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マイルス・デイヴィスに見る微分音(四分音)の取扱 [楽理]

 不定期乍ら私のブログでは微分音を喧《かまびす》しい程に取り挙げるので、何を今更という風にお感じになる方も居られるかもしれません。とはいえ、微分音という音組織に不馴れな人は少なくないでしょうし、その様な音世界が実社会にて多くの作品があろうとも、微分音のそれと言われない限り己の独力で遭遇するのは難しい事であるのが実際でありましょう。

 なにしろ今回は、ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスを取上げる訳ですから私もきっと天国から睥睨されているのでしょうが、そんな事で萎縮する様な私ではありません。


 まあそんな冗談は扨置き、帝王マイルス・デイヴィスが微分音をどう取扱っていたのか!? という単純な疑問を抱く人は多い事でありましょう。ジャズという世界は殆どのシーンに於て12平均律の音律を体系化している訳ですから、面と向って某かの微分音を聴かされたとしても大概の人は半音階に均して聴いてしまっている人も多い事でしょう。こうして「均して」聴かざるを得ない背景には、決して少なくはないジャズ界隈のベーシストに依るコントラバスのピッチの甘さに影響している事もあるでしょう。ロン・カーターはサントリーのCMに出演している頃はまだまだピッチが甘く、ピッチの精度が向上したのは90年代後半になってからの事でしょう。アルフォンソ・ジョンソンとてウェザー・リポート在籍時の頃のピッチは甘い事が多いのに、80年代後半になってモデュラスの35インチ・スケールのフレットレスを使う様になってからはピッチが格段に良くなった物であります。

 とはいえ、ジャズ・プレイヤーが明示的に微分音(等分平均律での)を取扱ったとしても、周辺の楽器、特にピアノにおんぶに抱っこの状態であり、ギターとてフレッテッドな訳ですからフレキシブルにフレットレス楽器の様に音律を駆使する事は難しく、実際は半音階の世界に身を投じて微分音を駆使しなければならない状況にあるのは疑いの無い事実でありますが、ある程度計算した上でインプロヴァイズしていれば、高次な音世界は得られる事でしょう。


 インプロヴィゼーションが真骨頂のジャズに於て「計算」というのは、それこそ「予定調和の成れの果て」と断じてしまう人もいるかもしれませんが、ジャズがどんなに自由にインプロヴァイズしようとも、12平均律はしっかり保って律しているのは、相等際どいノイズやクラスターやらを演出する様なフリー・ジャズでも無い限りは皆さんしっかり「音律は計算づく」な訳でしょう。

 真なる意味で「自由なインプロヴァイズ」であるならば、音律すら跳越しても不思議ではありません。大概のジャズのインプロヴァイズというのもそれは、半音階という世界を熟知した職人達が音楽的な語法を以て駆使する技を聴いているという訳です。


 半音階に吸収されたり、また或いは色彩的に既知の音律から異彩を放つ様に僅かに逸脱するイントネーションの違いとして微分音をまぶす事がジャズ界で散見する事の出来る微分音使用例の実際である訳で、嘗てもマイケル・ブレッカーがマイク・マイニエリの作品『I'm Sorry』での四分音使用を挙げた事もありましたが、ジャズ界に於てはこういう使用例が実情です。しかしマイルス・デイヴィスのそれは、プレイ面のそれは確かにそうした使用例に収まりますが、他の楽曲アレンジ的な側面では興味深い微分音使用例を見せている楽曲があるのです。


 1986年、『TUTU』というアルバムがリリースされます。これはツツ教の事であり、本アルバムはそれまで帝王マイルスがリリースしてきたCBSからワーナーへ移籍した第1弾のアルバムだった訳で、非常に大きな話題となった訳でした。前年の85年の夏にはライヴ・アンダー・ザ・スカイで来日している訳で、その時の模様も日テレにてタモリがホストをして、ブラックユーモアを駆使するジャズにも造詣の深いコメディアンであるタモリをリスペクトしての事か、帝王マイルスはタモリのギャグにトコトン付合い、模造の牛肉ステーキを昼餐に差し出すタモリにベタな程に舌なめずりの演出までして呉れる帝王マイルスにタモリが模造である事をバラし、途端にしかめっ面をするマイルスの遣り取りはとても愛嬌のある物でした。

 とはいえ、誰もが平静を保ちにくい帝王マイルスの独得の「圧」に屈伏させられてしまいかねない状況で、あのドスの利いた嗄声を聴かされるとなると誰もが萎縮してしまいそうな物ですが、タモリのあの平然とした姿も仕事乍ら大変だった事でしょう。許される物ならば抱擁したい位であったでしょう。日野皓正の弁に依れば、愛妻を呼びつける時も「bitch!」と呼びつけていたそうですが、客人の前の照れ隠しで態とそう言っていた様ですね(笑)。


image.jpg そんな85年のライヴ・アンダーの昂奮冷めやらぬ翌年リリースの『TUTU』のアルバム・ジャケットに度肝を抜かれた物でした。


 嘗てのスティーリー・ダンのアルバム『彩』に山口小夜子が起用される事よりも驚いた、アルバム・アートは故石岡瑛子の手掛けた事でも話題を攫った物でした。照明の使い方があまりに素晴しいと思えるのですが、実は私は裏ジャケも好きだったりします。
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 プロデュースはトミー・リピューマとマーカス・ミラー(一部ジョージ・デューク)ですが、音世界の構築はレイ・バーダニ風にヒントを得たマーカスの手に依る所が多いでしょう。その手法も当時話題を贏っ攫っていたZTT系(アート・オブ・ノイズやプロパガンダ)の音に倣った様なエレクトロ感を演出しており、特に収録曲の「Splatch」はアート・オブ・ノイズの「Close to Edit」に重なる所が多い様に感じる物ですが、デジタル・サンプリングが齎す音の「具体化」(※ミュージック・コンクレートで言われる具体音楽の意味)が見せる妙味が絶妙なのですね。つまり、本来なら局面が違うである筈の聴いた事のある音が全く違うシーンで解き放たれる事で、従来とは異なる音の世界観を作り上げるのであります。それは録音時に収音している音源の廻りの近接する間接的な波形が齎す所謂アーリー・リフレクション(=初期反射)が作り出す質感が持つ形而上学的な要素。随所に用いられております。


 扨て本題の微分音が使われるケースを述べる必要がありますが、それが収録曲2曲目の「Tomaas」であります。邦題では「トーマス」と訳されておりますが、オランダ系のそれを思わせるスペリングから察すれば、聴き馴れた語句に嵌当するのではなく「トマース」が正しい筈でしょう。とりあえず今回は「Tomaas」と表記する事にします。

 この「Tomaas」には曲冒頭から素晴しい微分音の集合とも言えるSEがフェイド・インで入って来ますが、それらの部分音は15音以上の認知しやすい部分音から抜萃した物であり四分音と八分音と通常の半音階が混ざっている物なのですが、2.5kHz以上にも部分音が際限なく螺旋状の様に備わっていて、耳だけでは、知覚し易い音高ばかりが耳に付くため今回は採譜しませんでした。シュトックハウゼンの習作Ⅱにインスパイアされたかの様な螺旋的構造でなかなか興味深い音響的な色彩ですが、今回注目するのはこのSEではなく別の2箇所であります。


 次のデモは曲冒頭のマイルスのフレーズを抜萃して私が摸倣して作った物ですが、YouTubeの方では譜例に合わせて玉も追従させているので判り易いかと思いますが、3音目が嬰ト音より50セント低い中立音程(茲では便宜的にgisesと呼びます)である事を明示しております。つまり、マイルスは明らかにクォーター・トーンの音を奏しているのです。



 この曲はEマイナー・ブルースです。つまりEマイナーを基調としつつも本位3度(=メジャー3rd)の音が附与される事もあるのですが、概ねメジャー側の音組織が附与されたとしてもその際7度が長七度化する事は殆どありません。曲を通してマイナー系ではあるのですが、同位和音(=つまり同主調音組織)の音組織を散見する事のできるブルース調、それがマイナー・ブルースの意味する所です。メジャー・ブルースならばメジャー系の薫りが主体となって時折マイナー3rdの音が附与されるという世界観の意味です。

 調性の主体性がどちらにあるかは扨置き、譜例では調号を與えてはおりませんし、移調楽器としては表記せずに実音表記で示しております。


 一般的な記譜規則からいえば、先のマイルスのフレーズの8音は、少なくとも8音目の音は上行形であるからして嬰ヘ音と表記するのが一般的でありましょう。何故なら上行形・下行形に於ても「臨時記号」を必要とする局面では、軸とする調性からより近い近親調の方を選んで臨時記号を附与するという仕来りがあるが故、本来この仕来りに遵守するならば、gesよりもfisの方が近い事になります。何故ならfisという音はト長調という「嬰記号」1つの嬰種調号である音組織に現れる音のひとつであり、それはハ長調/イ短調の調性に極めて近い音組織に含まれる音となる為です。
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 ですから、一般的には譜例のgesよりもfisの方が適切なのではないか!? と思われますし、そうした仕来りに即す方が譜読みの上でも楽である事も事実でしょう。然し乍ら読譜というのは常に読みやすさを考慮するものばかりでなく注視させる側面もある可きと私は考えております。その上で、これら8つの音列はa音を中心とする事で2度・3度・3度・2度という対称構造になっているのです。もしもgises音が変トでなく嬰ヘであればa音を中心とした完全なる鏡像音程関係で排列される(※嬰ハ音=cisの下にハ音を予期させる)抜萃にも見える訳です。

 勿論、実際はgisesな訳ですから完全な鏡像音程ではないのですが、2度・3度・3度・2度という排列は、その過程で生じている某かのテトラコルド構造を予期させる物であるのに疑いはないのですから、そのテトラコルドを脳裡に仮想的に映じ易いようにする為にも最後の7音目・8音目は同度由来にし度くは無い為、異度由来を重視する事でf音→ges音としている訳です。eis→fis音でも解釈としてはアリなのですが、そうすると音程の対称構造が上手くハマらなくなるので、最終的にf音→ges音という解釈で以て私は記譜しているのです。あてずっぽうにこの様に充てているのではないのです。きっちり熟慮した上で一応記譜はしております(笑)。

 このgises音が原曲も本当にそうなのか!? と懐疑的な方は、御自分であらためて確認してみて下さい。まちがいなく嬰ト音より50セント低い音だという事がお判りになる事でしょう。それを実感する事で、従来それを微分音として聴いていなかった事を省み乍ら改めて微分音の感覚を研ぎ澄ます事に役立つかと思います。決してマイルスが当てずっぽうに音を外しているのではない事が判りますから。ここまで律して四分音を出していたのか、という凄さが判ります。

 また、譜例に示していない以後の音には32分音符の後にGrowlと思しき、バルブで音を出さないオクターヴ下のfis音をリップスラーさせた特殊奏法も演っていたりするのですが、そこまではデモで再現できなかったので今回の様にしているのです(笑)。フラッターやグラウルに関しても記譜例は一義的ではなく多岐に渡っておりFinaleでも標準的に記譜可能なのですがそこ迄は採る必要は無いと思い割愛した訳です。


 特に重要視する必要があるのは、その後遭遇するシンセのSEで3ヶ所に短二度に依る音管的音響が奏される箇所があるのですが、それらは短二度音程で有り乍ら12平均律ではない四分音律の音を用いているのです。cis音とd音に依る短二度がそれぞれ1単位四分音=50セント低い音が現れる箇所が3回出て来るという意味です。

 その2箇所目はCDタイム1:28の所です。基本的にこの部分はワン・コードとしてE7一発として表記を與えても良いのですが、詳述するならばE7に対して本位4度と本位6度が夫々付加された和音と見做す事ができます。つまりE7(11、13)と表記する事も可能で、ドミナント7thコードの付加4&6となっている状況に於てcises、desis(=C#とD音より夫々50セント低い)シンセが附与されて、そこでマイルスは次の様に奏している訳です。

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 E音はマイナー・ブルース調としての主音でしてホ長調的主体性を持つ中心音の振る舞いを見せますが、マイナー・ブルースという注釈が示す通りホ短調的振る舞いも併存する物で導音としての第7音は実際に存在せず半音下行変位してブルー7度という短七度となっている物です。つまりメジャー・ブルースであろうともブルースという名が示す通り導音化していない状況です。つまりは第7音は下主音という状況にあるのですが、その第7音周辺にまとわり付く様にしてマイルスはフレージングしているという事も如実に判ります。

 マイルス自身は半音階を駆使して、背景に存する四分音の音に混ぜているという状況は「計算づく」という訳ですが、マイルスが下主音周辺でフレージングする、という「予定調和」さえあれば如何様にフレージングしてもそれは計算づくであってもインプロヴィゼーションに括られる物であります。

 即興というのは言語に置き換えてみても無意味な語句の羅列ではなく即時の作曲という所が最大の主眼である訳ですから、一定のルールに則っている状況などインプロヴァイズと呼ばないのであれば、その壮大なインプロヴァイズの先には音律のルールにも則らない音楽がある筈ですが実際にはそういう音楽にそうそう遭遇せずに大概の人達はフレット楽器でインプロヴァイズとやらを語っているじゃあありませんか(笑)。「そのフレット、予定調和じゃないんですかい!?」 とでも問うてやればグウの音も出ない事でしょう。つまり、インプロヴァイズとやらを履き違える事なく、マイルスのこのフレージングもおそらくはインプロヴァイズなのだという事が判ります。このフレーズは使い回されているモチーフではないのですから、「おそらく」という私の言葉が意味するのはそれに依拠するソースが無いだけの事で容易に推察に及ぶ事であります。


 容易に推察に及ぶ点はもう1点ありまして、本曲「Tomaas」の作曲クレジットは、マーカス・ミラーとマイルスの共同となっており、他の収録曲の大半がマーカス単独である事を思うとこれは某かの特別な背景を感じ取ろうと推察するのであります。それが、四分音のアイデアがマイルスに依る物ではないか!? という事です。

 別に四分音そのものがマーカスのアイデアであっても構わないのですが、私自身マーカス・ミラー関連の作品は数多く耳にしたものでもありますが、私の知る限りマーカスが積極的に四分音律や微分音を巧みに使用している楽曲は無いと謂えます。無論バス・クラリネットやソプラノ・サキソフォンも奏するマーカスですから自然倍音列上で生ずる第7倍音や第11倍音からの微分音など、それらの存在に無頓着である筈はありません。とはいえ四分音を色彩的な和音としても施すあるいはトーン・クラスターのアイデアとして和声的に付与する様な技を少なくともマーカス自身の作品では耳にした事はなく、こうしたアイデアこそがマイルスに依る物で、曲の大きな枠組みとなるリフに対して「知覚の外」ととも形容し得る様な四分音律をマイルスが呈示してそれにて共同クレジット化したと見るのが現実味を帯びている様に思えるのです。

 というのも、マイルスは西洋音楽面に於ても明るい人であり、マイルス自身が3度ベース、つまり和音の第一転回形で齎す音のエネルギーの漲る力と明澄度をヒンデミットの室内音楽(Kammermusik)を指して(どの作品かは不明)賞賛している事もあり、そうした記事から触発された当時の私が触発されてヒンデミットという作曲家をより一層聴きたくなったというのが私のキッカケのひとつでもあったので、高次な音楽的側面となると異端で排他的に見えるスタンスのそれが一変して優しく見えるのは、やはり音楽に対するリスペクトを存分に感じる物であり、そういう側面を知ると、マーカスには無い側面をマーカスの手柄にして了う様な事は避けたい訳です。マーカスがすっかりマイルスに隷属して四分音のアイデアをも献上しているという可能性だって無くはないでしょうが、マイルスの病歿後の今も猶四分音のアイデアを見せないマーカスが帝王マイルスに遵守した行動であるとは到底思えず、やはりマイルス由来のアイデアと見る方がより正確な物であろうと私は思うのです。


 その四分音のアイデアが誰の物であろうとなかろうと、四分音という音は実際に世に放たれている訳ですから、聴き手がそれを吟味して、半音階社会に均される事なく耳にしなければならないと思います。


 扨てジャズ界の四分音を鑑みるに、ジャズに於て和声的な存在感を秘めているのはホーン&ブラス隊という編成でなければ概して鍵盤奏者である訳でして、鍵盤が半音階に依拠している以上、四分音律をどれだけ放とうとも、12平均律に僅かに色付けされた音に終始してしまいかねないのが現状です。しかも多くの鍵盤奏者は自身で調律をする事をしない音律に無頓着な奏者として凡ゆる所から不名誉にも名高い側面があるものです。彼等が微分音に覚醒するには、少なくともボケボケに歪んだ調律すらも「ホンキートンク」かの様に相容れてしまう様な不正確な音律への音感を正す必要があり、その上で微分音の世界をきっちりと理解する土台が作られない限り、微分音の拡大はまだまだ起り辛いのではないかと思うのが現状です。それでも先人達が遺した決して数は多くはない作品に、多くの鍵盤奏者の感性に準ずる物とは異なる音感で以て聴き手はきちんと耳にする必要があるのではないかと思うのです。鍵盤奏者に総じてダメ出しをしている訳ではなく、無頓着な人が多いよね、ってハナシです(笑)。そういう人達の「基準」に我々が均される必要は全く無い訳です。

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