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娓々詳悉 [Apple]

「厳しい」響きに対して耳が馴染んでいってくれないとお悩みの方は多いかと思います(笑)。耳ってぇのはなにより音を覚える器官なワケですから、言語習得という重要な時期に色々な言語もそうですが、日本国内における東北やら九州地方というような方言の違いですら、多様な音の違いとして強化されるようですから興味深いモノです。



私自身幼少期は親の都合で北や南に行ったり来たりしたこともあって、小学校時代にはあらゆる訛りがミクスチャーしていた時期もあったモンです(笑)。「人」を「シト」と言ってしまうことが10歳まで続きました(笑)。


Siri.jpgいまやそういう言葉の違いを実感するのはローカルだけなモノでもなくなったようです。iPhoneの新機能の「Siri」なんてぇのはまさに好例なんですが、私は日々英語のSiriで格闘しているのでありまして、過去にも書いたことがありましたが未だに私の言う「squirrel」と「bullet」にSiriは認識してくれません(笑)。「アンタ、何て言いたいの!?」だって(笑)。

WolframAlphaでどうにか「Squall」というオールド・イングリッシュを引っ張って来れたのが限度でして、私のように日本語がこびりついて英語など「ナンチャッテ」な状態の左近治にSiriはとても危険なツールになりそうな予感です(笑)。


例えば視覚と聴覚というふたつの「感覚」が得ている情報において、情報そのものの有為性はともかく情報そのものにおいて素直に捉えるのは聴覚よりも視覚の方だと云われます。とはいえ視覚のそれだって多くはフィルタリングという間引きによって篩い分けされており、聴覚とて同様(カクテルパーティー効果など)ですが、聴覚の方が視覚よりも自身の経験に基づく「固執」が強いと云われております。


とりわけ新しいタイプの「音」が情報として入って来た場合、その人がそれまで備えている「ボキャブラリー」にも依りますが、それが少なければ少ないほど型に当て嵌まらないタイプは忌避されてしまいがちなのでありますな。経験がモノを言うのも聴覚なワケです。


鼻歌でフンフン歌を作るという行為を「作曲」と呼んでイイのあらば、大概の人は幼児期の辺りで既に経験している事だと思います。しかしながらこの行為は確かに作曲ではありますが、自分自身が持っている狭い意味での楽才という能力ではありますが、唄いやすく収まりやすい前後の音程がメロディアスになっているだけのことで、大概のケースは、ひとつの調性にぶら下がるだけで首尾よく「決まった」だけのフレーズであることは間違いないと思います(笑)。


調性という言葉など知らずとも調的な感覚はどこに終止感があったり、どこが属音という跳ね返りのための調的な「壁」なのか!?という「バランス感覚」はごく普通に有しているワケですので、声を出すことを覚えた子どもが、今度は知らず知らずの内に「調性」を覚えて首尾よく調性にはまるメロディーを思い付いたというのが真相の大半だと思います。

幼児期でも耳が肥えているタイプの子は、奏でるメロディーの音の背景に想起し得る和声においてルートや3rd、5th音よりも高次の音を意識しているコトが多く、七度や九度、十一度などの感覚というのは耳が肥えているタイプの子であれば幼い頃からそういう耳を持っている事に大人はあらためて気付かされることしきりです。

日本の「邦楽的」な歌心、すなわち民謡やら演歌風に「コブシ」に形容可能なモノでとても重要な「ビブラート」があるんですが、マイナー・コードを背景とした場合は9thと短三度という「半音」のトコロ。実はこの音程部分はとても重要な音でもありまして、純粋な短調ばかりでなく陰音階由来の一部だったりと日本古来の「唄い回し」というのは存在していたワケですな。ある旋律の音において、それを「延ばす」所では収まる所の音を「ゴシゴシこする」かのように「二度」音程で塗りつぶすような深いビブラートを掛けたりすることなど、何も日本の音楽だけにとどまらないワケですが、前述の「塗りつぶす」ような感覚で広い音域を唄おうとする行為というのは広い音程ほど歌い手は難しいのは当然です。

とはいえ素人だって半音の幅のビブラートを唄わせるなど困難だと思いますし、ある程度歌心を備えていないと半音のビブラートだって難しいモノでしょう。概ね1九分音(≒11.111セント)程度でも通常なら充分と言えるくらいの幅でありましょうし。


耳の能力が鋭敏な人にしてみても、それが音楽的語法とは違う所の鋭敏さを求められている場合だと異なる「厳しさ」があるとは思いますが、音楽的な方面では通常我々はどうしても調性という強い牽引力を伴った世界観から音のボキャブラリーを増やして行くという道を辿ります。これというのは例えば言葉だってそうですが、子どもの場合は短いフレーズの中に豊かな音高を持たせたイントネーションというメリハリの利いた「音」から覚えていくように、音楽的な「音」というのも主音があって属音というアンカーを海底に落として、そこから波がどれだけ揺れようともバランスを取りながら「ぶら下がる」。これが調的な感覚です。


ある程度のボキャブラリーを備えると、イントネーションの差異から表情を読み取ることなく表情を読み取ってしまうことすら可能となります。日本語の場合、文字が意味を表すので伝えたい事が滲み出るコトもあれば朧げに理解できるコトが真意に近いため、特にイントネーションに頓着する事無く文語的に読み取ろうとする事もあるかと思います。

そういう意味においては日本人の音の捉え方というのは、仮に十二音という一様に何処にもぶら下がるコトのない「無秩序」な音の中からも、エイトーナリティー(=無調)という姿からすらも表情を読み取ろうとする感覚は外国人の感覚よりも鋭いのではないだろうか!?と私は思っている所があるんですが、それが十二音技法であろうがなかろうが、調的な重心に頼ることのない世界に身を置いても、それまでの音楽観である程度ボキャブラリーを蓄積してきた経験豊富な人であれば、音楽的に厳しい世界においてもそれに表情を捉えることができる人は日本人というのはもっと多くてイイのではないかと思うワケですが、多くの人は調的な感覚を基準として音楽を語ってしまおうとする人が多いんですな。

ですので、半音階を駆使した楽曲のタイプを聴くと大半の人は調的な感性を基準に語ろうとしてしまうワケです。大多数の人に判りやすく解説するという状況なら別ですが、半音階的情緒のボキャブラリーを言葉においても楽音レベルにおいても知らなさすぎる(知ろうとしない食わず嫌いが多い)と言いたいワケですな(笑)。

ただでさえ聴覚という能力は、視覚よりも「固執」する所があるので、過去の経験を「固定概念」とするならば非常に記憶にこびりつきやすい性格を持っているとも言えるでしょう。すなわち、調的な世界をこびりつかされてしまっている人がそれをフラッシュアウトするのも亦難しい事なワケですな。


多くの人は「単一の調性」の感覚でしか極みを知らないため、それ以外の極みの愉しみを知らないワケですな。単一の世界に収まるタイプの人からすれば、他の世界観など耳にした所で「苦痛」や「退屈」でしかないでありましょう(笑)。ところが自身の「単一な世界観」から逸脱しようとしている方は潜在的には非常に多いワケです。自分の矮小な音楽観とやらを自覚しておらずにライブラリーばかりは増えていき、理解の進まぬまま未聴のライブラリーが蓄積するどころか同一品を重複して入手してしまう笑い話など私の周囲にもとても多いモノです。そんな人の音楽観を拡大するには一例を挙げてあげることと、興味を示すべきフレーズのポイントを提示してあげないといけない難しい所があるんですが(笑)、要は聴き所を巧いコトその人にも判りやすく提示したりレコメンしてやったりすると覚醒する人が多いのも亦事実ってこってすわ(笑)。


耳にこびりつくほど聴いて来たにも関わらず音楽的語法がそれほど鋭敏に育たないのは、その人自身の楽音の捉え方がまだまだ偏重的であるからでありましょう。その「クセ」を払拭してからではないときちんとした鋭敏な耳に覚醒してくれることは極めて稀だと思うワケです。


「手軽なジャズ理論」におけるツー・ファイヴにおいて、遊びどころとしては持ってこいのドミナント7thが出現したとしましょう。大概はそのコード内においてナチュラル11thとメジャー7th音を忌避した音選びで半音階12音の内の10音を一所懸命弾きながら転調を目まぐるしく行って首尾よく半音階を手にしているだけに過ぎない音から少しは脱出しないと、細分化されていく刹那の部分に12音を見たせられる場所を見付けられる筈もありません。どんなに細分化しようとも10/12音という音を使う手段しか持たないのではなく、少なくとも「バイトーナルの世界」から見てみたらどうでしょう!?と声を掛けるだけで、肩の荷が下りるかのようにシンプルなアプローチ&多様な音世界を拡大していく人も亦多いモノでもあります。


シンメトリックな構造はドリアンにも見出せますし、平行短調から生じた導音、長調における第七音からの等音程の示唆と補強。これらの補強がさらにはトニック・メジャーの鏡像音程として現れる、例としてCメジャー・トライアドの対となる鏡像形であるFマイナー・トライアドというのは前述のGis音の出現とAs音というコトの補強とも言えるワケでして、こうした所から等音程とシンメトリックな構造はパラレル・ワールドのように常に同居しているワケですな。


自分の体臭に無頓着な人もいるでしょうが、何かをきっかけに自身の体臭を知ってそれを改善しようとした場合、そこからあらためて世界観が変わるのと同様だと思うんですな。音楽的世界観というのは(笑)。単一の調性でしか物を語れない人って、自分の口臭を他人から指摘されても理解できない人と似た感覚を有しているのではないかと思うコトは多々ありますね(笑)。
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