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調域の墨痕 [楽理]

 別にズッコン墨痕♪とか言いたいワケじゃなくてですね、例えばレッド・ツェッペリンのドラマー故ジョン・ボーナム(=ボンゾ)の「The Crunge」(アルバム「聖なる館」収録)のドラミングなどとても顕著ですが、ボンゾのグルーヴのそれは、拍節に対して図太い墨痕淋漓としたような隆々としたグルーヴでグイグイ引っ張る事に加えて独特のノリがあるため、8/9拍子(拍節感としては2/4+3/8+1/4拍子)という拍子ですら変拍子感を想起させぬほどの、まるで4拍子に吸い込まれてしまったかのように図太い墨痕は拍節感をも払拭してしまう程の個性の強いノリ。こういう個性的なプレイというのはとても目を見張るモノがあります。酔っぱらいが千鳥足で転びそうで転ばないという感じにも似ているかもしれませんが、下手な人には表現できず、愚直なまでに奏でる人でも再現不可能な素晴らしい人間業と呼ぶべきプレイの最たる例のひとつではないかと思います。
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 ※ブログの初回アップ時にはかねてから私はこのドラム・リフはスネアはツーバスに依るスナッピーの共鳴でしかなく16分音符が5回繋がるキック音だと思っていたのですが、どうもロー・ピッチ・スネアのゴースト・ノートだというコトが判明したので譜例を手直ししておきました。


 他方、ギタリストだと私ならザ・セクションの3rdアルバム「Fork It Over」収録の「L.A. Chages」でのダニー・コーチマーのギター・ソロなども顕著ですが、「こりゃ間違い無く酩酊状態だな(イイ意味での)」と言えるくらいの綱渡り感のある拍節感が有り乍らもヨレ乍らも巧い事まとめてしまうという、ハイラム・ブロックでもココまでフラつきを演出するのは難しいのではないかと思える程の素晴らしい「着崩し」を見せてくれるモノです。Forkitover.jpg


 或る意味これらのプレイというのは、音楽とやらが常に丁重に用意している「拍節」という仕来りに対して、「拍節の野郎めが、べらぼうめ!こちとら何だと思ってやんだい!」ってな具合に切り込んで格好よく振る舞っている様な感じにすら思えるワケですな(笑)。これは、プレイヤー自身が拍節とやらをきちんと扱えているので出来る業なのでありまして、氷細工を作るかのように、傍目にはどこから砕いて行っても見事な造形を演出する技術と似た様な所があると思いますが、前述の様に「きちんと」本質を理解している事が大前提なのでありますね。


 器楽的な和声の方面でも、音に対しての墨痕を落とすかの様に記す事があります。「二度和音」という物は完全四度を累積していけば得られる体なので、四度和音=二度和音と形容されるのは松平頼則著の近代和声学でも述べられる事なのでお判りの方も多いかと思いますが、二度和音という方に欲求が導かれゆくのは結果的に半音音程への許容にある、という事を述べているワケであります。

 半音音程というのは十二平均律の空間であれば最も狭い空間なのでありますが、音律の最果てとも言える一番狭い音程へ脈絡を見出し、調性は希薄になった。それを思えば半音よりも更に狭い音程へ欲求は導かれるであろうという考えが既に一世紀程前から云われている事なのでありまして、いわば微分音への追究も先人の音楽家達はそのように音楽を説くワケですね。

 トーン・クラスターという具合に二度に犇めき合う和音がある様に、唯単にピアノを肘打ちしただけでもなく、武満徹のセレモニアルにもある様に、笙の音をクラスターの素材として使い乍ら世界観を構築するという曲もありますし、アート・ベアーズの「Piers」の冒頭のフェードインで入って来るオルガンのトーン・クラスターなどもセレモニアルに似た感じを私はついつい感じ取ってしまいます。聴き手の私がこうして入れ込んでしまうのはやはりそうした犇めき合った音を好む欲求が生じているに他ならないワケですね。14hopes_n_fears.jpg


 私は今でこそこうした小難しい音を好むワケですが、調性が明確な曲を毛嫌いしているワケではありませんが今では好き好んで必ず耳にしたいという欲求は確かに薄れてはおりますが、たまに聴くとその時の感想はまるで、幼い時に嗅いだ匂いを久方ぶりに思い出して懐かしむ様な気持ちに投影される事があったり、あまりに朴訥で、その素朴な様に涙すら流してしまいそうに微笑んでしまうような聴き方をする事だってあります。ただ、こうした気持ちが反映されているのは、もはや作品を聴いて直接そのままの印象に依って得られた感情ではないと私は思っています。なんらかの経験という前提があって、あまりに純朴で素朴な物が当時の記憶を引き連れて来ただけの事で、そうした楽曲が直接作用した感情ではないと思っているのです。


 つまり、たまたま「無意識下」レベルにある記憶(=経験)は、日頃の行動やらの類の「鍵」ではキーホールが合わなくなってしまっているんでしょうな(笑)。単純な形なのだけれどもその形じゃないと合わないという「型」に収まるという事が、既知の経験を引き連れて来てくれて、その経験の善し悪し如何で耳に届く音楽への印象にすり替わっているだけの事で、楽音そのものが本当にそうした直接の作用があったワケではないと私は感じているのです。


 仮に私が調的な世界観に対して、偏重的なクセを有しているとしましょう。そうすると、或る一定の病み付きになりそうな音形やらフレーズやら和音やら聴かせられると楽曲の善し悪し以前にノックアウトされてしまう事になってしまいかねません(笑)。私自身はそうした自分自身の偏重的な癖とやらをなるべく矯正(矯正を自発的に行っているワケではありませんが、自己反省的な《顧みる》という行為を意味する上での言葉です)してきた自負もありますので、今も尚、或る一定の癖のある音形には目がくらんで(耳が)問答無用に曲を選別してしまうという判断に陥っている事は決してありません(笑)。一般的に見れば、器楽的な「癖」を人よりも沢山有しているだけかもしれませんし、音楽に嗜む時間がたまたま人より長いだけで培われたのかもしれませんが、ごくごく一般的な人達が有している様な紋切り型の器楽的な癖は絶対に有していない事だけは声高に申しておきます(笑)。


 ハナシは変わり、「偏重的」と呼ぶべき音楽の世界というのは調性システムという枠組みに言い換える事ができまして、抑も今回は前回からの続きという事で、チェレプニン音階が内包している増三和音という「骨格」と、それに伴うチェレプニン音階の調的情緒を語る必要があるのですが、その前にもう少しだけ、今一度調性システムという物を、中心軸システムを例に語らなくてはならないのでお付き合いいただく事に(笑)。


 中心軸システムというのは既にお判りかと思うので説明そのものは省略しますが、次の図の様に半音階を円形にした物にすると、あらためて各機能(トニック、サブドミナント、ドミナント)の分布が判るかと思います。

 この図では
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トニック=赤
サブドミナント=緑
ドミナント=青

 という風に示しておりまして、各機能はそれぞれ「十字架」の様に短三度ずつオクターヴを分割して分布して、3つの十字架が組み合わさってオクターヴを成す様に形成されているというワケです。
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 ドミナントに於いても各短三度ずつ隔たれた音が次にどのようにドミナント・モーションを繰り広げるのか!?という事を想起するだけでも完全四度進行或いは半音下への解決という「出口」を思い起こせばトニックの位置関係とやらがあらためてよく理解できるものになりますし、トニックとドミナントの組み合わせから生ずる「隙間」はサブドミナントの為のスペースなので自ずとこうした位置関係で形成されていて、五度圏およびクロマティックの双方で図形的に見ても、時計回りに見れば「赤→青→緑」という規則的な配列で持ち合っているという事があらためてお判りいただけるでありましょう。これについてはレンドヴァイ著の中心軸システムの冒頭にて説明されている事でもありますが、こうした「赤→青→緑」の配列は「トニック→ドミナント→サブドミナント」という規則的な配列になっているという事も意味する事なので、あらためてオクターヴの分割が徒に起こっているのではないという数奇な因果を感じ取っていただけると有り難いのであります。


 そうしてハ調の調域を今一度確認してもらうと次の様に分布している事が判りますが、こうした調的システム(ハ長調の全音階)でのヘプタトニック(=7音音階)での配列にシンメトリカルな構造は見られません。或る意味では調的なシステムというのは規則性・対称性の在る構造から巧みにすり抜けて構築する事で「偏重的」とも言える調的な重心を得るための構造となっているとも言えます。そうした世界がいずれは規則性・対称性のある世界へ「均されて」行こうとするのは或る意味当然なのかもしれません。
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 そもそも我々の感覚器官および空気振動の発生や収音に関しては共振&共鳴が成立して初めて知覚出来る体系なので、完全五度の共鳴由来で構築されている物であれば某かの体系に捕捉される、というのはこういう所の呪縛に起因するモノで、「調性」というのは抑も完全音程が齎した成れの果てとも云えるワケです。完全五度音程を11回累積させれば実質的に半音階を得るモノの、その時点ではシントニック・コンマを得るので「不完全」であります。このズレを均一に均した物が十二平均律というワケで、半音階への牽引力はこれにてグッと深まった(イコール調性が希薄になる)という事を意味し、シンメトリカルな構造にも捕捉されやすい(あくまでも完全音程あっての縁遠い音への脈絡)体系を生んだとも言えるワケです。


 「完全音程あっての縁遠い音」というのは、例えばハ長調を強く感じる世界に於いてCとGという音の完全音程に対してE音が補強されている世界に於いて、それらに対して本来なら調的因果関係として脈絡が希薄で縁遠い筈の和声外の音を、先の長三和音と「セット」で捕捉してくる様な因果関係だと思っていただけると、調性外への脈絡というモノも理解しやすいのではないかと思います。


 とまあ前述の様にトニック、サブドミナント、ドミナントはどの様に各音がオクターヴ内に分布しているのかという事が判ったと思うので、今度は調的なシステム内で生じる主要三和音いわゆるスリー・コードってぇヤツは長調と短調では夫々の構成音がどのような「機能」を包含した上で組成されているのか!?という仕組みを今度は見てみる事にしましょう。すると次の譜例の様になりまして、上段がハ長調(=C)、下段がハ長調の平行短調であるイ短調(=Am)を示しており、各コードはディグリー表記で記されているのであります。
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 取り敢えず短調の方は参考程度にしておいて貰って、今は長調の側を例に取って語って行きます。各コードの構成音の右横に小さく「T、D、S」とかルビが振られた様にしておりますが、これは「トニック、ドミナント、サブドミナント」の頭文字を意味していて、各コードはどういう機能で組成されているのか!?という事を捉えたモノです。
 例えばトニックである「I」(=C△)という和音の組成は下から上に読んで行くと「TDD」という形式で、サブドミナント(=F△)は「STT」という形式、ドミナント(=G△)は「DSS」という形式で組成されている事が判ります。

 トライアドの組成に於いて、TとDとSを等しく一音ずつ持ち合う体は無いのか!?と勘繰る方は結構見込みアリです(笑)。その体は「増三和音」を導くのですが、それはもう少し後に述べるので今暫くお待ち下さいね、と(笑)。

 でまあ、例えば調的なシステムを繙いているワケですが例えばコード進行でトニックからサブドミナントのIVに進む場合の事を考えてみましょう。

 これについてはレンドヴァイ著の「バルトークの作曲技法」52頁に詳しいのでそちらを確認していただければ助かるのですが、以前にも少し触れた様に、機能和声の枠組みでのコード進行というのは機能的なメリハリの為にも必要な事があり、それが「共通音」の持ち合いなのですね。

 次の図からも判る様に、例えばトニックのルートはサブドミナントの5度音で持ち合う様にして、サブドミナントのルートはドミナントの第七音で持ち合うのは、それと平行する様にIIm7のルートがドミナントの五度音で持ち合う様になっているからですね。ドミナントがトニックに解決する際、ドミナントのルートはトニックの5度音で持ち合っている、という五度の協和的な動きを利用してそれらを「主音で持ち合う or 倍音で持ち合う」という事でコード進行は成立しているワケですね。ここで言う「倍音」とは倍音列の事ではなくルート以外の音を総じて「倍音」(=上音とも形容する時があります)と述べているという事を意味します。
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 五度の共鳴というのは徒に作用しているモノでもなく調的な枠組みの中でもあらためてこうした深い「連結」があっての事だという事をあらためて知っていただけると、先の和音が包含している「T・D・S」という各和音が構成している音は次の和音へは何処に収まるのか!?という風に捉えていただく事が今回の理解で一番重要な事なのでありますね。


 そうして漸く「増三和音」の話題に触れるワケですが、チェレプニン音階の「骨子」とも呼べる増三和音の体というのは、チェレプニン音階とやらの成立はこの際とりあえずは考えずに、調的な枠組みでどういう時に遭遇するのか!?というと、古い理論では扱われませんが、比較的新しい機能和声の枠組みでの短調の扱いで生じる「短調のIII度」として扱われる時に登場します。スケール・ディグリーをポピュラー表記に倣って記すと「♭IIIaug」という事になり、イ短調(=Am)で生ずるのはCaugという事を意味します(ポピュラー表記の習わしでのディグリー表記はメジャー・スケールを基準にその音から変化音を表す)。次の例はつまり、増三和音がC/Amの調性に生ずるCaugという体をオクターヴ内等価に中心軸システムに倣って「TDS」という形式が出来る体を列挙した物となるワケです。
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 先にもトニックやサブドミナントやドミナントがオクターヴ内でどのように持ち合っているのか!?という事を図形的にも見た様に、同じ《属》(=グループ)が隣接し合っている事は確認できました。五度圏で見ようが半音階的に見ようが、トニックの両側に隣接する音にトニックは現れないという事。他も亦同様なのです。

 チェレプニン音階の情緒の仕来りではあらためて譜例に表しますが、同じ《属》が隣接する所が最大の特徴です。音として二度音程を集積させたトーン・クラスターを実際にまぶすワケではないのですが、調的な意味では「ざっくりイッちゃってる」んですね(笑)。調性というのは抑もピンポイントでどこかに重心が或る筈なのに、図太くザックリと墨痕で力強く落とすかのように調的な世界ではまるで塗り潰されたかの様に集積し合っているんですね。
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 元々は完全五度音程を累乗させて近親的な調関係で集積させただけに過ぎないのに、いつしかそれは「どことなく」情緒を得て、その枠組みでは収まる事なくシンメトリカルな情緒に囚われるかの様に一部の音が変化して、結果的にそれは増三和音という骨子に絡み付く様に体を成していた、という風に考えると興味深いと思います。


 チェレプニン音階を組成する前の五種類のペンタトニックを合成した時点では、それらは確かに5つのペンタトニックであるものの、或る意味変ロ長調(=B♭)とヘ長調(=F)とハ長調(=C)が併存して生じているとも言い換える事ができます。これが多調の世界であればそれぞれはどこかにひとつの調的重心を持ち合って併存している枠組みなのでありますが、チェレプニン音階として変化を遂げると、先の3つの調性は消え失せ乍ら「ハ長調」の体は遺しつつ、ハ長調という調的重心に収斂するのではなく、調的重心がまるで4つの方向へ分散してしまう様に変化するのが非常に興味深い所なのです。

 或る意味では巧みにフレージングさせれば、ハ長調に他の調的由来っぽいフレージングを絡めつつハ長調の世界を中和し乍ら、気付かず内に転調感をも起こさせるようなトリックめいたフレージングをする事も可能でありましょう。ワーグナー以降の作曲家であれば皆こうした技法は備えていると思いますが。


 しかもチェレプニン音階というのは、最初に備わる増三和音という「骨」の半音上下夫々にもう二つの増三和音を生ずるとも考える事ができます。或る意味ではこうした、「調域への墨痕」を記すように、槍投げでザックリと3つの調域を串刺しにしたかの様にすら思えてしまうのであります。調性とは単一の方向へジャイロが働く筈なのに、それが中和するかのように塗り潰されるかのように分布するというのがとても興味深いのであります。

 前述の「塗り潰し」とは、軈ては音の世界は少なくとも十二平均律を例に取れば半音という「二度」に収斂する様な、その二度の集積が半音階の総和音のように「完全に」塗り潰される世界をも予見するかの様に、塗り潰しという分布の構造が見えて来るのが醍醐味のひとつだと思うのであります。


 塗り潰し、というシーンに遭遇すると、概ね音の世界ではどこかに鏡像的で対称的であるというシンメトリカルな体を構築の始まりがあり、それらが十二音を使い果たす事があったとしても欲望という側面では半音よりも更に狭い音程に脈絡を得ようとしてベクトルが働くのは最早必然なのだろうなと痛切に思うことしきりです。

 通常の一般的な仕来りの中での音空間で調性ばかりが強く働く音世界だけではなかなか味わえない事もあるとは思いますが、耳や脳がなぜ、そうした方面へ欲求を向けるのか!?という事を何れは実感してほしいと思わんばかりであります。

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