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『新しい和声』〜藝大和声から芸大和声へ!?〜 [書評]

 林達也著『新しい和声』アルテスパブリッシング刊が上梓され、どういう側面での新しさに踏み込んでいるのか!? という視点で比較考察してみました。体系を重んじ乍ら現今社会(音楽界)で蔓延る現実とどのように対照あるいは同居させているのか興味深い所です。では早速書評から。


 9頁《長属9の和音の付加6度》これは属13の和音を意味している物で、11度音を含まずに13度音を付与したという意味ではない。また、本著では下属和音の付加六度が限定進行音であるとする事にはこの時点では言及しておらず(98頁のⅣ度の変化和音で触れられる)、この表現には本著内で比較考察が乏しくなる表現なのでもう少し配慮が必要である。

 この論述の直前には上方倍音列の譜例が図示されているが、全ての音は属和音を形成し得る上方倍音列を持つとは雖も、この倍音列がハ音から示しているのは配慮が足らない。何故なら折角高次の上方倍音列の音脈を便りに属9・11・13度音の近親性の根拠となる側面を引っ張って来ているのであるなら、この倍音列の開始はト音(g音)にするべきで、その上で、ト音から数えた倍音列上にて生ずる第5次倍音はロ音(h音)より純正音程より平均律が微小音程で高く、同様に第7次倍音として生ずるヘ音(f音)よりも平均律より純正音程が微笑音程として低くなるので、それらは全音階的に、より「解決」の方向を上と下の音に「張力」が生じている、という説明が足りないのである。

 換言すれば倍音列の第3・7次倍音が想定する全音階(調性)内の下属音(第7次倍音)と導音(第3次倍音)に相当する合致を見せた時、双方が微小音程ずれた音程が、主和音への解決としての挙動と一致する為、不協和音から協和音という解決の流れがとても際立った姿として強化される。

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 こうした前提があり属七の和音機能は強化されているという事まで配慮すれば良かったであろうが、それは本著を手にし乍ら講師が補足する事になるのであろう。呈示しているそれそのものに大きな問題がある訳ではないが、細かな配慮は欲しい。

 和声を学ぶ上で先ず冒頭から述べておきたい事は、属七・副七という語句である。つまり属和音に七度の音を持つ物と、属和音以外の和音が七度を持つ物、という事の違いである。これらが三和音であれば属三和音・副三和音となるのだが、歴史的に七度音は属和音にしか配されなかったという史実的な側面が語られる事はなく、本書では属七・副七の違いとやらを125頁にて漸く「属7以外の7の和音」とするのが残念な部分である。
 
 11頁の教会旋法は、終止音を明示しているだけであり変格旋法として掲載しているのは瞭然だが、変格旋法のⅤ度が正格旋法である本来の調所属があるという事を明示しておく事は非常に重要な事であるが、こうした側面も今や楽典レベルで備えているのであろうか、そうした明記はされていない。本著には教会調としての用例を後述する訳であるから、如何なる教会調にもⅤの性格の時に導音欲求が表れ、適宜変格旋法での第7音が導音化するという事は明示しておいた方がベターであると思われる。

 12頁における移旋・異旋という語句の嵌当は、これまで我々が使い慣れた「移旋・移高」という呼び方のそれらに対して敢えて対立するかの様に踏み込んでおり、舊來から学んで来た私からすれば月日の経過がその内馴染ませてくれるであろうが、現時点ではまだ違和を覚える。

 というのも、例えばハ長調の曲をそのままハ短調に「移旋」したというのが従来の使い方。勿論ジャズ/ポピュラー風に言えば、Cナチュラル・マイナーをCハンガリアン・マイナーにしたというのもこれが従来の「移旋」という使い方であります。この移旋を別の界隈では「移高」とも呼ぶ事があったのです。

 『新しい和声』では、元の調性(長調・短調)とその他の教会調やその他の旋法的枠組みが、主音を異とする「移高」となる状態を「移旋」と呼び、主音を維持しつつ旋法を変える従来の移旋を「異旋」と呼ぶ所に、これは非常に違和感を覚える所であります。これを機会に一義的解釈に踏み込んだとも謂えますが、文字に表さない限り或いはアクセントの違いが無いでしょうから、逆に神経を使う様な嵌当となってしまっている点は現時点ではあまり馴染めないのが残念な所。


 19頁で四声体(ソプラノ、アルト、テノール、バス)の各声部を取り扱っている中で「上3声」「下3声」には、初学者の為にはルビを振った方が親切である。「じょうさんせい」「かさんせい」という風に、少なくとも上・下にはルビを振った方が望ましい。本著は奇しくも外崎幹二《とのさきかんじ》著『和声の原理と実習』と投影してしまう私だが、先の著にも上三声・下三声はきちんとルビが振られている。勿論外崎の著書は今でこそ舊來の『藝大和声』で取り扱って来た和音表記だが、併読に余りある良著のひとつに位置付けられる物であり、今回『新しい和声』は数字付低音に変えて来たのだから、まずは併読を許す事を視野に入れず、副読本や教鞭を執る講師の存在を視野に入れずに細部まで脚注などを充実させて付記するべきであったと思う。


 28頁に於て二次ドミナントをプレ・ドミナントと称する所に新しさを感ずる。その是非はともかく、和音連結に際して音度や機能を譜例下部に示す場合の、長調と短調の調性格を示す「長調は大文字(C:)、短調は小文字(a:)」という大原則を何のためらいもなく極くありふれた仕来りの様に用いていて全く説明が無いのは初学者にとっては不親切であろうと思う。こんな所まで書いていたら述べたい事の前に文字が埋まると思われるかもしれないが、こうした配慮の少なさは本書全体の脚注の少なさを表している様に、読み手が一定以上の知識を得ている事を是とする嫌いがある様で、初学者は苦労する事だと思われる。


 終止形や三和音の連結に於ては、これらが本書の最たる特徴でもあり、舊來の藝大和声がⅤ→Ⅳ進行を是としなかった所からの大転換が見られる部分でもあり、本書の醍醐味を感ずる部分である。32頁の偽終止の部分は最たる特徴のひとつでもあり好感が持てる。同様に44頁にてⅡ→Ⅰ進行を挙げており好感が持てるもので、それについてはプラガル終止に於いて使われる場合があると述べられているだけでそこが不親切。私ならここに「ランディーニ終止」(導音が第6音へ進行して主音に進む)の例を挙げて説明するが、それが無いのが残念である。特にこの「旋法性」を大きく感じる進行に於ては、属和音の解決的動作から稀薄な所にある物であるので、進行感の稀薄な用例を多く載せている本書であるからこそ、こうした方面への拘りを見せるべきであったと思う。


 54頁に於ては、舊來にて「音階固有音」と呼ばれていた呼称が「音階構成音」として突然譜例見出しに登場する。同主調同士の音脈である同位和音や舊來呼ばれていた「準音階固有音」という部分を説明する上でも、ここで脈絡もなく「音階構成音」と出るのは初学者が混乱する畏れがある。

 
 82頁の「ドッペルドミナント和音」については、初学者が二次ドミナントを総じてドッペルドミナントとだと思い込んでしまう可能性を孕んでしまう説明になっている。ドッペルドミナントは飽くまで「Ⅴ度のⅤ」だからこその呼称であり、「Ⅳ度のⅤ」や「Ⅱ度のⅤ」「Ⅵ度のⅤ」「Ⅶ度のⅤ」などもこの部分にて語るべきであろうと思う。


 98頁「Ⅳ度の変化和音」内では本書の特徴が能く表れた部分であり例の挙げ方としてはそれらが謂わんとする暗喩めいた示唆が其処彼処にあるのは理解できるのだが、初学者には難しい。というのも、Ⅳに付加六度として附与したのはジャン=フィリップ・ラモーがその第6音を限定進行音として与えた所から端を発する。トゥイレ著『和声学』ではⅣ度の付加六度の和音と共にⅡ度で生ずる七の和音、つまりどちらの和音も構成音は同じだが振る舞いの違いを載せているが、茲では単にⅣ度の和音体系として譜例があるのみで注釈、脚注が無いのは残念である。


 115頁の「トリトン」。この語句嵌当には相当の違和を覚える。三全音を示す言葉は従来ならばトリトヌス、ジャズ/ポピュラー界隈ならばトライトーン。この辺りは馴れもあるだろうが、舊來から脈々と受け継いだ体系に背く様な感じがして厭である。


 121頁のフォーレ終止については本書もかなり力瘤を蓄えて解説しているものだが、変格旋法であってもその属音が現れる時導音欲求(独:Leittonbedürfnis)によって第7音が導音に変化させられる事が要求され、それがドリア調に求められているが故に生じている事だと理解に及ぶと更にスムーズになり、他の変格旋法での導音欲求にも応用が利くものとなるのだが、導音欲求の解説をしていないので、フォーレ終止ばかりが特別の様に感じてしまう畏れがある。


 130頁の9の和音における9度音の転回形の取扱いについては、冒頭にで第4転回形は古典的和声では存在しない(つまり、現今社会特にジャズ/ポピュラー音楽での2度ベース)と柔軟な解釈であり、物部一郎著『創作和声』以来の飛躍とも思しき表現だが実際には直後に後述される説明として、9度音が根音の上にあるという事を示している物で、これは嘗てのリムスキー=コルサコフ著『和声法要義』やピストン著『和声法』と同様であり、少なくとも物部一郎著『創作和声』のそれとは違い、従来のそれらに則った解釈であり、その「柔軟」な解釈についての用例を示してこそが本書の大きな役割だと思うが異端でもあろうと判断して割愛したのだろう。しかし、敢えて載せるべきだったと私は思う。


 145頁の「主音上の属7・属9・およびⅦ7の和音」は、私個人としては最も好む部分であり、この多様性には大変好感が持てる。所謂ラモーの仮定バス(Supposition)が視野に入っているものであり、舊來ではダランベールもこの領域には入っておらずルソーとて不可能な領域であるのだが、こうした背景など全く語られない所が、本書の「他の音楽学で学べ」とでも謂わんばかりの姿勢であり残念ではある。


 154頁では所謂半音変位のオルタレーションについて語り、和音の第5音や第3音の半音変位を述べているが、用例が第5音のみで残念である。ここで取り上げている説明に則せば、例えばジプシー調のⅡ度の和音は硬減三和音となるのだが(この場合はトゥイレの『和声学』)、ジプシー調からすればⅡ度の第3音変化で生ずる硬減和音が、それと同義音程となる長和音の第5音が半音下がった硬減和音での違いなどを載せるべきだが、単に長和音の5度音のオルタレーションしか載せておらず、非常に不親切である。下図の様なオルタレーションの3和音を列挙せよとは言わないが、もう少し半音変位される事の説明を充実させるべきであろうと思われる。

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 また、次頁155頁では「減3度の和声的音程を避けること」としているが、その「避ける」という表現自体も本書内では、禁則的意味合いまでは持たない意味であろうと感じられるが、そうした主観的要素の強度が明確になっていない側面が露骨に表れていて判断に迷う畏れがある。勿論直後の156頁では例外について述べているが「比較的短い音符」というのは言葉を端折り過ぎていて「音価・歴時が比較的短い音符」とするのが適切な語句嵌当である。しかし音価・歴時が短いとするのは主観的であり、それまでの用例で示している譜例では4/4拍子系や2拍子系(実質の速度は倍加)も取り上げているにも拘らず、

「比較的短い音符で、弱拍に経過的に減3度が形成される場合〜」

という言葉は主観的でしかない。しかもそこでの譜例に4拍子系か2拍子系かの拍子は略されている。というのも、2拍子系の譜例となると拍頭以外の強拍・中拍も弱勢化するので、一瞥すると強勢に見える拍が弱勢化する場合もあるので、単に4拍子系であろうと推測される譜例の4拍目辺りに用例を示す程度では、それまでの4拍子・2拍子系の譜例の取り上げ方の効果が薄められてしまい、強拍・弱拍ではなく、強勢・弱勢という言葉も速度によって主観が大きく変わる事すら述べていなければ不親切であると謂わざるを得ない。折角の例示が台無しになっている。


 165頁〜での和音外音の取扱いについては、嘗ての池内友次郎著『和音外音』でも最後に取り扱う複合的な和音外音まで載せており、この辺りの配慮は行き届いている様に思われる。どうせなら13度和音における和音外音まで取り扱ってこそ『新しい和声』でもあったとは思うが。

 211頁では声部の音程が跳越する事の「交差」という語句が茲で漸く現れるが、これは本書15頁の各声部の音域が示されている時に併行して述べておく事が必要と思われる。


 という風に実施判例集までの部分の目立った所を指摘した訳ですが、最後にひとつ述べておきたい事。私は本書を某書店にて予約注文し購入したもので、初版本を手にしている。少なくとも私は、初版本流通前には正誤表が添付されていると思っていた。アルテスパブリッシングのHPを見れば会社としての正誤表の対応がPDFなのだと。その対応というのは単なる逃げ言葉である。PDFと雖も単なるデジタル・データでしかない。USBメモリさえ携行していれば全国何処のコンビニでも600dpi程度の解像度で10円でプリント出来る物だ。キンコーズ、アクセアなどなら最高1200dpiで印刷は可能であろうが、それとて1200dpiである。解像度が高いと五線(加線含む)と音符との間のコントラストが強まり、音符が五線に溶け込んで行くようなツブレ感が無いので、オフセット印刷された物が望ましいのである。


 配布されているPDFを確認してみれば、五線の太さは0.26pt、加線が0.473ptであり、私は通常Finaleでは五線を1.5EVPU・加線を3.5EVPUで設定しているのでそれとも比較しても正誤表のPDFの五線が太いのである訳で、そうしたデータが解像度が低いプリンタで出力されれば(私は1200×1200dpiでも高解像度とは思っていない)、音符と五線との視覚的コントラストがどういう風になるのか!? という事は自明である。

 正誤表対応がデジタル形式でしかないのであれば、利用者がアナログであると全く無視される事になる。企業とて地下銀行で取引している訳でもあるまい(笑)。ホームページやPDFなどのデジタル的な文書伝達にて二次的な対応にて対応しているというのは私から謂わせれば企業が利便性に胡座をかいただけではないかと思われる。一民間企業が官学の音楽書に採用された事で安堵してしまったかの様でもある。最も残念な点である。

 本書は公共図書館にも数多く納本される事であろう。正誤表がPDFとしてしか配布されないのであれば納本の初版本対応は図書館任せになるのだろうか? 図書館に対してはそれなりの措置を講ずるのかもしれないが、そうした対応があるにせよ不平等的な対応があるとしたら許されない事である。何にしても最も割を食うのがアナログ且つアナクロ(=アナクロニカル)な利用者であるからである。即ち、電子データを出力できない環境にしかない物と、仮に図書館納本分も正誤表が添付されなければ図書館で学ぶ物が割を食う事になる。こうした対応にてメリットを直接享受する者と割を食う者との差が甚だ激しい事を容易に推察可能である事を鑑みれば、内容がどうあれこの企業体質が変らない限りは企業としての甘んじた姿勢が透けて見えてしまい評価を低くせざるを得ない。

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