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付加6度 制限と自由 いま昔 [楽理]

 6thコードについては以前にも取り上げた事のあるテーマですが、今回はその「制限」と「自由」という様な側面について語る事にします。とりあえず6thコードの6度音というのは、上向限定進行音という取扱いであるという所は最も重視しなくてはなりません。つまり、6度音は後続和音の構成音に「順次」進行する必要がある訳です。順次進行という事は跳躍進行ではないので、次の音度という事になります。


 元々6thコードというのはその限定進行とやらが、和音連結の為の整合性を保つ為に作られた訳です。それは「Ⅳ ─ Ⅰ」という進行における整合性です。つまりⅣ度上の和音の根音が四度下方進行する時の整合性の為。現今のジャズ/ポピュラー音楽に於ける6thコードが「下方四度進行」まで遵守する必要は無いとは思いますが、6度音の行き先という所だけは守って然るべきでしょう。

 6度音が何処に進行しても良いというのなら、3度堆積型の和音体系に突如トライアドの5度に対して二度音程で附与される音を選ぶ必要性すら稀薄になってしまいかねません(それなら転回上3度累積型の同義音程和音のままで済ませられる筈)。Ⅳ△6(西洋音楽ではⅣ+6とも書く)はハ長調を例に挙げればF6の6度がe音に進む。そのe音は後続和音Cメジャー・トライアドの第3音にd→eと順次上行で進行しているという訳です。


 短和音をベースとするマイナー6thでも同様。Ⅳm6→Ⅰmという進行に於てイ短調を元にすればDm6→Amというシーンにてh音(英名:B音)→cという風に順次上行進行となる訳です。

 
 亦この様な整備がされていたラモー以降の時代では、Ⅳm6と同義音程和音となるⅡm7の在り方も勿論使われていた訳ですが制限の少なさから言えばⅡm7であった訳です。とはいえこの「制限」は時代を重ねればほぼ逆転してしまう事になります。無論、西洋音楽の厳格な機能和声を履修している時に、近代以降の和声感とを混同してしまうのは回避した方が良いでしょうが、私の場合は今回ジャズ/ポピュラー層に向けて語る事になるので、その辺りは御容赦願いたい所です。


 扨て、その取扱いの制限と自由とやらを現今社会(特にジャズ/ポピュラー音楽)に当て嵌めるならば、6th音の取扱いすら自由でいいのではないか!? と感ずる人があるかもしれません。しかし、5度と6度がある事が重要な響きと実感するからこその6度であるならば、もしもその6度音が次の和音に下向進行してしまったら、元の五度があった所に音が進むだけの事になってしまいます。

 勿論ジャズ/ポピュラー界隈での和音は、その響きの色彩だけを求めて、後続和音に行き場の無い音が附与される事は珍しくはありません。とはいえ6thコードを明示するからには3度体系を踏み躙ってまで用意する「不協和」な二度音程を附す事である音なのですから、不協和な音が次はどこへ安定しようとするか!? という動的なべクトルに目を向ければ6度音は誇張を強める様に上行するのが正常な体であるのは間違いないでしょう。Rubbersoul.jpg


 とはいえ、現今社会のポピュラー音楽に例外はあります。ビートルズの「ミシェル」のイントロに代表される様な

Fm→Fm△7→Fm7→Fm6→D♭△7

Michelle01.jpg


 という風に広く知られる(※しかしこのコード進行の例は間違いである)半音クリシェは、6度音がその行き場を進める先が違う様に見えますが、ミシェルの場合厳密に言えばベースは保続低音というペダル・ポイントであるので実際には次の様な例だと見做すのが妥当だと謂えます。


Fm/C→A♭aug(on C)→Fm7→A♭△(♭5) / C→D♭△7(on F)

 つまり和音機能的に言えば半音クリシェ部分は

T/D→D→T→D(硬減三和音)→S


Michelle02.jpg


 という風になると考える事になるのと同様であります。サブドミナント部分でもポールのベースはトニカを弾いている事になる訳ですが、これらの和音進行部のポール・マッカートニーのベースは上声部のコードを蹂躙する動きをしていて通奏低音の様に振舞っており、結果的にトニックとドミナントの暈滃となっている事が見て取れます。

 イントロ冒頭の3拍はペダル・ポイントとして解釈する必要があるのは前述の通り。コード本来の響きに背こうとして直視しない様な所に「秘め事」の暗喩を感じさせる技法ですが、音楽的な面では非常に勇気の要るアプローチであるのは言う迄もないでしょう。さらに1小節目のバス部分で付点二分音符を充てても良さそうですが、付点音符を忌避する楽派がおり、殊にフランスの西洋音楽界隈では付点音符を避ける記譜法がありますので、「Michelle」というタイトルから読み取って暗喩をまぶすとこうした表記を充てたという事が見て取れますが、この五線譜は原曲そのままを示している物ではないので注意をされたし。

 ポール・マッカートニーの通奏低音の様なアプローチを除いて上声部だけを抜萃して判断するとコード進行の表記としては

Fm→A♭aug→Fm7→A♭△(♭5)

 という流れになるのですが、この進行はコード・ネームが変わる毎に機能がT→D→T→D という風に代わる代わるメリハリを付けた構造となっているのですが、一義的なコード表記を充ててしまうと(Fm→Fm△7→Fm7→Fm6というタイプの表記型)、本来読み取るべき重要な背景が隠されてしまう危険性を孕んだ物になってしまうという訳です。


 そうはいってもジャズ/ポピュラー音楽界隈では、仮に「CM7」というコードがあったとしてもそれを「Cメジャー・トライアドとEマイナー・トライアドが同居する」様に聴いたりはせずに、一義的にその和音の「硬い響き」を覚える様に和声的感覚を獲得する人が殆どだとは思います(私もそうでした)。だからといって、その「隠された」本来の響きというのは先行する和声や後続の為の和声の為の結び合う線をより強く意識する様に捉える様になると、このような隠された響きという物に非常に敏感になるのもあらためて知ってほしい側面ではあります。


 西洋音楽が脈々と受け継いで来た旋律の取り方の基本として、半音階的な線であろうとも膨らもうとする誇張は更に続け、萎もうとする誇張も更に続けていくというのが自然な流れなのであります。決して誤解してはならない部分は、ジャズ/ポピュラー界隈のコード表記が体系化されているとは雖もその表記に己の理解が一義的に均されてしまってはいけないという事です。

 6度音が限定上行進行音という事を憶えたとなると途端に例外的使用例に容易に遭遇する事になるでしょう。6度音の取扱いに限らず音楽的な例外的用法の遭遇とは得てしてそういう物です。しかしその例外とはジャズ/ポピュラー界隈で見掛け、6th音に対する先行和音や後続和音の関連性を見抜かない限りは、例外の方ばかり多く遭遇する事もあるかもしれません。しかし、それで自身の獲得した知識に自信を持てずに脆弱であり続けるならば、折角獲得した知識を既知の正しい体系と併存する誤謬という「偽」に押し潰されて忘却の彼方に葬り去る事と等しい愚かな行為です。

 例えば、近年の信頼に足る著名な音楽書に於て6thコードを多用して掲載している物を掲げるならば濱瀬元彦著『チャーリー・パーカーの技法』は顕著な例です。譜例および本文中にコード表記にて6thコードを例示している頁はおよそ100頁程あります。

 しかし、『チャーリー・パーカーの技法』は、シンプルな和音進行を材料に更に新たな音脈として仮想的なコード進行を想起してフレージングするというビパップのアプローチを詳らかにしているものであるので、その殆ど全ての6thコードの和音表記というのは「仮想的」に見立てたコード進行に充てられた物であるので、中には後続和音のそれと限定進行音が合致しない表記はありますが、それは実際の和音で起っている事ではなく便宜的に表記せざるを得なかったという部分を勘案しなくてはならない部分で、こういう例外を論って責める訳にはいきません。

 なぜなら、例えばB♭7という和音を「B♭13」と見立てるとするならば、チャーリー・パーカーは15度音(=ルート)からリラティヴ(3度下方)に分散和音を作っていくというアプローチですが、そのプロセス中には15・13・11・9度音という分散を抜萃する物もあれば13・11・9・7という抜萃もあります。15・13・11・9はCm7を見る事も出来ますが、それら4音の列が局所的に7度方面の音を使う部分もあって「7」も使うとなれば13・11・9・7はCm6でもあると見る事になり、それは見方を変えればAm7(♭5)にならざるを得ない、リラティヴ(下方3度)を扱うが故のジレンマを誤解の無い様に表記している事なので、仮想的な和音進行列の後続音を見立てて論う必要は無いかと思います。


 限定進行音は、言葉としてその様に遭遇する機会がジャズ/ポピュラー音楽に於て少ないだけの事であり、彼等にしたってドミナント7thが包含するトライトーンの各音が「直近」のダイアトニックな音に進行する事位は理解しているでしょうし、あまりにも普遍的なそれに忘れてしまっている人だっているに違いありません。G7のファとシはファ#やシ♭に行っても構わないのでしょうか!? それじゃあツーファイヴなんてやってられませんよね!?(笑)


 ミシェルの和音表記がジャズ/ポピュラー界隈にて生ずる和音表記の陥穽を能く示していると思います。既知のコード表記ばかりに依拠してしまうものだから、そっちばかりを是としてしまう狭量で一義的な捉え方を勝手に創り出してしまう人がいますが、こういう側面では特に注意が必要である事が判ります。

 楽譜やコード表記、それらは他者に伝達する為に用いる共通理解である訳ですから、シンプルな表象から多くの物(=共通理解)があればあるほど、視覚的にはシンプルでより多くの情報を示す事に貢献する事になるのですが、愚直な迄の共通理解とやらまで要求している物でもない事も理解している為、表現に必要な装飾やらの許容度がどれくらいのものであるのかなどは概ね楽譜の外にある申し合わせで注意深く遣り取りされるのも現実です。

 コード譜だけに頼る様な遣り取りとやらも褒められたものではありませんが、コード譜だけではどういうヴォイシングで弾かれるかは幾通りもある訳です。ですからそういう時の為に五線譜に音符をきちんと記譜しておけば、それこそ用は足りる訳ですね。

 処が、ギターのヴォイシングというのはその自由度の高さから、西洋音楽の和声をそのまま持ち込んでしまえば禁則だらけになってしまいます(笑)。ギターのヴォイシングがある事でジャズ/ポピュラー界隈の和音の在り方というのは、より一層「何でもあり」という状況になってしまったとも言えるでしょう。しかし、そうした便利な共通理解とやらも本来の成立や体系を読み取る事など到底できぬ物にも変貌させてしまい、そうした体系や方法論に肖るだけの者は、最早音楽的背景など全く知らなくとも方法論に則った音を出す事が出来てしまう訳ですから愚の骨頂とも言えるでしょう。

 
 Dm7とF6。どちらも構成音を羅列すれば同じ音になります。これらの差異に拘泥する必要が無いのであれば、ジャズはコード表記にすら拘る必要が無くても良い筈だ、という論理が成り立っても不思議ではありません。然し、和音表記の体系をもどうでも良いとまで是認する人は途端に少なくなる筈でしょう。つまり、それを相容れないのであれば、コード表記などどうでも良いと宣う人の音楽こそ先ずは疑ってかかるべきなのです。コード体系などジャズは拘っていないという、教え手の無知なその場凌ぎの対応が、後に続く者達への正しい理解を妨げており結果的に被害を蒙る事になるのです。


 そんな無責任な連中からジャズやポピュラー音楽を皮相的な理解のまま留めてしまって未熟な理解に収まってしまうのは、教わる側の知的好奇心を抑制できずに焦燥感ばかりを巧みに利用されている所にも起因するのでしょう。難しい体系など熟達に甘い者程苦労を味わう事なく知りたい物でしょう。ですから楽な道筋を選び、己の体得がどれだけ迂回していようとも、先人から見せられた領域にある程度達した時に、先人達が見せて来たプレイ面という物を実感するでしょうが、その実感と共に体系の裏にあった音楽面の真理に到達する事ができるか!? と問われれば先ずこうした所を体得していない人が多いのもジャズ/ポピュラー音楽界隈に少なくないのが特徴なのです。こうした連中から音楽的理解を湾曲させられぬ様に正しい理解に及ぶ事が肝要なのです。


 先述の『チャーリー・パーカーの技法』内で扱われる6thコード表記のそれは仮想的な想起の物が殆どです(そればかりと謂える程)。仮想的であろうとも後続和音を示す先には6thコードを表記するには上行に順次進行する後続の和音構成音に取り込まれるべきですが、想起側のコード進行というのはそれそのものが動的であっても本体の和音が進行しているものではないですし、音脈の取り方がrelativeになる以上は閉塞した6thコードが恰も充てられている様に見受けられる例もあるでしょうが、それを勘案する事が出来る様に音楽的素養を具備していなければならないのです。

 濱瀬元彦の先の著書ではマイナー6th(♭5)など、構成音こそ減七の和音と同義音程となるにも拘らずdim7を充てていないのは、前者の方では自ずと7度音がまだ存在するという事の暗喩がある訳です。一方、dim7という7度音の先には根音しかなく、減七度と根音間が増二度だという事を示しているという事を瞬時に見抜く必要がある訳です。ですが、前者の和音をなぜdim7としないのか!?

 減三和音+長六度という和音が減七の和音ではないという紹介は、ヒンデミット著『作曲の手引』85頁にて紹介される物であり、決して「減七」とは述べていない所に目を瞠る物があるのです。

「三全音を最も柔らかな形にした減三和音の六の和音で(中略)三全音以外には短三度と長六度があるのみで、鋭い二度や七度は無い」

 和音に二度や七度が無い事を言っているだけで、和音外音に二度と七度がある事を示すと読み替える必要があるので重要なのであります。

 こういう音楽的素地があるからこそ、見慣れない「マイナー6(♭5)」という和音表記の正当性は何処に有るのか!? という事を知れる訳です。知らない人からすれば従来の体系で見慣れないヘンテコリンな物として近視眼的理解に及ぶ可能性は高いですし、よもやその表記の根拠を識らずに既知の減七の体系を勝手に読み替えて吹聴してしまう可能性もあるでしょう。

 減七の和音外音は2・4・6度である事を思えば減七の和音構成音は1・3・5・7という数字の音度を用いた物である筈なので「根・短3・減5・減7」という風になるのであり、決して「根・短3・減5・長6」ではない事は自明ですね(笑)。

 これらの事を鑑みれば、コード表記の「◯6およびm6」という物が真なる付加六度なのか否かを見抜く音楽的素養を身に付ける事が必要となります。6度音として5度との不協和状態を創り出す必然性があるという事は6度が綺麗な響きとして結実するにはやはり後続和音の構成音に対して順次上行して取り込まれる事が西洋音楽でなくともそれは守られるべきである筈です。それに拘らないなら通常の和音体系即ち3度堆積型の転回で使えば済む事なのですから。


 扨て、6度音を限定進行音として取り扱う事は和音の響きもさる事乍ら、ジャズ/ポピュラーの実際ではⅣ度上だけに限らずノン・ダイアトニックに出現する事も珍しくありません。勿論こういうシーンに於ても後続和音との繋がりを考えれば限定進行音の部分は顰に倣う必要性はありますが、ノン・ダイアトニックであるという事はその音度が必ずしもⅣ度とは考えられないためⅣ ─ Ⅰ進行を視野に入れ無くとも良い事にはなります。その「自由度」が、舊來からの西洋音楽には無い自由度であるのです。言い換えればジャズ/ポピュラー音楽界隈ではⅡm7とⅣ6の自由度が入れ替わったとも謂えるでありましょう。

 ジャズ/ポピュラー界隈でのF6があるとすれば、それがⅠに進むだけではなく二度上行として平行に進行する物もあれば(平行にⅤ度に進みつつそのⅤは七度を纏いながら13度音も纏おうとする)、スパニッシュ・モードも視野に入れれば短二度下行でⅢ△にも進む訳ですから、6度音の限定進行だけを重視すれば和音としての自由度は寧ろⅡm7よりも高くなっているというのがジャズ/ポピュラー界隈の取扱いと謂えるでしょう。

 6thコードの自由度というのはその和音の形態に自由はあれど、6度音への自由を示している物ではないという所に最も細心の注意を払わなくてはならないと表現すれば判り易いでしょうか。和音の振る舞いの自由度を鑑みれば、限定進行音というその制限とやらは、トライトーンが直近(=半音)のダイアトニックの音に進行する2音と比較しても少ないのですから、これに足枷をはめられるかの様に感じるのは単に音楽的素養が薄い事を自ら指し示すだけの事であり滑稽です。


 それに、ジャズに対して「どうでもいい」と思っているならば既知の和音表記に従う必要などないでしょう。どうでもいい筈なのに既知の和音表記の体系には倣う事を前提としているならば、そんな和音表記を押し付ける人間からは狭い解釈の事しか学び取れないのは自明でありましょう。体系をなんとなく知っただけでも皮相的なジャズが出来る物だから似非なジャズ屋が生産されるという訳です。裏付けの無い無責任な音に学ぶ物など何もないのです。ですから、そうした体系に飲み込まれて掻き消される様な浅薄な知識のままであってはならないと思う事頻りです。

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