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日本旋法のフィナリス──ジャズ/ブルースの6度 [楽理]

 渡辺香津美の旋法性の打ち出し方というのは実に顕著でありまして、時にはその「旋法性」を作る動機がまるで「わらべ歌」をも感じてしまいそうな程にベッタベタなペンタトニックから組み立てる事もありますが、そのペンタトニックとって凡庸な者が使えばフィナリスを多義的に使えない物ですが、渡辺香津美の場合は曲中に於てフィナリスの二義的(或いは多義的)に活用を変じるのが巧いです。唯、その動機が時にはあまりに露骨すぎてジャズの匂いを感じさせない所もあって、一部のジャズ・ファンからはジャズらしくないなどと酷評されたりする嫌いもあったりするのですが、フィナリスを変じる、という所が顕著である事を今一度詳しく語っておくとしましょう。


 例えば、俗間能く知られる「ヨナ(4・7)抜き」音階という物がありまして、これに顕著な謬見というのは日本独特の節回しという風に捉えられる物ですが、実は歴史はとても浅くまだまだ130年位しか経っていない物で、ヨナ抜き音階というのは西洋から入り込んで来た顕著な音だとして小泉文夫は断じております。ヨナ抜き音階というのはそうした俗名が示す通り、長音階の第4・7音を省略している五音音階なのでありますが、つまりはヘプタトニックの音組織から「半音」を無くす事でもある訳です。

 トライトーンとなる音が無くとも「線の運び」だけで調性感を醸し出そうとする線の強さがある訳です。とはいえ、長音階とて第4音から完全五度音程を上方に累乗して数えれば、f - c - g - d - a - e - h という風に長音階は完全五度の累積で構築されている事をあらためて確認できるのでありますが、前述の完全五度累積の両端がトライトーンすなわち「ヨナ(4・7)」なのでもあります。

 トライトーンを省こうとも調性感を出そうとする線の強さというのは、概ねコード進行は不要なのです。ドローン状態で節回しを吟詠していたりとか、それで辻褄が合ってしまう様な節回しを可能とする訳です。

 処が日本ではヨナ抜き音階よりも更に古い古来の音階に於ても、同一の音階上に中心音(主音という風に振舞える重力)が2つある多義的な節回しを使いこなしていたのであります。

 そうした背景の中でヨナ抜き音階よりも更に古い伝統的な日本の線運びという物が普遍的に存在していた訳です。因みに、「演歌」というのも実は歴史はヨナ抜き音階の様に新しい物で、演歌が和の心などと形容される物でもありますが、音楽学という史実をきちんと振り返る方面から分析されると、実際には謬見を蔓延らせてしまっているという事をあらためて認識できる物でもあります。

 扨て、五音音階であるペンタトニックを眺める以前に、7音列であるヘプタトニックを眺めてみてもお判りなのですが、例えば長音階との主音と属音の関係をあらためて確認してみますが、あまりにも当然で莫迦げている様に思われるかもしれませんが、主音から上方に属音へ辿って行く時と、主音から下方に属音を辿る時とでは情緒が異なるのは、それらは音程が異なる音程(完全五度と完全四度)であるからでありまして、上方に辿る時と下方に辿る時それぞれ二度音程ずつ順次進行していなくとも、我々はその主音と属音の立ち居振る舞いから「調性感」を感じ取っているので、音階全ての音を充たさずとも調性の暗示を感じ取っている為、上方に属音を辿る時の過程にある音を暗々裡に感じ取っている(レ・ミ・ファの存在を暗々裡に映ずる)訳であり、同様に下方に属音を辿る時も属音まで存在する筈の全音階「シ・ラ」を暗々裡に存在を認めている訳であります。

 その際、上方と下方に夫々辿る時というのは、音程は「転回すれば同じ」であるとは雖も、実際には辿る音の数が異なるので、情緒が異なるのです。その情緒の異なる感じというのは、次のデモを聴けば直ぐにお判りになる事でしょう。


 
 このデモ曲は、嘗て渡辺香津美がリットーミュージックの教則ビデオの中にて譜例も何も与える事なく単に流れの中でギターを爪弾き乍ら語っていた物ですが、氏が強調したいのは、譜例にも示した様に1小節目と2小節目の「ソ」の音がオクターヴ移高しているだけの音形としては同じ物にも拘らず聴こえ方が変わる、という事を示している訳です。

 それに合わせて、このオクターヴ移高後には3小節目の様な節回しを欲求として持つという事を、非常に平易な言葉で述べているのです。私はそれを耳にして4小節目の様に終止したくなるという欲求をさらに譜例に附加しているのですが、この様な情緒はおそらく日本人なら誰もが自然だと思う節回しではないかと思います。

 茲で注意したいのが、オクターヴ移高という物が単にオクターヴの高い低いだけではなく、それ以上に別の情感を脳裡に映ずる事なのであります。

 1小節目の節の動機としては、ラの音が最初に鳴らされる物の、ドが中心音にあるかの様な明瞭な感じを以て振舞う様に聴こえるのは、属音を5つ目の音の「止まり木」として聴くからだと推測できるのです。他方、ソの音を2小節目ではオクターヴ下に移高させます。たったこれだけで、1小節目の最初のラよりも全音下方に廻り込む様にして背後に言った事で、1小節目の「余薫」としてフィナリスがスルリとラからドへ変わったドの「四度下方」にソの存在が移った事で、それまでの余薫が齎していた5つ目の音として暗々裡に感じている調性感覚が、4つ目の音へと転じる事で、両者の節回しは異なる情緒として耳に届く訳です。これらの各小節の異なる「ゆさぶり」が3小節目の全く異なる動機を欲し、その後更に終止感として4小節目の様な節回しで結句としたい欲求が起こるのであります。
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 つまり、単なるペンタトニックであろうとも中心音の取り方で、上方と下方では経由する音の数が異なる事で調性の重心の捉え得方が変わるので、情緒のゆさぶりが「メリとハリ」を生み出そうとする訳です。この音楽的な「二義的」要素が生まれるのはとても重要な事でして、例えば「明と暗」との関係とか雌雄関係、静と動、長と短、悲嘆と歓喜など、多くの二義的要素が音楽を形成すると同時に、音の節回しの為の揺さぶりの動機にも繋がっている事が判る訳です。

 こうした二義的な世界というのは「有無」という二義的な世界についても同様である訳で、先頃上梓された近藤秀秋著『音楽の原理』(アルテスパブリッシング刊)の冒頭は、こうした側面を痛切に語っている訳です。単に音楽理論の豆知識みたいな体系を辞書を引くかの様にしてアクセスしたい者は答ばかりを急いてしまって、こうした側面に注意を払わなかったりする事が往々にしてあるので注意したい所です。


リップス/マイヤーの法則

 リップス/マイヤーの法則にしたって同様なのです。リップス/マイヤーの法則を取り上げるまでもなく、例えば、たった2音の異なる音高が夫々有った場合、中心音はどちらに作用するか!?という事をご存知でしょうか。音高が高い方が中心音となる地位を与えられる訳ですが、こうした件はリップス/マイヤーの法則に学ぶよりも先述したオルフ・シュールベルクの著書『オルフ・シュールベルク理論とその実際』(全音音楽出版社刊)など大変参考になる事でしょう。

 リップス/マイヤーの法則(Lipps-Meyer Law)に関してはGoogleで検索しようとも日本語で詳しいのは私のブログ位しか現状ではヒットしないと思うので、懐疑的な方からすればソースに乏しい物かもしれませんが(それなら私のブログに目を通す必要はないのだが)、Wikipediaの英語版で先の英名を検索すればすぐにヒットするでしょうし、協和的な音程関係に情緒が靡こうとする音響知覚を精確に捉えた物であるのです。リップス/マイヤーの法則というのは私のブログ当該記事にて端的に説明しているのでこれ以上の説明は要らないと思うのですが、つまり、優位にある2の倍数となる振動数をフィナリスと捉える優位性を持っている訳です。調性的な源泉でもある訳です。因みに著名な所では、カール・ダールハウスが "Studies on the Origin of Harmonic Tonality" にて論述しております。

 無論、特殊な環境下に於ては協和感よりも不協和感の方の知覚を育むという人達も居ます。所謂民族音楽界隈にて往々にして持っているバックグラウンドですが、ジャズというのは例えば長音階に対して平行四度を付与したりする訳です。

 これは平行オルガヌムと全く同様の事なのですが、長音階に平行四度オルガヌムを唄う場合、ファを唄う時に「シ♭」を生ずる訳です。

 この平行四度というのも厳密な完全四度ではなく微小音程的に高いのですが、半音階に均されるまでの間に増四度や重増四度で採る様な事があったのかもしれません。少なくとも平均律の増四度よりも微小音程的に低い音として彼らはごく普通に使いこなしていた事でしょう。ドミナントに進行する時のサブドミナントであるⅣを微小音程的に高く採る、という方法なども顕著な例として知られています。



ジャズの平行オルガヌム

 ドから始まる音列に対して四度上方の平行オルガヌムに対して、五度の平行オルガヌムを下方に唄うとしましょう。その際、ファを唄う時は副旋律としてシ♭を唄う事になりますが、それで順次進行していった時に歌唱者が可変的な音「シ♭」を選択した時、下方にある副旋律は「ミ♭」を唄う訳です。こうして音組織が「可変的」に変ずる事で多様化が進み、そこで和音を附与する際に、3度堆積和音のトライアドだけでは和音の持つ根音と完全五度が余りに仰々しいので生硬な響きとなる為、6度・7度の附与が為されたというのがジャズの歴史なのです。

 平行オルガヌムというのは、こうした民族的な側面にて世界各地では随所に存在していた物で、アフリカ出身の黒人は何ら関与していない所でも平行3度/6度オルガヌムとかも存在していた位です。旧くは英国のジメルやフランスのフォーブルドンなどが良い例です。
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 また、上行と下行にて可変的に音階を変えるというのはトルコに於ける九分音もあります。その九分音の最も特徴的な物とするのは、全音音程の感覚が上行と下行に於て、それらの折半する丁度半分という標榜にある「半音」とは異なる微分音の間隙(かんげき)の捉え方を変える事もあります。以前にも私のブログにて九分音を掲載した事もありましたが、今回この機会にあらためて九分音に対して附言しておきましょう。図版で示す九分音の他に、表記が充てられていない(変化記号として存在しておらず呼称のみ存在)「エクシク・バキエ(狭いバキエ)」という3単位九分音(=3/9音)という物が存在するというのも知っておいて欲しい微小音程関連の知識です。
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 スウェーデンのロートピーパと呼ばれる音階は四分音に相当する微分音を上行と下行とでも使い分けていたりしています。
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 この様に、「厳格」な西洋音楽の体系とは異なる体系で独特の進化を遂げていた民族的な音楽観というのは看過出来ない側面を持っており、ジャズはそうしたアフリカ民族が持っていた可動的な音の変化に依って生ずる音の粉飾を、民族音楽特有の物とは異なるアンサンブルの和声的装飾として進化した訳です。西洋音楽とて多彩な「不協和音」が属和音として体系が進み、それがスクリャービンの楽派となれば、不協和の源泉となる音の体系を図ってジャズ音楽教育の体系としてフィードバックされて整備が進んだというのはバークリーが貢献した一つの側面でもあった事でしょう。


微小音程の実例

 然し乍ら、ジャズ本来の「可動的」な音というのは、以降それが半音階的に均されてしまった物であるに過ぎず、当初はそれが微小音程であったという所は非常に大事で、マイケル・ブレッカーを今あらためて採譜してみると、コードに対して中立音程を用いていた事はあらためて瞠目すべき事実である訳です。

 私が予々ブログで取り上げている例だけでもマイク・マイニエリの「I'm Sorry」での七度音の中立音程、ドナルド・フェイゲンの「愛しのマキシン」では六度も中立音程で採っている箇所がある訳です。マイルス・デイヴィスですら「Tomaas」にて四分音を忍ばせていたりする訳です。これらの音を聴き手が勝手に半音階として均して捉えてしまうのは歪曲するにも甚だしい行為である訳でして、音に精確に向き合うならば、自身の都合の良い音楽環境に準えて歪曲すべきではないと思う訳です。ジャズの微小音程的な部分が均されて行ったのはピアノが関与した事は間違いない事でしょう。

YouTube動画では0:29の部分。詳しくは次のブログ記事を参照


 グスタフ・マーラーは生前、「不等分平均律」が無くなっていくそれを歎息していたというのは有名な逸話ですが、「不等分」であり「平均律」である事も亦、音律を捉える上で重要な事です。ジャズの場合では不等分平均律の調律とは異なる、「調律が必要な」ピアノで奏される事もあった訳で、それをホンキー・トンク・ピアノとして有り難がった位です。綺麗なホンキー・トンクは3本のピアノ線を、一本はきちんと整え残り2本をそれぞれ最大4セントを目安にして同じ幅で上下に振るというのが「あてこすり」的に綺麗なホンキー・トンクですが、実際には±2セント位が限度だと思います。和音が汚くなっていってしまうので。


 和音が生硬である為の音というのは、基底和音(≒茲では普遍和音という長・短のトライアドの意味であり、基底和音は属七・副七を指す場合もある)に於ける根音と第5音に対して2度音を附与する事で二度という、和音重畳では衝突とも言える近しい音程にて音程が曇らされ混濁し不協和度を強めた訳ですが、卑近な響きに背いて不協和音を好む人達から後に重用される様にまで体系化されたのがジャズの和音なのです。


ジャズ由来のコード体系化の功罪

 そうしたジャズ/ポピュラーのコード表記の際には長・短の普遍和音以外に増・減の和音が体系化され、硬減三和音やその他の変化三和音は体系から選ばれる事はなく、sus4が例外的に使われる様に整備されていった訳です。

 マーク・レヴィンの著書には体系外のコードも多く取り上げておりますが、全方面で市民権を得る様な体系化にまで貢献しているかというとそこまでの地位は得ていないと思います。とはいえ、ジャズ関連の音楽理論書としては一部ではマスターピースともされる本ですから参考にすべき所はあります。とはいえ和声的短音階の第5音と第6音との間の音程が「短三度」としてしまっている様ではいけませんけれどもね(笑)。

 増二度とすべき所を短三度。ジャズ/ポピュラー方面というのは著者の謬見を時には温かく見守って、反駁などせずに読み取る事も必要な手段ではあります。何せ、音楽に対して悪意は無いのだから。悪意が無いからと甘んじて謬見を、その後の読み手が副次的に汎く敷衍する事だけは避けねばならないのですから。


不協和な完全音程=完全四度

 茲で今一度平行四度オルガヌムを振り返る事にしましょう。何故四度音程で採ろうとするのか!?という事ですが、あらためて論ずる必要はない程に完全四度というのは自然倍音列では生じない物です。但し、他の倍音列間との音程として完全四度は完全五度の端切れという、完全五度音程を更に覆う高次の倍音列との補正音程としての標榜で現われる訳です。つまり、倍音としてではなく「音程比」という比率に存在する訳です。

 短三度音程とて転回する長六度音程が補正音程としての更に上にある完全八度を暗々裡にあるからこそ転回が可能であり、その音程比によって「不協和」とされる音程を生んで来ているという唯それだけの事なのです。なぜかと言うと、協和する音程というのは倍音に現われる事でその協和を聴く訳ですが、不協和を聴く時というのは倍音として現われる協和の強度を察知するよりも、音程比で聞こうとするからです。

 「不完全協和」音程と言われる長三度・短三度の場合、短三度の方が協和度が更に弱いのです。然し乍ら、果たして平均律の長三度はピタゴラス律長三度よりも協和度は弱く純正律長三度が最強なのでしょうか!?もしも純正長三度から僅か乍らでもズレよう物なら人々はそれよりも僅かに異なる高低の音ですら忌避したでありましょうし、短三度など使おうともしない事でしょう(笑)。ピタゴリアンの長三度で採る事など、長三度の明澄度を強める為にわざと強調して弾く事など、不等分平均律の社会の時代は疎か現今社会でも珍しくありません。

 純正律の長三度というのは低次の整数比で示されるだけのことであって、ピタゴリアン長三度とて高次な整数比による純正音程であります。「純正」とひとたび目にすれば莫迦の一つ覚えかの様に純正律だけを視野に入れてしまい、その字義からは実際の振る舞い以上の価値を不適切に与えているという錯誤した連中は今猶多いものです。


 ピアノのフラジオレットとて「近傍値」の振動比が共鳴させて生ずる訳ですからね。音楽と言うのは、或る標榜を共通理念としている所で近傍値を奏している事が殆どのケースなのです。

 電子楽器ならまだしも。近傍値がどこにあってもイイや、という曖昧な基準でしたら、アンサンブルは微小音程の差異に気付かずに際限なくチューニングが変化していってしまう事でしょう。特に和音に満ちあふれた現今社会では完全五度音程を伴った和音が殆どですし、セカンダリー・ドミナントの出現も珍しくはないでしょう。

 都度生ずる和音の響きの5度音の純正さに拘泥するあまりに、そのズレを際限なく繰返していけば、いつの間にかアンサンブルのピッチは際限なく変わって行っている事でしょう。シントニック・コンマやピタゴラス・コンマよりも遥かに大きいズレを気付かずに逐次和音の協和感だけを頼っていたら、楽曲を奏する前に調弦もままならない筈です(笑)。

 こういう事から、不協和の音程というのは、微かな音程変化に対しても研ぎ澄まされた感覚で捉えていないと吟味できない物であるのです。故に、完全音程の地位を持つ完全四度というのは完全音程であり乍ら不協和音程なのです。無論それが不協和であるのは、音程が作り上げる所の差音も影響しているのでありますが、差音に関しては今声高に述べる事でもないので詳述は避けますが、不協和の音程を吟味するという事は、音程比に対して非常に敏感であるが故に存在している訳です。

 また、不協和の世界というのは音の対称性という物が顕著になって来る物です。ドリアンというモードの音列びが上に順次進行させても下に順次進行させても「全 - 半 - 全 - 全 - 全 - 半 - 全」という「しんぶんし」や「山本山」状態な訳です(笑)。長音階にしても短音階にしても、その音列というのは、主音(フィナリス)と属音を見渡した時に見ても対称性が無い状態である訳です。

 しかし、この非対称性というのが、単純な音列びに対して「そろそろ半音が欲しい所」という風な欲求にゆさぶりが掛かっているので、自然的な感じがするのです。自然ではないながらも「どことなく普段と違う」感じという物が音楽の醍醐味であり、それは或る意味で音楽的な世界の「欺き」でもあるのです。

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