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音程が見せる”轍”《わだち》という位相 [楽理]

 扨て、茲最近私が用いて来た表現に「オクターヴの位相」という物があるのは記憶に新しいかと思うのですが、實はこの「位相」という表現は、今道友信著『美の位相と藝術』に触発を受けて呼んでいる呼称です。


 「位相」という言葉そのものは、時には「フェーズ」やら単なる「相」という風にも表現されるものであり私自身能く使い分けてはいるものの夫々に意味としての大きな差異を意識して使っている物ではありません。然し乍らそれらの言葉を全く同一視するのではないのも事実であり微妙なニュアンスは語感から感じ取ってもらいたいと思う事しきりなのですが、これらの言葉を単なる言葉の重み付けとして「なんとなく」理解してしまっている人もいるかと思いますし、3つの表現を使い分けても同じ様な事を意味しているのだという包括的にそれらを後ほどまとめあげたいという思いから私はそれらを使って来ました。「こーゆー時は《フェーズ》って使った方が表現としてスムーズだろう」とか一応読み手の事を考えてアレコレ考えては居た訳です。


 扨て、音における「位相」という意味。私が用いている場合、それは音程が律する時のうなりという共鳴度について語っていると思っていただいて構いません。加えて、今後は今回このように明示的にする事に依って位相に関する似た様な微妙な語句も使い分ける事にもなっていくでありましょう。取り敢えずはなにゆえに音における「位相」という意味を其処迄明示したいのか!?其処を先ず語らなくては私の意図が伝わらないと思うのでその辺りを語る事に。


 例えば、ギターなどの弦楽器を調弦する時に我々が最も感じやすい「位相」というのはオクターヴやユニゾンに調和する時に生ずる「うなり」です。調弦の際に生ずるうなりという形の位相が完全に揃えばうなりは消失するのであらためてその「位相」が揃った事を實感できると思いますが、この「位相」という物は決して目には見えません(※よほど強いエネルギーを持つ音波が眼球内の液体を揺らして実像の空間色に波紋を生ずる様な事はあるでしょうが、あくまでもそのような特殊なシーンを除いた表現)。イメージとしては道路などにできる「轍」だと思ってもらいたいので、今回の記事のタイトルには「轍」という語句を用いているワケです。


 決して目には見えない調弦の際の異なる音程同士のうなりという轍は相貌的であるので、実像を掴めない概念的なモノであるかもしれませんが、音という実像からすれば轍とて虚像に過ぎません。その虚像にしか過ぎない轍を音の「脈」として使おうとする意思が働く事は何の咎めを受ける事無く、寧ろ必要な動機のひとつであることも忘れてはならない行動です。もし、メロディを作る事に苦悩の連続があったとすれば、それは脈を見付ける事に苦悩しているからであり、脈を見付けるための動機のひとつに「轍」を見付けることは重要な動機だという事も前提として知っていて欲しい處であります。
 
 ソチ冬季五輪も近いのでスキー・ジャンプに喩えるならば、ジャンプ台を滑降するスキーヤーはやはり「轍」に沿って滑降しているワケでありますね。音の場合、轍という存在感を最も顕著に示すのは完全音程やらで、協和音程もそこそこ存在感を示していて、その他の不協和な音程もやはり轍の存在はあるものの、絶対完全音程の類と比較すればその存在感の差は歴然としているのが実状です。


 耳の習熟度が高まると、無頓着だったような處に存在する轍も見つけてきます。多くの人は図太い轍《概ね完全音程や協和音程という太い轍》に乗っかって運転していないと却ってハンドルを取られる様になってしまいかねず、縁遠い轍を使うのは難しいのであります。これは音の聴取能力とイコールであります。


 音という物が「時を進める」場合、そこには律動が備わったり、音高の変化があったりする事に依って、音の世界は単なるstill life《静物》だったものが「脈」を得て時間的にも動こうとします。つまり「流れ」が生じる様になるワケです。


 そこで「音」の存在という物を今一度考えてみようかと。


 古代ギリシャの大完全音列《シュステーマ・テレイオン》は扨置き、通常我々は「ヘプタトニック」という7音で構成される7音組織社会をスンナリと受け止めて音階の組織を覚えていきます。その「自然な」ヘプタトニックというのはオクターヴをアレコレ難しい事考えて現今の全音・半音で細分化していったのではなく「共鳴現象」に裏打ちされて組織されているのであります。例えばハ長調の長音階の並びは、f - c - g - d - a - e - hという五度の共鳴を、単オクターヴに並び替えている事と等しいのであります。共鳴現象というのは、協和的な音程を便りに作り出されているワケなので、耳に優しく響くワケでして、この優しさは振動数という比率で見るととても簡単な整数比が隣接し合っている整数同士で共存し合っていたりもするのです。その整数比に関しては余りに初歩的な事なので今回茲では詳述しませんが、「隣接し合う整数比」というのは「1:2」とか「2:3」とか、それこそもっと視野を拡げて「80:81」という處にも拡大する事ができ、其所で重要なのは単純な整数比というのがやはり重要なもので、3音以上の音が犇めき合う事で整数比はより複雑化して行き、隣接する振動比とは異なる比率を得て実感するようになるワケです。これが純正律の世界でしたら大全音と小全音の違いも体得する事が必要とされる場面も出て来るでありましょう。


 所謂3和音という、3度音程が二つ組み合わさったトライアドと呼ばれる和音が振動数比を高次化させるというのは前述の通りですが(2音間では得られなかった振動数比の組み合わせが多数生ずる)、取り敢えずヘプタトニックの中でも最も単純でオーセンティックな長音階の中に於て、ある和音達を巧く活用すると時間的な方向にも「脈」としての動きが出て来るようになり、その動きは「横の線」としてつまりメロディとして表現される事も意味しますし、和声的な連結としての動きが出て来ます。この動きそのものは「調的勾配」と云われる物でして、調的な情緒として揺さぶりが付いたのが調的勾配というワケであります。こうした音の脈というのは音自身が作曲家の手を離れて動こうとしているのか、それとも作曲家の意思がそうさせるのか!?亦それは同等なものなのか!?という、音に対して哲学的・弁証法的な角度から見つめるとこうした疑問にもぶつかりますが、2013年の暮れに発売された近藤譲著の「聴く人 (homo audience)」はそうした方向をきちんと語って呉れる良著なので是非とも読まれる事をお勧めしたいと思います。



 扨て、あらためて調性という世界に目を向けて再確認したい事があります。

 調的勾配の特徴というのは、和音進行に於ての各機能(トニック、サブドミナント、ドミナント)の根音を次の和音の上音に取り込む事で調的な「勾配」を生むのであります。この「上音」というのは次の和音に於ける根音以外の上声部という意味でして、理論書に依っては上音を「倍音」とも表現されております。「倍音」と理解する事に依って縁遠い微分的な脈にも勾配は付けられる事を意味します。


 同様に機能和声に於てはサブドミナントは旧くは「下ドミナント」と云われます。これは歴史的に、主音の五度上がドミナントと呼ばれ、五度下のドミナントが下ドミナント(=サブドミナント)と呼ばれた事から端を発しておりますが、更に重要な事前知識として挙げますがそれは、下方に在ったサブドミナント和音が上方に在る時は協和音、サブドミナント和音が下方にある時は不協和音という風に括られているのは今では知られる事が尠くなった事ではないでしょうか。一応機能和声の枠組みではこの大前提は忘れてはいけない事の一つであるので声高に語っておきますが、協和音が良くて不協和音が悪いという意味では決してありませんのでその辺りの理解には注意が必要です。今茲ではヘプタトニックの組織(=7音の調的社会)を語っているので不協和音の取り扱いは後述するそれよりも軽度なモノでありますが、ゆくゆくはこのブログ上で不協和音を語る際には、8音~12音組織における不協和音の取り扱いには、その和音内にトリトヌス(=三全音)の包含や均齊化の表れを取り上げます。そんなワケで先ずは調性社会での和音進行の仕組みを今一度確認してみる事に。


 サブドミナント和音の協和・不協和はもとより、先の主要三和音を用いた「調的勾配」とやらが実際にどの様になっているのか!?それは後述するとしますが、まずはヘプタトニックのひとつである長音階(=メジャー・スケール)を今一度確認することにしましょうか。
heptatonic_ex1.jpg


 ex.1ではハ長調の長音階の上行形が示されており、その右側にハ長調の全音階を3度累積型の和音で示した図となっております。つまり全音階の総合、私のブログではこれを「綜和音」と能く呼んでおります。これは何を示しているのかというと、ハ長調という全音階は当り前ですが7音組織(=ヘプタトニック)であるため、和音として垂直的に表すのではなく横の線として順次進行で表すならば単オクターヴにて全ての音を列挙する事ができます。和音体系では単オクターヴという1オクターヴの領域では二度に転回しない限り三度音程の重畳では4つの音しか表せないという事を今茲では言いたいワケです。


 ところが、前述の様に3度音程を使って全音階組織の和音を単オクターヴという範囲で列挙する事はできません。2度音程を使って転回させるならまだしも、それは「2度累乗」の体系であり、3度音程を駆使して累乗させれば単オクターヴで表すことはできず、7度音程で漸く4つの音を表せるだけで13度音程でやっと全音階を見渡す事となり、次のオクターヴで完結という頃はオクターヴは次の相という15度音程となるワケです。

 
 すなわち順次進行的には「ドレミファソラシド」と単オクターヴで済ませられたものの、3度累積だと「オクターヴ観」が引き伸ばされている事がお解りになるかと思います。8度が15度に引き伸ばされている事を示しているがex.1の図だという事です。単オクターヴ内では3度音程累積を以てして全音階というヘプタトニック組織を全て列挙できなかったからこそオクターヴという単一の相を複数の相で見渡している、という事である譯ですね。ドから次のオクターヴのド、という音組織を上から「圧延」されたと思って下さい。そうすると3度音程和音の体系としては単オクターヴ内に分子達が体を成すことができずに横の線に散らばったという風にでもイメージしていただければ幸いです。

 では、ex.1の右側の3度累積型で示した全音階の和音の総合をいつ何時に使ってもイイのか!?となるとコレでは愚の骨頂です(笑)。綜和音という体は調性社会に於てよっぽど他に意図する理由が無い限り、トニックもドミナントもサブドミナントも全ての機能を使うことになってしまうため調的勾配がかからず(実際には全方向から綱引き状態)、「どこ行こうとしてんねん!?」という状態になりかねません(笑)。勿論場合に依っては使える例外もごく稀にあるのですが、過去の私のブログ記事にてフランツ・リストが「S.55 不毛なオッサ(枯れたる骨)」にてフリジアンの綜和音を用いた事を例に挙げましたが、そういう例を普通に考えればそうした和音の総合はトニックもサブドミナントもドミナントも全てゴチャ混ぜ状態なので、やはり「調的勾配」が生じていないのは明白です。ただしリストのそれは意図せぬ方から(調性を朧げに感ずる様な方向とは意図しない所からの音の牽引力)光が放たれるかの様な効果を齎しているのも亦事実であります(つづく)。

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