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自然的短音階の背景──ジャズ/ブルースの6度 [楽理]

 西洋音楽界では和声が体系化される中世の頃までは、短調というのはドリアで奏する事が「当然」とも言える程に広まっていたのでありました。和声体系が進む様になってから、「属音に対しての下行導音を用いるべし」という風に変わり、第6音はドリアの6ではなく短六度に「変化」した訳です。単にエオリアと自然短音階が一緒だから、自然短音階の方が普遍的で自然なのだというのは思い込みに過ぎず、西洋音楽界ではドリアを優先させていたのであり、その名残から調号の嬰変双方の記号が表題の調性と異なる例がある訳です。ト短調と書いてあるのに譜面の調号では変種記号1つの調号であるとか。


 これはGドリアンがヘ短調の音組織として用足りるからの表記であり、この場合のト短調=Gドリアンである訳です。その後自然短音階と変化し、和声的短音階→旋律的短音階という風に年月を経てドリア調の復活、ジプシー調の到来、20世紀になりエオリア調が生ずるという風に理解すれば宜しいかと思います。


支配力への叛撥

 ジャズというのは微小音程的に当初はオルタレーションをしていたのですが、それが西洋音楽界隈の体系に均されていってしまうのは、ピアノ・アンサンブルを中心にしていけば至極当然でもあった訳ですね。

 すると、属音に進行する前の下属音が微小音程的に高められていたのはリディアンへと欲求が均されていってしまう訳です。そうすると長音階組織はリディアンとして嘯く方が手っ取り早いのか!?という状況が一つ育つ事になります。このたった一つの世界観を錯誤しているのがジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトなのです。

 他方、ジャズの平行四度/五度オルガヌムにもあった様に、下属音に対して下方五度を採れば自ずと音階の組織の第7音はシ→シ♭を生ずる訳です。

 すると、長音階組織から見ればミクソリディアンに嘯いている状況も更に一つの例として生まれる訳です。こちらの史実の方がジャズの誕生としては当然の事であるのにも拘らず、ジョージ・ラッセルは先の例の方を、西洋音楽界隈に於ける属調側の音脈を求める「ペンタコルド/テトラコルド」に依る音組織の成立を全く知らないが故に、CM7(9、♯11、13)というコードは綺麗に響き、これはハ長調の組織でなくト長調の組織なので、ハ長調の重心はト長調にあると強弁する訳です。


「下属音を根音とする全音階の総合たる副十三の和音は綺麗に響くね」

この状況とジョージ・ラッセルの弁とは何ら変わりないのですから、下属音上の副十三をフィナリスとして聴いている事となんら違いは無い訳です。

 それならヘ長調の時のトニックにて副十三和音を弾いて「f - a - c - e - g - h - d」と弾いた時の和音《FM7(9、♯11、13)》の組織はハ長調の世界なんですが、ハ長調は一体どちらの調に重心があるの!?という矛盾を曝け出すのに、一部の人はこの矛盾に気付かない。これはもはや音楽云々を語る以前の論理の世界です。言葉をきちんと理解できるかできないか!?という、そういう問題です。


調性の重心とは何処に!?

 先ほど述べたジャズの歴史に於ける平行四度/五度オルガヌムの件を今一度思い返してもらいたいのです。平行オルガヌムに依って生ずる音脈は属調方面ではなく下属調の方面を累積するのです。

 所謂、属調への近親調の音脈を辿る事は「完全五度→完全五度→……」という累乗から、属調を辿って五度圏を巡るのですが、下属調の方面を累乗する事は「ハ長調→ヘ長調→変ロ長調→……」という累乗の訳ですから、下属音をフィナリスと捉えた時の全音階の総合の副十三の和音は「恰も」音響的には五度上方の調域の音脈の様に見えて、本当の調域は下属調方面の音を辿っている訳ですね。

 つまりこれは、属音を属音として聴かない、主音の立場が他の音としてフィナリスの立場を変える事で、属音上の属和音の地位を低める様にして聴いているからこそ下属音の振る舞いが増しているという事が言えるのです。属音を主音とするモードはミクソリディアンである訳で、これは属音を属音として聴かない最たる例であります。

 加えて、属調の調域を用いて属調の下属音をフィナリスとして用いる時というのは、ハ長調であるCメジャーをCリディアンとして嘯いている事と何ら変わりありませんし、ハ長調にて平行四度オルガヌムで唄ったらB♭音が生じて、そのB♭音が生じた事でその下属調の調域を更に五度下方で平行五度オルガヌムを唄ったら変ロ長調の調域を得た、という事と同様なのであります。

 つまり、下属調方面に五度圏を辿るという事は、下方倍音列で得られる音脈とも合致する訳です。何故かと言いますと、抑も下方倍音列を皮相的理解で以て謬見に陥っている人が少なくありませんが、元来は、音階の音列びである「全 - 全 - 半 - 全 - 全 - 全 - 半 」という長音階の上行形と等しい並びを「下行形」にその対称性を適用する事から始まっている訳です。下行形で

「全 - 全 - 半 - 全 - 全 - 全 - 半 」という列びを生ずるのは、長音階ではフリギアの下行形となる訳です。つまりハ長調での「ミで始まりミで終る下行形」というのが長音階に見られる対称性の始まりな訳です。
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示唆に富む「対称形」

 エドモン・コステールが音の親和性を数値化していたりする体系がありますが、あれは元々オイラーにヒントを得ている処があります。

 とはいえコステール曰く、ハ長調の重心は「e」にあるというのは、こうした対称性からもお判りの様に、重心がそこにある事は疑いの無い事であるのはお判りかと思います。なにしろ音列び自体は「同一」な訳ですから。

 ですから、下方倍音列はヴァンサン゠ダンディー著『作曲法講義』の例にもある様に、次の様にC音の上行形に対してE音の下行形から端を発している訳です。同様の下行形の音列びが、ヘ短調でのヘ音から下行形として「全 - 全 - 半 - 全 - 全 - 全 - 半 」という風に順次に音を辿る時、これはハ短調と等しく「鏡像」となる為、茲ばかりが下方倍音列の終着点とばかりにクローズアップされてしまい、一部の者からは

「ハ長調弾きながらヘ短調が共鳴するワケねーだろ、バーカ」

みたいな風にまで悪罵の声を挙げられてしまう訳ですが、音脈がヘ短調方面にあるという事自体には何の問題もないのでして、寧ろこうした音脈が五度圏を下方に辿る延長線上にあると言う事こそが、その後の「不協和」の世界の発達に於て深い示唆がある例証のひとつとも言えるでしょう。


 況してや、「不協和」である事には先にも挙げた様に「音程」に対して鋭敏になる側面を秘めているのですから、上方倍音列として生ずる音を標榜として感覚が先行するばかりでなく、倍音間で齎される「音程」に鋭敏になる事も同様に受け止めなくてはならないのが音楽の不協和への理解の第一歩であると断言できる事でしょう。

 鋭敏に研ぎ澄まされた感覚は、音程の等長性(等音程の累乗など)、対称性の構造を作り出す様になるという訳で、対称構造というのは不協和な世界に多く見受けられる様に、こうした「音程比」やらに感覚が鋭敏になる訳ですね。

 等長性や対称性という意味では、減七の和音の分散に依る短三度等音程など最たる例である訳でして、そのような世界観を経由しての「協和」というのは、メリハリというコントラストが一層強調された世界観だという事を念頭に置けば、不協和音を取扱う事に臆する事など何も無いと思う訳です。

 処が音楽の習熟が甘い者は、字面でしか不協和を知る事が出来ず、例示された通りに和音を聴いた所で、甘みが好きな子供に無理矢理ビールや山葵漬を味わわせている様なモノで、旨さを伝えてしまう前に「不味い」と捉えられてしまう訳ですね。感覚が鋭敏にならないと(=音楽的習熟能力が向上しないと)そうした響きを体現しても「体得」できないのが、和声感の体得を難しくさせてしまっている側面ではないかと思う訳です。

 ジャズにしたって体系は整備されている訳で、紋切り型な理解で済ませるのであるならば方法論だけで面白みの無いジャズ程度ならごくフツーに奏する事は出来る訳です。然し乍らジャズというのは「和音の粉飾」こそが最大の醍醐味なので、重畳しい和声に耳慣れない人からすれば混濁した音の塊な訳です。まだ、ディストーションを利かせただけの単純な和音の方が耳に優しい訳ですね(笑)。

 そうしたジャズの世界での和音の響きそのものの「生硬」さが体得を難しくしているだけの事なのですが、和声感覚の習熟というのは一朝一夕では行きませんから多くの経験を必要とします。単なる反復が功を奏する事もありますが、其処には咀嚼と反芻を重ねてナンボだと思う訳です。

 然し乍ら、いつ美味しく味わえるかの見通しも立たぬ過程で生硬な和音を聴き続ける事は苦痛である事でしょう。とはいえ誰もがその苦痛を味わい、いつしかそれを「耽溺」にしている訳です。茲に到達できぬ半可通が、よもや音楽理論などと軽々しく語ってしまう事すら本来なら看過出来ない物であるのですが、己の主観の果てのボヤキがネットやSNSで注目される時代ですから、まるで市民権を得たかの様にして、体得すら出来なかった者が易々と生硬な和音を汚いなどと揶揄する権利等毛頭ないと思う訳あります。


不協和音の敷衍

 そういえば、ホワイトスネイクにスティーヴ・ヴァイが参加した事があった物でしたが、アルバム『Slip of the Tongue』収録の「The Deeper The Love」という曲は、私にとってはSDの「Black Cow」のサビに似た部分を投影している所がありまして(笑)、中でもヴァイのギター・ソロでメジャー7thと9thを強調するフレージングのそれには、ハード・ロック界に於けるヴァイの音楽観の強かな挑戦を感じたモノでした。パワー・コード一辺倒のロック界にあってのメジャー7thや9thですからね。茲から数年も経たぬ内に7th音の使い方が巧みなロック界隈の音はエクストリーム、Dizzy Mizz Lizzy、ニルヴァーナなどで耳にする事が出来た物でありました。俄にロック界でも「生硬な響き」の萌芽を垣間見た様な感すら覚えたモノです。

ギター・ソロはYouTube動画2:39〜より。解説当該部は2:48〜


 生硬な響きである不協和な音というのは、不協和という物が作り出している音程に鋭敏になるが故の耽溺であるという事は先にも述べた通り。その「特定の不協和な音程」を一つの「尺度」として為す時、その尺度を等方に重畳(累積)していった場合、どういう事が考えられるでしょうか!?先述した様に減七和音の分散は短三度等音程である訳で、これも不完全協和音程の低位にある短三度の協和度の累積である事に疑いの余地はありません。

 また、完全四度を累積していってそれを単音程に転回させて行けば結果的に二度音程による集積という風にもなり、そうなると長二度等音程の集積となり、更に四度の累積を重ねて単音程に転回させれば半音の集積という風に、二度音程の音塊=トーン・クラスターを生ずる様にもなる訳です。

 
 また、12等分平均律に括られない等音程というのも最たる物で、例えば5等分平均律や7等分平均律という例を挙げるだけでも、それらの微小音程を伴った等音程に依る音律体系は、いわば各音程間に鋭敏になっているが故の成立なのであり、そこには既知の音律の「属音」という支配的な立ち居振る舞いはないのであります。あくまでも属音に近しい近傍値が微小音程的にあるという事である訳です。



等分平均律

 音律の体系では等分平均律を英名では略語にて「EDO」「TET」というのがありますが、これらの表記はいずれも「等分」平均律の事を意味しています。他方「CET」という略語もあるのですが、これは「cents equal temperament」の略でして、「等音程」平均律と訳した方が適切でありましょう。

 このCETの音律というのは概して完全五度は疎か絶対完全音程である完全八度を跨いでいたりする事が多々有るので、オクターヴ回帰しない螺旋音律としても知られる「直線平均律法」という linear temperament も茲に括られる事になります。単純なセント数または有理数であれば良いのですが、複雑な等音程平均律体系は平方根という事も多いので、そういう意味では思弁的に、7シントニック・コンマを11等分した平均律というのも考え出す事は可能なのです。これはCETそのものなのである訳です。

 7等分平均律はオクターヴ回帰する平均律のタイプに属する物ですが、次の譜例に示す様に、主音以外のそれは所謂半音階のどれにも靡かぬ微小音程であり、半音階から見渡した時の某かの近傍値として微小音程的に隔てている音律体系となる訳です。

 坪口昌恭氏に依る尚美学園大学芸術情報学部紀要論文では、これはドリアンの近傍値という風に見立てて論究しているのであります。凡ゆるアフリカ民族が7等分平均律を活用して西洋音楽体系のドリアンに均されたという風に錯誤するのではなく、そこには、属音への強固なまでの標榜を希薄にし、等音程の重畳にて対称構造を持つ不協和な音に耽るという音楽社会のシンクロニシティ的側面が顕著に表わしている論究なのであります。

(坪口昌恭尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科尚美学園大学芸術情報学部紀要 6, 71-87, 2004-12-31アフリカ音楽分析 : ジャズのルーツとしてのポリリズムと音律 (音楽表現学科特集号)http://ci.nii.ac.jp/naid/110006667538)

 不協和な音社会に鋭敏な耳と、その不思議な対象構造の関連性。そして練りに練られた西洋の音律における「ドリア旋法」が持つ対称性夫々が、ジャズのそれが体現している事は、短調をドリアンとして嘯くそれと、微小音程的オルタレーションだったブルー・ノートのそれをも示唆している訳です。

 ウィンスロップ・サージェントやガンサー・シューラー等とは違った趣きのある捉え方で腑に落ちる物です。7等分平均律で生ずる微分音をサジタルで表わしてみると先の様に表わす事も可能です。こうした微小音程のヘプタトニックも、主音から順次上行の形と、オクターヴ上の主音から順次下行の形のそれは、171.43セントの近傍値で「等しく」対称形となっている所にも注意してもらいたい訳です。
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 畢竟するに、ドリアンというモードの音列びも上行と下行とでは対称形を生じます。また、不協和な複雑な音の社会では対称性という構造が顕著に現われる物でもあり、下方倍音列が伴っている対称性という構造も亦対象構造であり鏡像であるという事を踏まえると、短調が如何にして逐次変化音を伴わせながら「粉飾」を重ねて来たのかが判ります。そうしたプロセス中に概してドミナントや主音上にて減七の分散が現われたりしたのですから。

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