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Good Stuff/ドナルド・フェイゲン 「Sunken Condos」考察 [スティーリー・ダン]

 この曲を聴くとついつい私はサマータイムを投影してしまうのでありますが、SDのアルバム「幻想の摩天楼」に収録の2曲、「Sign in Stranger」やら「The Royal Scam(=幻想の摩天楼)」をも感じ取ってしまう忍び寄る戦慄が表現されている様で非常に良いですね。


 忘れかけていた陰鬱な感情の再到来とでもいうような。正直な所、ベッカーがベースを弾いたら本作では最もキマる曲が本曲でありましょうし、このベースも上手いのは勿論ですが、ベッカーの符割や各音の粒、ピッキングの強弱の妙味、これら全てを取っても、例えばサーカス・マネー収録の「Darkling Down」など比較して聴いてもらえればあらためてお判りになるかと思いますが、音のフォーカスといいグルーヴといいベッカーのそれはとても絶妙な事があらためて知らされます。ベースの器楽的経験がある人こそ思い知らされる事ではないかと思います。ベッカーの音はピックが弦に対してヒットする手の角度やらが絶妙に頭の中に浮かんで来るような音なんですね。


 イントロに現れるコード進行は曲中でもサビのブリッジとして遣われていますが、特異なコードという物は特に見当たらない物のオルタード・テンションが多用されている事で短調の曲において特に深い情感が増すモノであります。

 
 A♭7(♭9、#11、13) -> G7(9、13) -> C#7(#9) -> F#7(#9、♭13)

 AメロのリフはBm6(9)サウンドですね。ドリアンの特性音であるナチュラル6thへの音ばかりに食い付くのではなく、あくまでもマイナー6th add 9thとしての音と理解する事が注意すべき点でしょうか。

 マイナー6th add 9thというコードは以前にも語った事がありますが、別の音を根音とする四声体の7th sus4の体を包含する物なのであります。7th sus4というコードも言い換えると完全四度累積の等音程の型なので、今一度例に出してみることにしましょうか。

 譜例を見ていただくと一目瞭然ですが、まずはBm6(9)の構成音を確認する事ができますが、次の完全四度等音程はG#音からG# - C# - F# - H(英名:B音)という完全四度累積の等音程に依る四声体という事を表しております。つまりBm6(9)の和音はこの四声体を包含しているワケですね。
 さらに突き詰めると先の四声体の完全四度等音程はC#7sus4というコード表記を便宜的に与える事もできまして、つまる所、マイナー6th add 9thというコードはその全音上の7th sus4コードの体を見出す事ができるワケですね。
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 仮にBm6(9) -> C#7 sus4と「進行」させても、実際にはベース音が変わってB音が在るか無いかで殆ど差は無いという事も言えるワケですが、これを逆手に取って曲作りに応用する事は可能です。特に完全四度の等音程の四声体位でしたら特にギターなどは運指もセーハでこなせたりする位に楽な運指で済むので、sus4の方面ばかりに頓着せずにマイナー6th add 9thという和音の情緒を見付けてメリハリを更に付ける、という点で応用は可能になるので、マイナー6th add 9thという和音の情緒は、今回の「Good Stuff」に見られる様な情緒を醸すコードだという事を併せて理解いただくと、ボキャブラリーが増えるのではないかと信じてやみません。

 
 その後曲が進行して「When a job comes off so right」の’right’の部分はDM7の和声上でフェイゲンが♭13thであるB♭音を、女性コーラスが5th音である「A音」を唄っている所が注意すべき点ですね。この曲のキーはBマイナー(=ロ短調)なので、DM7という平行長調に相当する側のコードは「短調のIII度」としても知られているようにDM7augという、つまり5度音が半音上がっても良い筈の所で、フェイゲンは5度が半音上がる音としてではなく6度が半音下がっているモードを想起した上で完全五度音であるA音と♭13thとなるB♭音を使っているのです。バックのウーリッツァーもBとB♭とA音を巧みに1小節内に使い分けております。

 この1小節は最初の1~3拍がDM7(♭13)で残りの2拍がDM7(13)という風に判断する事ができます。DM7(♭13)とは便宜的な表記なのでこれは仕方の無い所なんですが、DM7augと近似する音ではありますが、完全5度音が半音上がった音ではないので解釈には注意が必要です。ついつい曲想に身を委ねてフェイゲンの声のピッチのフラ付きかのように聴いてしまい、聴き手の耳で勝手にピッチを修正してしまいかねませんが、フェイゲンはきちんと長七度下のB♭音を唄っているので注意が必要です。

 これに似たヴォーカルのピッチを勝手に修正してしまいそうな例、少し前にもジェントル・ジャイアントの「Black Cat」でやりましたね。見慣れない&聴き慣れない和音だからといって勝手に解釈するな、という様なヤツですね(笑)。何はともあれ気を付けて聴いていただければと思います。


 因みにウーリのここでの1小節内のプレイは2拍目以降の2拍目8分裏=C#とB♭の増二度、3拍目8分裏はBとAと長二度、4拍目16分裏1つ目がC#とBの長二度という風に「二度音程」を弾き分けており、こうしたプレイはウォルター・ベッカーのアレンジに倣っているかの様な感じにすら受けます。

  メジャー7th上で♭13thの音というのはチャーチ・モードを使っているだけでは絶対に出現しない音です(笑)。SD作品なら古くは「Green Earrings」のエリオット・ランドールのギター・ソロ冒頭部で出て来ますし、近年ならばウォルター・ベッカーのソロ・アルバム「サーカス・マネー」収録の「Three Picture Deal」のサビ直後のリード・ギターがやはり弾いておりますし、過去には私のブログでかなり語っていた事でもあったので4年前の事とはいえ記憶に新しい方もいらっしゃるのではないかと思うのですが(笑)、

 メジャー7th上での♭13th表記をどうしても避けたいという方は、こうしたシーンにおいて♭13thを包含するモードを提示してあげれば奏者は判りやすい事でしょう。但し、コード譜を追うだけでは奏者の側としても心許ない所でしょうから、やっぱり表記がどうこうよりも音符の玉採る事に注力させて然るべきだと思います。

 というのも、このような特殊なシーンに限らず音楽理論界隈というのは呼称が統一されていない語句など多く、語句そのものの語感やら食い付きやすさだけに執着してしまう愚かな連中も多く、理論に対して崇高な物として捉え、言葉ばかりに必要以上の重きを与えてしまい、軈てはマイノリティー性の高い事を振りかざしてしまうだけの様に陥ってはならないと思います。音楽を語る上で言葉そのものよりもどのような音を捉えた言葉なのかという「共通理解」こそが言葉であり、「こっちの語句が相応しい」「この呼び方は相応しくない」などの不毛な議論を続けているだけでは肝心の音の方がなかなか伝わらないモノであります。音楽を言葉で語る事は殊更難儀するモノであり、共通理解をするに当たってどれが最も手っ取り早く理解し得る物なのかという視点に立って選択すれば良いだけの事であり、共通理解が備わっていれば語句そのものを統一する必要も無いのであります。徒に呼び名を増やすのも歓迎しませんが。言葉に食い付く前に音に食い付いてこそが音楽を知る事というのを肝に銘じておかねばならない事だと思います。

 
 この曲に於いて楽理的側面の特異な面は、先のメジャー7thコード上での♭13thなワケですが、SDの「Green Earrings」然り、ベッカーの「Three Picture Deal」然り、SD関連の人達の間では殊更珍しいモノではありません(笑)。メジャー7thコードの音を与えつつ♭6thの音が現れる音列を知らない人が虚を突かれるだけの事で、語法として知っている方ならば別段大騒ぎする事でもありません。然し乍らこれがポピュラーな体系には無い仕来りというのも亦事実です。

 この曲に限らずフェイゲンの今作「Sunken Condos」ではドミナントを強く示唆するコード上では既にトニック方面を向く音があったり、他のシーンでは調性を嘯いてみたり、という事は曲想からもお判りいただけるかと思います。少し前のブログ記事でF.リストの「枯れたる骨(不毛なオッサ)」を例にホの旋法の総和音を例に出した事がありましたがYouTubeでもごく普通に耳にする事ができるのであらためて聴いてみると良いでしょう。その和音が予想もしなかった方角から光を放たれるかのような表現だという事を。つまり音に例えると「こういう風に聴こえてくるのだろう」という方角とは異なる方から音が現れるのがお判りになるかと思います。

 不毛なオッサでの総和音は明らかに属七の体を包含しています。しかし属七とは扱いません。属七を包含し乍らも属七ではないという事は、別のシーンで言い換えると、ドミナントのシーンでトニックの音を先取りしていたり、スーパートニック上にあらわれるIIm7に於いてナチュラル13thを包含したりする事と同意なのです。総和音とはチャーチ・モードに於いてはこういう「逡巡」を作りだします。人間の感情に表せば「苦笑い」や、突然の状況変化に表情すら逡巡してしまうような喜びと驚きが同居した様な感情や「泣き笑い」などに例える事ができるかと思います。

 機能和声の枠組みではそうした音遣いは「アヴォイド・ノート」として知られているモノです。但し、アヴォイド・ノートの先にある仕組みでは既にこうした音世界も1世紀以上前に存在しているのであります。

 日本人というのは社会的にもルールに則って平均的に振る舞う事が礼讃される向きがあるので、清純でオーセンティックで真確な物を是とする所は清潔さも備わっている所から来る行動のひとつだと思います。だからといって音楽用語に「不協和音」があってもそれは忌避するモノではありませんし、禁忌ではなく、誰もが合点の行く機能和声としての狭い枠組みの中でそうした世界観を近視眼的に礼讃し、よもやそれに準ずる事が全て!とばかりにテンパっちゃってる様なのが、機能的枠組みの呪縛から解放される事のないその後の成長の見込みも希薄な悲哀なる側面を有している者だったりするのです。

 2013年にもなればNHKにおいて坂本龍一がまた新しい題材で「スコラ~音楽の学校」が始まります。これまでの回でも番組内で云われていた様に、音楽というのは概ね150年のスパンで大きく変化している、という事を奇しくも語られていたワケですが、今から150年前の西洋音楽はワーグナーが巨人だったワケですな。後にF.リストの娘と結婚する事になるのですが。

 属和音というものもその時代でも変化はしておりますし、ハーフ・ディミニッシュとして知られる和声の一部もそうした時代には既に存在していたモノです。

 そういう音楽的な背景を考えるとですね、120年も前に総和音という響きが既に生まれているのにも関わらず、現代に生きる皮相的な理解の連中は一体どこの方角を向いていつまでもその音楽とやらを聴き続けるのだろうかと思わんばかりです。

 100~150年程前も「保守的」な聴衆が「ワシ、金払ろてんねんぞ!」という具合に文句を言っていたりしたというワケですから現在のそれと体して変わりありません。耳の進化が進まぬ者は愚かものと同様で、時代は変わろうともそういう耳を持つ人は不変なのであります。言葉尻や旧来の狭い枠組みでのルールに頭デッカチになって及び腰になるようでは本末転倒なのであります。


 厳しい事を言いつつも、フェイゲンのそれは終始厳しさを求めて曲を描いているモノではなく、大枠としては一般の人も食い付かせるに充分な情緒を齎すメロディアスなフレージングを備えているのであります。そうでなければ唄モノとして成立させる事も難しいのかもしれませんが(笑)。


 曲中盤以降の鍵盤ハーモニカが、是亦「Century's End」を想起させてくれる感じが懐かしいですな。昔の良き思い出を忍ばせ乍ら現実を直視せねばならない厳しさと、SDの作品は調性を嘯きたいという調性を直視しない様な相反する対比を感じてしまうワケですね。人生も折り返し地点を過ぎれば自ずと実感するであろう自分自身の老化と死との直面。「下山の思想」という著書にも死への向き合い方というものについて書かれていたワケですが、まあ本当に「下山の思想」の表現に倣えば、死とは他者のそれを知ってはいても自分で実感する事のない物なんですな。自分自身の意識は肉体を捨ててもダークマターの様に異次元を彷徨うのかどうかも判らない(笑)。それが未知であるが故に誰もが知らぬ死への実感というのは歳を追う毎になんとなく理解させられてしまう人生の惰性感覚とやらも結構残酷な物なのかもしれません。


 ま、そんな事は扨て置き、この曲の中盤以降に差し掛かり新たなブリッジが投入されて、「次は何処へ赴くのか!?」という演出がされている様に思えますが、一連のブリッジを終えると「Century's End」の鍵盤ハーモニカを思い起こさせる、是亦懐かしい演出を繰り広げてくれるワケであります。

 DM7aug -> E♭M7aug -> B♭m7 -> Bm7 -> CM7 -> B7 -> Em9(11) -> Em7 (on D)-> C#m7(♭5)-> F#7 -> E♭9(13) -> D9 -> C#m7(♭5) -> F#7(13)-> Bm -> D△ -> BM7aug -> Bm7(on E)
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 譜例での一番最後の小節の最後のコードは「BM7aug」ですが、直前のDメジャー・トライアドから半音上がったD#メジャー・トライアドに対してベースがB音という解釈の方がもしかしたら判りやすいかもしれません。そして鍵盤ハーモニカのソロの時はBm7(on E)という風に推移するのであります。

 現実への悲しみと過去の郷愁が交錯し乍ら沈んでいくかのような思いに秘められた希望とは!?夢想の世界へ羽ばたくのでありましょうか。色々と考えさせられますね。

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