

 下の譜例はミクソリディアンとエオリアンが重なり合う所が併存するポイント。画面右にポジティヴ方向、画面左にネガティヴ方向とするならば、教会旋法というチャーチ・モードはこれらの様にして互いが「鏡像」として構造を持ち合っている事が判ります。

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 ミクソリディアンは長旋法系統でエオリアンは短旋法系統。これらに適する和音を充てたならば長和音と短和音が併存する状況を見立てる事ができ、結果的に根音を共有し合う長和音・短和音を組成可能となり、これは「同位和音」でもある訳です。同位和音から滲み出る複調のそれは、単に長・短の和音が同居するだけでなく、教会調の鏡像を生む脈絡でもあるのです。

 こうしたアプローチをチック・コリアは使っているという事です。リディアン・クロマティック・コンセプト!? 何ですか、それは!?(笑)。そんな物覚えるだけ脳細胞の無駄ですよ(笑)。

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